第2話 ブリエンヌ陸軍幼年学校及びフランス海軍学校にて
さて、私がフランスに奨学金を出してもらい入学できたブリエンヌ陸軍幼年学校だが、ここはフランスの貴族階級の子弟のみが幼年時から通う、軍の幹部である将校候補を養成するために設けられた全寮制の教育機関である。
そしてそういった場所では私のような貴族というくくりの中では身分の低いものは身分の高いもののいじめの対象となるのが常であった。
とくに裕福で親が爵位を持っている者にとっては貧乏でコルシカから来た私は嘲笑の種であったようだ。
「おい、ナポリ病(梅毒のこと)のイタ公がなんでここにいるんだ?」
「ナポリ野郎は故郷の半島に帰りな」
私は無口にならざるを得なかった。
こういう時は受け答えするだけ無駄なのだ。
それに10年後にはフランス革命がおこり、彼らの持っている権威や権力というものが砂上の楼閣にすぎないということを自ずと知るだろう。
あるものは殺され、あるものはギロチンにかけられ、あるものは国外に亡命し、あるものは市民にひざまずくことになるのだから。
それを考えれば権力を傘にきて威張り散らしている彼らはいっそ哀れですらある。
しかしいまの私にコルシカ訛りは無いはずなのだがコルシカの出身であることを馬鹿にされたのは耐え難い屈辱である。
そしてコルシカの出身ゆえにと常に見下されていた。
友達も出来ず、話し相手もなく、孤独で寡黙な環境だ。
私は図書室に入り浸り歴史書や英雄伝を読み漁った。
書物というのはまだまだ高価なものだから本を無料で読める図書室が有ったのはありがたいことだ。
さらにかつての海軍技術者としての記憶を持つ私にとって幼年学校の教育の学科は大抵は退屈なものであった。
本来のナポレオンは数学で抜群の成績をおさめたというが、私にとっては数学以外でもラテン語や物理等の勉強も余裕である、それがまた癪に障るのか余計にいじめがひどくなるということの繰り返しだった。
ある時私がガトリングガンの設計図をノートの端に書いていた時それを教師に告口したものが居た。
そして教師は私にノートを取り上げ言った。
「僕の考えた最強の兵器かね?
コルシカ人は妄想が大好きなようだな」
そういってノートはとり上げられクラスの皆にさらされてしまった。
「これがあれば島が独立できたのに残念でしたー」
「まあ、ちびのナポリ野郎には妄想するくらいしか出来ないよな」
嘲りの言葉が飛び交うなか私は無言で唇を噛んだ。
フランスという国は非常に保守的で技術の最先端を行くということは殆ど無い。
しかしすでに出ている技術をおし進めることは得意だったりする。
だからこそ永遠の2番手以下なのだが。
そのような4年間を過ごした後、私は幼年学校を卒業した。
そして、1784年、私は1669年に創立された伝統あるフランスの海軍兵学校(かいぐんへいがっこう)の試験を受けて無事入学した。
海軍兵学校は、その名の通り海軍の士官養成学校であり、本来4年程度の在学期間を要し、海軍の技術将校として必要な砲術・操船・航海等の各種の軍事教練と必要な教養や技術を叩き込まれる場所で、実際に艦船を用いた洋上の操船や砲撃の演習も行われる。
この時代では陸軍でも砲兵や工兵などの高度な知識や技術を必要とするが地味な兵科の技術士官は人気がないが海軍でもそれはあまり変わらなかった。
提督を養成するクラスは上級貴族で、それぞれの技術的なクラスは下級貴族というわけだ。
ここで私は砲撃技術士官として好成績を収め、入学から約一年ほどで卒業することが出来た。
まあ、卒業時の順位はビリから二番目だったが本来は4年ほどかかるところを1年で卒業するのは異例な速度だそうだ。
まあ、わざわざ習わなくても体に知識や経験が染み付いているだけなのだがね。
ここでは平民出身や下級貴族の技術士官候補生の何名かと仲良くなれたのは収穫と言えよう。
1785年学校を無事卒業できた所で父、カルロ・マリア・ディ・ブオナパルテの病死の連絡が入った。
「こんなに早く死ぬとはな……。
コルシカの島民の呪いでも、うけたかな」
実際はおそらくストレスによるものだろう。
フランスに寝返ったもののコルシカでは裏切りものと呼ばれ、フランスではコルシカの田舎者と蔑まれ周りから蔑みの目で見られてずっといるのは多大なストレスだから。
私は神学校を中退した兄のジュゼッペとともに父の葬儀を済ませた後、海軍の砲術少尉として、地中海側の各地の海軍、駐屯地をまわったり、軍船へ乗り込んだり、長期休暇をとってコルシカ島に帰ったりしていた。
この時点では平和であり軍での長期休暇も割と許された。
「やあ、久しぶりに戻ったけど、お前たち元気だったかい?」
私を迎え出るように男女一人ずつが笑顔を見えた
「おかえりにいさん、僕は元気だよ」
「おかえりなさい、大丈夫元気にやってるよ」
私には兄弟はたくさんいたが、私に割りとなついていると言えたのは弟のルイと妹のポーリーヌくらいであった。
「おかえりなさいナポレオーヌ」
私は迎え出てくれた母に軍の給料の一部を差し出した。
「ただいま母さん。
これ今回の給金」
そしてありがたそうに受け取る母。
「あら、いつもありがとうね。
貴方がしっかりしていてくれて助かるわ」
「いや、母さんだけじゃあ大変だろ。
私の方の生活費はフランスから出るからね」
そんな感じで束の間の平和を楽しんだりもした。
それから2年が経過すると慣例に習い中尉相当の次級海尉に昇進し、更に2年で大尉相当の海尉まで昇進した。
この間にラザール・ニコラ・マルグリット・カルノーとの伝手を作っておいたりもした。
カルノーは平民出身の将校であるがフランス軍の軍制改革を主導し、「勝利の組織者」と称えられた男だ。
勿論、革命前では平民上がりの技術将校に出世の機会などはないのだがな。
しかし、彼の軍政の才能は素晴らしいと思う。
そして運命の時が来た。
1787年のブルボン朝の王権に対する貴族の反抗に始まった擾乱が、翌年の1789年にはフランスの全社会層を巻き込む本格的な革命の開始となったのだ。
1789年7月14日、バスティーユ牢獄を市民が襲撃した。
これがフランスの聖職者や貴族の特権を奪い去るフランス革命の始まりとなるのだった。
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