フランス海軍の栄光 海軍提督ナポレオンは世界を制する
水源
第1話 プロローグ
私の名はフランソワ・レオンス・ヴェルニー。
1837年12月2日、フランス中部のローヌ=アルプ地域圏に位置するアルデシュ県のオーブナで生まれた。
そして1860年にフランスの海軍造船工学学校を卒業し海軍技術者となった私は造兵廠に着任し、本国フランスにて造船・製鉄・艦船や艦砲の修理などを行った後、1862年に東アジアに渡り中国大陸の寧波で造船所やドックを建設し、小型の砲艦を建造した。
その後、1865年から、1876年は日本の江戸幕府のもとで横須賀に製鉄所や造船所を作ったが、江戸幕府が倒されるとその後明治新政府のもとで観音埼灯台、野島埼灯台、品川灯台、城ヶ島灯台の建設を行ったが結局は給料が高すぎると解雇された。
そしてフランスに出戻りし、1908年5月2日に自宅で肺炎のため死んだ。
そう、それほど悪くない人生だったと思う。
イギリスのジョンブルどもにフランスが支援した日本の幕府を倒されたのは悔しいが、アメリカの独立戦争ではイギリスに嫌がらせをしてやったから結局おあいこだろうか。
・・・
コルシカ島は本来の宗主国であるジェノヴァ共和国への独立運動を起こしていたが、ジェノヴァ共和国はフランスへの債務が払えず、最終的にはジェノヴァ共和国はフランスにコルシカ島を売り渡した。
そして1769年5月7日にコルシカ島の独立戦争において司令官であったパスカル・パオリ率いるコルシカ島の独立派勢力は、ポンテ・ノーヴォの戦いでフランス軍に大敗しパオリは命からがらイギリスに亡命した。
これにより40年の長きに渡って続いたコルシカ島の独立闘争は独立派の敗北で事実上終結しフランスの統治下に入ることになった。
この時パオリの副官であったカルロ・マリア・ブオナパルテはフランス側に降伏し寝返った。
ブオナパルテ家の先祖グッリェルモ・ディ・ブオナパルテは13世紀におけるイタリアトスカーナ州フィレンツェとサルツァーナの血統貴族であったが、15世紀の没落後、当主であるフランチェスコ・ディ・ブオナパルテは傭兵隊長としてコルシカ島に渡り土着した。
そして、その子孫であるカルロはフランス側に寝返ったその見返りとして、フランス領コルシカ島の新興貴族として貴族の身分を認められたのだ。
とは言え貴族とは名ばかりの貧乏貴族だったのだが。
1769年8月15日フランス王国領コルシカ島、アジャクシオの町。
この日フランス領であるコルシカ島のアジャクシオの町において、コルシカ島の弱小貧乏新興貴族であるカルロと妻マリア・レティツィア・ラモリーノの間に、一人の赤ん坊が誕生した。
「うむ、上の子と違い今度の子は無事に育つと良いな。
この子の名前はまたナポレオーネにしよう」
「ええ、良い名前ですわあなた。
それにとっても精悍な顔つきをしていますもの
きっとちゃんと育ちますわ」
実は二人の間に先の1765年に生まれた男子ナポレオーネは生まれてすぐに死んでいた。
そして同じ名をつけられたこの赤ん坊こそがのちに軍事の天才と言われたコルシカのナポレオーネ・ディ・ブオナパルテ、フランス読みでナポレオン・ボナパルトである。
・・・
1774年フランス王国領コルシカ島、アジャクシオ。
唐突にわたしは意識を取り戻した。
それなりに清潔なベッドの上に私は寝ていたのだが、明らかにポン・ドーブナの自宅とは違う。
「ここはいったい……どこだ?」
混乱している私に声をかけてくる黒髪の美しい女性。
「ああ、ナポレオーネ、良かった。
無事目を覚ましたのですね」
ナポレオーネ?
だれだ一体?
……ん、いや、思い出した。
わたしはナポレオーネ・ディ・ブオナパルテ。
ディがつくことからわかると思うが一応名ばかりと言っていいとは言えフランスの貴族階級に入る家の次男だ。
貧乏なのに金銭にルーズな父親と倹約家の母親の間に生まれた私だが、尊敬するパスカル・パオリを裏切った父は私は大嫌いだ。
尤も、その父親の行動により我々息子3人に奨学金が与えられたから学校にも行けるわけではあるのだが。
しかし母は私が腹の中に居たときも独立戦争に女性闘士として参加したそうだ。
だからわたしは母を尊敬している……はずだが、なぜだろうフランソワ・レオンス・ヴェルニーとして生きていた時の記憶や知識も残っている。
それはともかく体の節々が痛むのはなぜだ。
私が首を傾げていると母が微笑んでいった。
「あなたは高熱にうなされていたのですよ。
一時は意識が混濁していて意味の分からない
うわ言も言っていたのでどうなるかと思いましたが
熱も下がったしよかったわ」
どうやら私は高熱を伴う疾病で生死の境をさまよっていたようだ。
「そうでしたか、ご心配をおかけいたしました母上
もう大丈夫だと思います」
母はホッとしたようだ。
上の兄とすぐ下の弟がすでに死んでおり私まで死ぬのではないかと母は気が気でなかったのだろう。
「ううん、いいのよ、早く元気になってちょうだいね」
その後元気になった私は母のもとで可能な限り倹約しながら古代の英雄が記された対比列伝などの書物を買ってもらい其れを読むことで、マケドニアのアレクサンドロス3世、ローマのユリウス・カエサル、プブリウス・コルネリウス・スキピオ、カルタゴのハンニバル・バルカなどの英雄と呼ばれた者たちの戦術などを研究していった。
「つまるところ軍隊の質とは最高司令官の能力そのものである。
そして、戦術的に見れば、遠くから攻撃できる兵器が最も強い。
そして重要なのは兵の足の速さであるというところか。
尤も兵士に関する練度も重要では在るが」
またこの当時における世界情勢なども書物などを通して確認していた。
この時期にはかつては太陽の沈まない国と形容されたスペインは、1588年のアルマダ海戦にて、スペインの無敵艦隊がイングランド海軍に敗れた後は、見る影もなく衰退していた。
同じくポルトガルも今、現在では昔日の栄光は見る影もなかった。
また、イングランドともに成長したオランダ海上帝国も度重なる英蘭戦争で消耗しもはや17世紀頃の栄光を失っていた。
現在の海上帝国で最大の勢力を持つのはやはりイギリス帝国だった。
そして2番手に浮上しているのが我がフランスである。
「しかし、100年ほどしか変わらぬと言うのにこれほど技術に差があるというのも驚きだな」
私が造兵廠に着任した頃は石炭を燃料としたスクリューのレシプロ機関を持ち、武装として、炸裂弾を発射できるように設計された最初の艦砲であるペクサン砲とライフル砲を装備したグロワール級装甲フリゲートが出来た直後だったとは言え、この時代は木造帆船のカノン砲搭載型戦列艦までしか無い。
「いや、まあちょうど船の技術的な切り替わりの時期であったのかもしれないがな」
銃器もこの時代ではまだ先込め式フリントロック式マスケットだが、私が造兵廠に着任した頃にはもうミニエー銃やボルトアクション後装式のシャスポー銃やグラース銃、原始的な機関銃であるミトラィユーズなどもあり、デリンジャー・ピストルやリボルバーピストルも有ったと言うのにだ。
まあ、ガトリング砲にくらべるとミトラィユーズは成功したとは言い難いがな。
「こうした兵器を開発できればあるいはフランスの未来をかえられるのでは?
イギリスにしてやられ続けた未来も変えられるかもしれないぞ」
私は蒸気機関搭載のスクリュー装甲艦や艦載砲の知識もある。
フッドやネルソンといったイギリスの高名な提督と戦うのは大変だろうが、フランスの艦隊を率いてたたかい、フランスをイギリスに勝る海軍国家にできる可能性はあるのではなかろうか。
しかし、ブオナパルテ家は貴族とは名ばかりの貧乏な家である上に、コルシカでは売国奴と島民からは嫌われている、母親はともかく父親や私たちは間違いなく。
だから果たしてそううまくいくかどうかはわからない。
しかも兵器などの技術レベルが抜きん出ていれば勝てると言うほど近代戦は甘くもないしな。
そして5年後、私は父カルロ、兄ジュゼッペとともにフランスに渡り修道院付属学校に入るが、そちらはすぐに辞め、国費で1779年に兄ジュゼッペは オータン神学校へ入学、私はブリエンヌ陸軍幼年学校に入学することになったのだった。
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