第7話「救世主」

 目が覚めると、あたりは真っ暗だった。後頭部がずきずきと痛む。

 身じろぎすると、自分の手足が縄で縛られているのがわかった。そこでアークははっとした。


――あの男を、止めなければ。


 アークは暗い空間に閉じ込められていた。その狭さと形状、壁の質感から、更衣室の空きロッカーに閉じ込められていると察しがついた。

 アークは目を閉じ、耳に神経を集中させた。すると、かすかに演劇の声が聞こえてきた。


「……なぜそこまで種族に拘るん……」


 まずい。もう終盤だ。

 アークはロッカーの扉を両足で蹴り飛ばした。するとロッカーは横に倒れ、アークを外に吐き出した。アークはゴブリン特有の長い爪で足首に巻かれたロープを切断すると、舞台に向かって走り出す。


「種族なんて、関係ないでしょう」


 ガイの声が聞こえる。

 間に合え、間に合え。

 アークは舞台裏に入ると、待機しているメンバーの間を縫って舞台袖の階段を駆け上がった。


「だめだ! そい――」


「シー!」


 アークが舞台に出ようとした瞬間、舞台袖にいた監督のゾウがアークを取り押さえた。


「何考えてるの! まだ劇中だよ」


「違うんです! ちが……」


 ゾウはアークの口を塞いだ。アークはゾウから逃れようと暴れるが、力ではゾウの方が上手だった。


「どうしてですか、ジールさん!」


 ガイの声が響く。

 アークは一層暴れるが、ゾウの力には叶わない。

 舞台の上では、ジール役のアックスがガイに接近していた。アックスが手にしている刀が本物であるとは、誰も気がついていないのだ。


――終わりだ。ガイさんも、この劇団も。


 アークの脳裏に諦めがよぎった。

 アックスはガイの目の前で立ち止まり、刀を持つ手に力を入れる。


――終わりだ。せっかくここまでやってきたのに。


 アークの目には涙が浮かんでいた。

 そのときだった。アークの視界に黒い影がよぎったのだ。


「あ、ちょ」


 黒い影はゾウの脇をかわし、舞台に出ていく。そして、

 ガキン!

 鋭い金属音が会場中に響いた。

 刀を弾かれたアックスは、後方に押し戻される。

 ガイの前には、刀を手にしたエイトが立っていた。

 アークとエイトとアックス以外、誰も何が起きたのかわからなかった。観客はこれもストーリーの一環だと思い込んでいるのか、動揺する様子はなかった。


「ちょっと、どういうことですか」


 ガイはエイトに小さな声で訊ねた。エイトはアックスを睨みつけたまま小声で答える。


「あいつが持ってるのは真剣です。俺のやつと違って、刃にあたれば本当に斬れる」


「……え?」


 ガイはエイトの言葉の意味が理解できなかった。


「とりあえず、観客にばれちゃダメです。劇は続けます」


 エイトは小声で最後にそう言うと、声を張り直した。


「獣人殺しなど、俺が許さない」


「なんだよ、知ってやがったのか」


「今すぐ、立ち去れ」


 エイトは刀の刃先をアックスに向けた。エイトは演技のように見せるために、一つ一つの動きを仰々しくする。


「ユーリ、お前はここから逃げろ」


 エイトはガイを少しだけ振り返った。ガイはその真意を察したのか、「ありがとう」と演技っぽく言って、舞台をはけた。


「どうなってるの」


 ガイが舞台袖に戻ると、レイラが困惑した表情で訊ねた。


「とにかく、幕を下ろしましょう」


 ガイは興奮気味の口調で、幕を担当する者のところへと駆けていった。


「お前は確か、早朝に出てったんじゃないのか」


「妹のジュリーを捨てて、ここを去れるものか!」


 エイトはそう怒鳴ると、アックスめがけて駆け出した。


「あくまで劇のつもりかよ! お前の血で観客の目も覚めるだろうよ!」


 アックスの叫び声が、会場に響いた。



 約一時間前、エイトは社長室の天井裏に隠れて様子をうかがっていた。すると例の社長が入室してきたのだ。社長は椅子に座るなり受話器を取り、誰かと話しだした。

 エイトは興味本位で社長の電話を盗み聞きした。それが、驚くべき内容だったのだ。


「いいか、これはあの厄介な劇団を波風立てずに解散させる、絶好のチャンスだ。……ならいい。刺すのはガイだぞ。獣人なら法律上は大した罪にならない。……あとなるべく観客を引きつけたい。最後のシーンまで引っ張って一刺しだ。……わかってるならいい。いいか、頼んだぞ……ああ、そこは任せておけ」


 これを聞いていてもたってもいられなくなったエイトは、劇団に飛んできたのだ。



「そんなおもちゃの刀で、真剣に勝てるわけないだろうがよ!」


 迫ってくるエイトに、アックスは刀を振り上げた。アックスの言うとおりエイトの持つ刀は演劇用で殺傷能力は無い。もし真正面から斬り合えば、エイトの刀は簡単に斬られてしまうだろう。


 だから――。


 エイトはアックスの目の前で姿勢を低くし、刀をかわしてアックスの足を救い上げた。


「……っな」


 アックスは背中から落ちていく。エイトはアックスにのしかかり、馬乗りになった。


「もともとヒーローに憧れてね」


 身動きが取れなくなったアックスにエイトが小声で言った。エイトは幼い頃戦隊ヒーローに触発されて、武道を習っていたのだ。

 幕が閉まりはじめた。観客達は拍手をはじめる。エイトの見事な身のこなしと演技に、心底感動したようだった。観客からすれば、まるでにすぎなかった。

その後アックスは縛り上げられ、遠くの森に捨てられた。現在の人間優位の法律では、アックスを裁くことができないからだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る