第6話「迫る影」

 劇団を去ったのは、公演当日の早朝だった。レイラ以外の劇団員は寝静まっていた。


「本当にありがとう。それじゃあ、お元気で」


「こちらこそありがとうございました」


 レイラは寝巻き姿でエイトを送り出した。他にも何か言いたげな表情ではあったが、二人ともそれ以上は何も言わなかった。

 会社の建物に忍び込むのは驚くほど容易だった。馬車を降りると小さい頃からレイラの面倒を見ていたという使用人が建物の前に待機していて、裏口の門を開け、社長室がある階の天井裏まで誘導してくれたのだ。

 エイトは社長室の天井に空いた小さな穴から、中の様子を観察することができた。いまは社長が席を外していて無人だが、だからと言って出ていって良いわけではない。アークの解説によると、自分がこっちの世界に転移してきたときとぴったり同時刻に、転移してきた地点に身体の一部があれば良いということだった。だから有人無人はあまり関係なく、とにかく時間になった瞬間に社長の机の上に着地すれば良いのだ。

 エイトは姿勢を低くしながら、劇団のことをふと思った。

 あと一時間ほどで開演するころだ。きっと良い公演になる。



 開演まで30分。この時間になると、各々は自分が一番集中力を高められる方法で時間を過ごす。トイレにこもる者、好きな音楽を口ずさむ者、鏡の前で入念な最終チェックを行う者、その有様はさまざまだ。

 アークは観客席を覗いて、どんな客層が観劇に来ているのか観察するのが好きだった。役者でそんなことをすればますます緊張して逆効果だろうが、アークは役者ではなかった。照明でも音響でもない。アークはこの劇団の会計担当だったのだ。客層を正確に把握することは、今後のマーケティングや値段設定にも響いてくるというわけだ。

 客層の観察を終えたアークは、さっそく客層のレポートを作るために自室に向かうことにした。舞台の裏側を通り過ぎようとしたとき、アークは目の端に映ったものに気を引かれた。首を伸ばして見ると、アックスが大道具の物陰に立っていたのだ。

 代役で練習期間が短かったのにも関わらず、役は主人公級の重要度だ。相当緊張しているに違いない。そう思ったアークは、アックスに声を掛けようと近づいた。

 近づいてみると、彼は誰かと通話しているようだった。最初は一人でセリフの確認をしているのかと思ったが、相槌や間から、誰かと明らかに喋っていた。

 邪魔してはいけない。アークは近寄るのをやめて、ゆっくりと引き返そうとする。そのとき、アックスが発した言葉にアークは思わず足を止めた。


「……ええ、確実に処分します……」


 アークは耳を疑った。右足を浮かせた姿勢のまま、耳をそばだてる。


「……はい、ラストのチーターですよね。……わかってますよ。思いっきりグサッと。……ああ、報酬は裏口に置いておいて下さいね」


 アークは全身が硬直し、冷や汗が吹き出してくるのを感じた。この男は危険だ。みんなに知らせなければ。しかしその思いとは裏腹に、身体は恐怖で動かなかった。

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