第4話「救世主!?」

 エイトは刀を片手に舞台の上に立っていた。

 目の前にはチーターの獣人が、こわばった顔をこちらに向けて立っている。


「なぜそこまで種族に拘るんですか」


 チーターはエイト(役名はジール)を睨みつけた。


「種族なんて、関係ないでしょう」


 エイトの表情は動かない。無言のまま、チーターに近づいていく。


「どうしてですか、ねえ! ジールさん!」


 チーターの声は虚しく空間に響いた。もう止まらないジールに対する、恐怖と焦りが声色に滲み出ていた。

 そして、ヒュッ。エイトはチーターにぎりぎり当たらないように刀を振った。


「ジールさ……」


 チーターは腹部を抑え、膝から崩れた。エイトは刀を手に、苦しむチーターを見下ろしている。


「ユーリ!」


 舞台の外から飛び出してきたのはレイラだ。「ユーリ」とはチーターの役名である。レイラはチーターに駆け寄って、身体を支えた。


「ジュリー……」


 ジュリーとはレイラの役名である。チーターはレイラの顔に手を添える。


「愛してるよ……」


「やだ、まってよ」


 レイラは涙を流し、チーターの胸に顔を埋めた。


「汚らわしい」


 その光景を傍で見ていたエイトが口を開いた。


「いますぐその獣から離れろ」


「獣はあなたよ」


 レイラは決然として表情で顔をあげる。


「ほう……」


 エイトはレイラに近寄って、その首に刀をかけた。


「汚染でもされたか」


「……やりなさいよ」


 レイラは立ち上がった。


「私を殺せば、あなたは罪に問われる。さぁ」


 レイラの語気が強まった。エイトの刀は動かない。


「この臆病者!」


 レイラの声が空間に響く。ドタドタドタ、という足音とともに5人の衛兵がエイトを取り囲んだ。


「脅迫罪で、逮捕します」


 レイラの一声で、エイトは衛兵達に取り押さえられた。刀が地面に落ちて、鋭い金属音が響く。エイトはそのまま、舞台の外へ連れて行かれる。


「ユーリ……」


 レイラはその場にかがんで、チーターの身体に触れた。


「はいオッケー!」


 しんみりとした雰囲気を吹き飛ばす、溌剌とした声が響いた。声を発したのはゾウの獣人で、誰もいない観客席の一番前に足を組んで座っている。この劇団では、このゾウが監督を担っているらしかった。


「新人くん! 最高だよ!」


 監督は大きく鼻を持ち上げて笑った。エイトは舞台袖から「ありがとうございます」と言って出てくる。


「これなら来週の公演に間に合いそうですね」


 チーターが立ち上がって、エイトに握手を求めた。チーターの手にはしっかりと肉球がついていて、鋭い爪もついていた。


「よかったです」


 エイトは手のひらに爪が刺さらないように、慎重にチーターの手を握った。


「大変です!」


 練習合間の和気あいあいとした雰囲気に、突然アークが慌てた様子で飛び込んで来た。

 慌てた様子のアークに、舞台上のレイラとエイトは目を見合わせた。実は練習前、エイトの故郷の調査をアークに依頼していたのだ。

 アークは自分の身長の3分の1ほどの大きさの書物を抱えて舞台にあがった。ボン! と書物を置くと、興奮した様子で次々とページをめくりだした。


「これです!」


 アークはとあるページで手を止めて、ある一点を力強く指で示した。その場にいた面々が、アークが示した箇所を覗き込む。かなり古い本で、アークが示した部分にはくさび形文字のような記号が記されていた。


「これは魚人にルーツがあるとされている古代文字です。読みますね」


 アークは「こほん」とひとつ咳払いをすると、堅い声色で文字を読み上げた。


「我等の祖先、女は海に棲み、男は地上に住む。女は太古からその海に育つが、男は突然地上に現れる。その数十。男曰く、『“ヤマト”より来たり。同胞八人は七日後の同時刻、同位置にて現地に帰還す。我独立し、女に恋す』」


 アークは書物から顔をあげ、エイトを見上げた。


「つまり、七日後、あなたがこの世界に入ってきた場所に行けば、帰れるかもしれないということです。どこから?」


「入ってきたのは、あの社長室です。気がついたら机の上に立ってて、コーヒー蹴飛ばして……」


 エイトは言葉の途中で、顔をあげて周囲の面々の顔を見回した。周囲の者たちはもの悲しい表情でエイトのことを見ている。


「七日後って……公演の……」


 監督を務めているゾウが呟いた。エイトは言葉を失った。エイトがいなくなった世界では、今ごろ多くの関係者に迷惑がかかっているだろう。だから一刻も早く帰らなければならない。しかし、ここにもまたエイトを必要とする者たちがいることも確かだった。


「帰りなさい」


 沈黙に終わりを告げたのは、レイラの声だった。先程の演技で見せた決然さと上品さを含む声に、一同がレイラの方に視線を移す。


「私は、みんなが幸福になるためにこの劇団をやっているの。もしも誰かがこの劇団のために自分の故郷を捨てなければならないのであれば、それはこの劇団の理念に反するわ」


「でも、公演は……」


「大丈夫」


 ゾウの言葉をレイラが遮った。


「社長に交渉して、公演の延期をお願いしてみる。それが無理なら、私が新しい人を探すわ。もともとそのつもりだったの。偶然の出会いに、私が甘えすぎた」


 レイラは改まった様子でエイトに向き直った。


「協力してくれようとしたその気持ちだけで十分嬉しいです。ありがとうございました」


 レイラが深く頭を下げた。

 エイトはレイラをじっと見つめた。この劇団を助けたい想いと、元の世界に戻りたい思いが拮抗しているなかで、レイラの言葉はエイトの背中を押した。この厚意は、ありがたく受け取るべきだと思ったのだ。


「こっちも、力になれずごめんなさい」


「いいえ」


 レイラは顔をあげた。その顔には温かい笑みがあった。


「まって、元の世界に帰るのはいいとして、この子が社長室に潜り込むことなんてできるんですか?」


 そう割り込んできたのは、チーターだった。

 チーターの言葉に、エイトははっとした。しかし一同は誰も動じず、むしろ落ち着き払った様子だった。


「そっか、ガイは最近入団したから知らないんだね」


 口を開いたのはゾウだった。エイトはそこで初めて、チーターが「ガイ」という名前だと知った。


「レイラは、あの社長がいる建物には誰よりも詳しいんだよ。だって」


「実は前社長の、娘だから」


 ゾウのセリフを引き継ぐかたちで、レイラは言った。ガイは驚きのあまり、絶句している。レイラはふふふと微笑みながら続けた。


「普通に考えたら、おかしいでしょ。あんなに大きな会社が、私たちみたいな劇団を抱えてるなんて。でもね、こういう仕掛けなの」


「なるほど……」


 ガイは永年の謎が解けたようで、その衝撃のあまりしばらく呆然としていた。


「まあというわけで」


 レイラがエイトに向き直る。


「あとで社長室に潜入するための地図を渡すわ。顔見知りの使用人もいるから、手配しておく」



「ありが――」


「ねねね」


 レイラとエイトの会話の間に入ってきたのは、監督のゾウだった。


「向こうの世界に帰るまでの6日間は暇だよね。じゃあその間さ、僕らに演技の稽古をつけてくれないかな。君の演技、すごくいいんだ!」


 ゾウは目を輝かせながら、灰色の手を差し出してきた。エイトはその手をしっかりと掴んで、堅く握った。


「もちろん!」

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