その火種は煙もなく

 ※


 その後、奉行所の調べで捕らえられた浪人たちは尊攘派の薩摩藩藩士だという事が分かった。

 彼らは自分たちを内密に探っていた、公武合体派の薩摩藩士のふたりを襲い、ひとりは始末できたが一人には逃げられていた。その逃げた藩士は薩摩藩邸でかくまわれていたのだが、彼らはそのことを知らなかった。

 捕らえた十人を薩摩藩邸に引き渡したところ、薩摩藩邸を預かる島津久光配下の薩摩藩士は「この恩を薩摩藩は決して忘れもうさん」と深々と礼を述べた。

 この一件を以て、薩摩藩と新徴組には貸し借り生まれたようにも思われた。

 しかし、運命は二転三転する。公武合体を掲げ尊攘派を粛正しゅくせいしていた薩摩藩は、この後幕府との反目から尊王攘夷へと舵を切る。

 もちろん、現状そんな未来など予想できるはずもなく、武蔵たちの働きは大きな成果を上げたものだとして評価された。今回の件は新徴組の功績として幕府に報告され、千葉雄太郎と新人の宮本武蔵は扶持が与えられた。中沢琴に関しては、兄の良之助を介して間接的に扶持が与えられた。

 こうして、幕府はより一層新徴組を治安維持の組織として信頼するようになったのだった。

 あくる日、武蔵は三笠の屯所で仏像を彫っていた。

 それを桑原玄達と佐々木如水の二人が興味深そうに見ている。

「いやぁ見事なもんだぜぇ……。あんな鬼面みたいな顔してる男が、こんな穏やかな顔した仏さんを彫っちまうんだからなぁ……」と、佐々木如水はすでに掘り終えた仏像の一体を手に取り感嘆する。組内で一、二を争う高齢であるにもかかわらず、口の悪さも一、二を争う老人だった。

 武蔵は寺の廃材を「せめてもの供養」として仏像にしている最中だった。

「武公(武蔵の尊称)も芸術の心得がるとは聞いたことがありますが……。」

 桑原玄達は眼鏡を人差し指でくいっと上げる。医学、儒学、歴史に精通していているこの男のことを、組士や近隣住民たちは“三笠の先生様”と呼んでいる。少し揶揄からかいの意味もこもっているが。

「だだ、だから俺が宮本武蔵だと言っとるだろう」

「あいや、失礼」

 武蔵は黙々とのみと小刀を使い木を削っていく。武蔵の手にかかれば、木材も芋のようにさくさくと形が変わっていった。

「……ところで」と、小刀を止めて武蔵が言う。

「何じゃ?」佐々木如水が言う。

「ももっもしかしたら、ここには尊攘派の間者がいるかもしれんな」

「な、武蔵さんよぉ、口に気を付けなぃね。同士なかまに疑おうなんざよぉ……。」

「しし、しかしな、何故に薩摩藩邸の藩士は殺された? まるで、俺たちが気付いたことがきっかけになって、奴らが殺されような節があった。しかも俺が嘘の情報を流してやったら、すぐに下手人が食いついてきおったぞ」

「そりゃぁ……。」

 佐々木如水と桑原玄達は顔を見合わせる。

 武蔵は小刀を持ったまま、くるりと二人の方を向いて笑みを浮かべる。

「おかしなことはなかろう、おお、お前らの中には、尊王攘夷のための浪士組だと知った上で、それでもついてきた奴らがいるらしいからな」

「仮にたとして、我々に何ができるでしょうか?」

「俺は……」そう言って、武蔵は仏像をふぅと吹いておが屑を払った。「どちらになろうが俺の兵法を証明するだけだ」

ちらでも……ですか」

「刀は誰に握られるかなど気にはしない」

 そう言って、武蔵は二人の前に仏像を置いた。柔和な顔をした菩薩像だった。こんなものを作れるというのに、この男の中には混沌しかないのだろうか。佐々木如水と桑原玄達は美しい仏像だからこそ背筋が寒くなった。

「武蔵殿」

 そこへ山田寛司がやってきた。新徴組の現場監督ともいえる男だ。

「うん?」

 武蔵は新たな木材を手に取っている最中だった。

「松平様より此度こたびの働き、大儀であると大変お喜びの様子」

「ほぉ」

 武蔵ではなく、桑原玄達が言った。

「それで、今回の件で武蔵殿が提案した私服での見廻り、実に良き献策だという事で、準備が整い次第、新徴組で昼と夜の見廻りに加え、新たに隊を組織するとのことです」

「そいつぁすげぇや」と佐々木如水が笑って首を振る。

「俺の兵法を正しく使えば、ししゅ、出世などたやすいものだ」

 武蔵は上機嫌に仏像を彫りながら言った。

「ほほ~、言いますなぁ~」

 山田寛司、桑原玄達は巨大な自信を持つこの男のことを、苦笑しつつも尊敬の眼差しで見始めていた。

 まるで、武蔵が登場から新徴組は活躍の場を広げつつあるようだった。実際、今回は武蔵の働きで、幕府と公武合体を目指す一方、自分たちの発言力を増長させようとしている薩摩藩に、恩を売るという形で関係を取り持つ形になったのだから。

 新徴組組士たちは、剣聖・武蔵と共に幕府の中で自分たちが出世を遂げつつある、そんな上昇気流を感じていた。

 事実、私服での見廻りは今後の新徴組の仕事の中で大きな成果を上げていく。闇に紛れ間者となった新徴組は、次々と幕府に仇をなす輩の排除に成功していき、その活躍は衰えるところを知らなかった。

 幕府が落日を迎えようとしている時でさえも。

 やがて新徴組と尊王攘夷派に転じた薩摩藩、この二つの組織は江戸を舞台に怨嗟えんさうずまく争いを繰り広げ、その争いは国を二分する戦にまで燃え広がるのだった。

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