追跡者たち

「どういうことでございましょうか」

 町奉行の人間に運ばれていく遺体を見ながら琴は武蔵に訊ねる。

「奴らもささっ薩摩の者を探していたという、もしかしたら追跡を気取られて逆にやられたのかもしれん」

「いったい誰に……?」

「玄達に訊いた所、薩摩はここっ国内が二分されてるらしいな」

 桑原玄達に情勢を確認するように念を押したのは琴だったが、本当に武蔵は話を聞いていたらしい。

(もっと大雑把な人と思っていたけれど、まめなんだな……)

「もう一人の方は無事なのでしょうか……?」

「あるいは、そそっそいつが下手人か……。」

「まさかっ」

「うむ、だったら幾度も人気のない所にいったのだから、その時にればよかっただろう」

「もしかして、わたくしたちが尾行していることも気づかれていたということはないでしょうか……。」

 武蔵は顎に手をあてる。

「……それだ、一体、ど、どうしてこいつらの尾行が途絶えたのだ?」

「それが……一部の組士から、見回りの人員をさいてでも彼らの尾行をする意味はあるのかと声が上がりまして……」

「なに?」

「薩摩藩士というだけで、取り締まるのにはさすがに無理がありますし……それにわたくしたちの本分は江戸の警護だと……。」

「ふむ……。」

「しかし、実際こうして事が起こってしまったことを考えたら、やはり尾行は続けるべきだったんでしょうか……。」

「悔いても仕方あるまい。今できる事は下手人を捕らえる事だけだ」

「しかし、彼らが誰かを捜していたという以上の話がありません」

「ならば、餌をいておくか……。」

「餌……?」

 後日、武蔵と琴、そして千葉兄弟は最初に情報を提供された料理屋に足を運んでいた。

「なぜ俺が……」と、千葉雄太郎は不満げだった。

「お、お前は尽忠報国とやらに熱心だからな。新徴組の中でも特に裏表がない男と見える」

「武蔵さまは雄.太郎さまに一目置いてらっしゃるんですよ」

 琴は急須きゅうすから湯飲みにお茶を入れ、雄太郎に渡そうとする。

「いらん、お茶子みたいな真似をするな」

 弥一郎が小さな声で「いただきま~す」と言って、その湯飲みを受け取る。

「ではなぜこいつが?」

 と、雄太郎は弥一郎を見る。

「前に、次に武蔵さまに江戸を案内する時は一緒に行くというお約束をしていたので」

 琴が言うと、雄太郎は「そうなのか?」と弥一郎を見るが、弥一郎は白々しく目をそらすだけだった。

 そんな四人がいる席へ料理屋の女将が武蔵たちに話しかける。

「あらぁ、今日は見回りではないんですか?」

「はい、今日は非番でして……。」琴は言う。

「非番でも男の恰好をしてらっしゃるのね~」

「ははは……もう、何だかこっちの方が落ち着くようになってしまいました……。」

 琴は非番であるというものの酒は断り、つまむものだけをいくつか女将に注文した。

「せ、せっかくの非番なんすから、琴さんの小袖姿、見たかったなぁ……」

「そ、そうですか?」

「初志貫徹をしろ中沢。お前は新徴組で男として生きていくのだろう。ふらふらと道を変えられると目障りだ」

「……はい」

「くっくくく、ここっ琴よ、お前がつやな格好をすると己の信念が揺らぐと言っておるぞ、この男は」

 琴は恥ずかしそうに顔を背け、そんな琴を弥一郎は複雑な面持ちで見ていた。

「貴様ぁ……。」と、雄太郎が熱い能面づらで睨む。

「気を悪くするな、琴を立てただけのこと。それくらいの甲斐性はもたんとな」

「武士に甲斐性などっ、士道に女に現を抜かしてる暇などあるかっ」

「女に現を抜かすのはそりゃいかん、ただっだが兵法として女は味方にしろと言っとるんだ。秀吉公を見てみろ、甲斐性あっての天下人よ。あれがどれだけ女房に支えられたと思ってる。逆に頼朝公なんぞは女房の怒りを買って幕府を乗っ取られた」

「まぁまぁ落ち着いてください雄太郎さま。武蔵さまは臨機応変に物事を考えるように仰ってるだけですよ。それでも、雄太郎さまがそんなまっすぐな方でいらっしゃるからこそ、わたくしたちは信頼してお誘いしたのですから」

 琴は雄太郎がいらないといったお茶を改めて差し出した。自然な流れで雄太郎は思わず受け取ってしまった。

「あ、お前のそういうところがっ」

 何かを言いかけたが、雄太郎は「もういいっ」と顔をそむけてしまった。

 一方の弟は、兄と違って(嫁になってほしいっす……)と改めて惚れ直していた。

 しばらくして、女将が料理を持ってくると武蔵が琴に目配せをした。

「あの、女将さん」

「なんでしょ?」

「その節はありがとうござました」

「いぃえ~、残念なことになってしまいましたけれど、でも結局、危ない橋を渡ってた方々だったてことですよね~」

「ええ、まぁ……ただもう一人の方はまだ見つかっていませんから……」

「それそれ、心配よねぇ、まぁ別にあの方と何かあったわけじゃないけれど、袖触れ合うも他生の縁っていいますから……」

「だけど、ここだけの話、その一人の方の隠れ家が見つかりそうなんです」

「あらまぁ」

「今日の夜にでも、そちらにここにいる四人で調べに行く予定なんですよ……。」

「え、じゃあ今日は非番じゃあ……」

 琴は口に人差し指を当てる。それで察した女将は小さく頷いて店の奥に入っていった。

 四人は店を出ると、外は夕暮れ時だった。

「弥一郎よ、手はずは良いか?」

「……はい、でも」

「念のためだ。餌は食いつくものでもない。くっついて巣穴近くまでに運ばれることだってある」

「はぁ……。」

「敵は俺たちが何かを掴んでしまうのがとにかく恐ろしいと見える。ならば……」


“ 敵になると云事。

敵になると云ハ、我身を敵になり替りておもふべきと云所也。

世の中を見るに、ぬすミなどして、家のうちへとり籠るやうなるものをも、敵を強くおもひなすもの也。

敵になりておもへバ、世の中の人をみな相手として、にげこミて、せんかたなき心也。

とりこもる者ハ雉子也、打はたしに入人ハ鷹也。

能々工夫有べし。

大なる兵法にしても、敵といへバ、強くおもひて、大事にかくるもの也。

我常によき人数を持、兵法の道理を能知り、敵に勝と云所を能うけてハ、氣づかひすべき道にあらず。

一分の兵法も、敵になりて思ふべし。

兵法能心得て、道理強く、其道達者なる者にあひてハ、かならず負ると思ふ所也。

能々吟味すべし。”

 ──五輪の書 火之巻より


 何かを掴まれたら、すぐに消さずにはいられない。ならば自分たちが致命的な、を持っているかのごとくふるまえば、敵はいずれ姿を現すという武蔵の算段だった。

 そして武蔵たちは町の散策を始めた。二件目の料理屋、居酒屋、琴がいるというのに遊郭にも足を運んだ。それは、尾行していた薩摩藩士が辿ったのと同じ経路だった。

 そして、丑三つ時になると、武蔵たちはやはり彼らと同じように、人気のいない町の裏通りへと足を運んだ。

「……武蔵さま」

 いく度も死線を潜り抜けた剣士たちだった。風が殺気の臭いを運んできているという事には敏感だった。

「各々、覚悟は良いか?」

 建物の陰から、十人の浪人が出てきた。

 つけられていることは気づいていたが、まさかこの人数だとは思わなかった琴たちに緊張が走る。

 武蔵は杖替わりにしていた五尺木刀を構える。琴や雄太郎、取り囲んできた男たち、そこにいる誰よりも早く体に殺気がみなぎっていた。組士たちも刀の柄に手をかける。

「落ち着いてくだされ、拙者どもは事を荒げたくはありません」

「……それは、貴方たちの目的がわたくしたちの命ではないという事でしょうか?」

 琴が言う。

「おっしゃる通りです。貴殿らが尾行していた男二人、彼らに用があります。一人は始末したが一人は逃がしてしまった。だが、どうやら貴殿らがその一人の居場所を知ってるという話を聞きましてな……。」

 浪人たちは丁寧に話しているものの薩摩のなまりがあった。

「俺たちが、はいそうですかと言って話すと思うのか?」雄太郎が言う。「何を交換条件にしたところで、人を殺めたと今しがた自白したような凶賊などに、口を割るわけがないだろうっ」

「さようでございますかな? ここにいる人間、ひとりひとりの命と引き換えなら……」

 そういうや否や、武蔵は五尺木刀で浪人の喉を突いた。

「ごぶぁ!?」

 さらにその隣にいた男の脳天に木刀を叩きつける。杖替わりにしていた木刀が得物だった武蔵は、抜刀していない誰よりも有利だった。

 柄で突き、刀身にあたる部位を握って繰り出される面打ち、武蔵の木刀の動きはどちらかというと杖術に近かった。

「は、話を聞……!」

「命を交渉ごとに使った時点で結論は出ておるわっ! やられる前にやるだけよっ!」

 さらに武蔵は別の浪人に迫る。

 その浪人は刀を抜こうとする。

 五尺木刀といえど距離がある。

 そのはずだったが、武蔵は木刀を浪人に向かって投げつけた。鉄で補強された木刀の先端が浪人の人中(顔面の中心にある急所)を打つ。

 手放された得物、しかし武蔵の手首には紐が結えてあり、その先端は木刀の柄に繋がっていた。武蔵は腕を引いて紐を引き寄せ木刀を手元に戻した。

 うずくまる浪人、武蔵は一瞬で三人の浪人を戦闘不能にしていた。

 だが、それでもまだ人数は賊の側に有利だった。

「三十六計逃げるにかず!」

 目の前の三人を打ちのめし、開けた道を走りだす武蔵、続いて琴たちもその後を追った。

「追え! こうなったや仕方なか!」

 浪人は薩摩言葉を隠すことなく叫んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る