薩摩藩士

「小頭っ」

 佐々木只三郎と別れてしばらくした後、中川の部下の隊士が口を開いた。

「なんだ?」

「あそこの料理屋に寄りましょう。弁当を用意するよう手配しています」

「ああ、そうだったか」

 新徴組には江戸の町の各地に市井の拠点があり、組士たちはそこで休息や用意された夜食を取っていた。

 中川の隊は料理屋に入った。店内では店主が依頼された隊士分の弁当を用意して待っていた。

「お待ちしておりました。新徴組の皆様方、どうぞ召し上がってくださいな」

 地方の貧しい農村の出身者も多い新徴組だった。江戸の料理屋が出してくれるまかないの様な弁当でも、感激のあまり喉を詰まらせる勢いで食べる者もいるくらいだった。

 武蔵はそんな中、箸を恐る恐る動かしながら弁当を食べていた。まるで、臆病な野良猫が与えられた餌を鼻を引くつかせて食べているようだった。

 琴は昼間の団子の件を心配して「お口に合いますか、武蔵さま?」と訊ねる。

 武蔵は「むっ?」目を見開いた。

 琴は素早くお茶の準備をする。

「むぅ、う、こ、これは美味なり!」

 武蔵は大口を開けて煮物や焼き物を口に運ぶ。

 江戸時代初期とくらべると、幕末には醤油の製法も塩の製法も飛躍していた。砂糖と同じ製法技術の変化なのだが、砂糖と違い、こちらは武蔵の口に合ったようだ。

「なんだ、たいしたものではないかっ。茶屋での一件でどうなることかと思ったが、なかなかどうしてっ」

「それはようございました」

 落ち着いて琴はお茶を入れて武蔵に差し出す。

「うむ、舌の中が何やら祭りのごとくにぎやかだ」

「そんなまかないで作った弁当でも、そこまで褒めていただけるなんて何だか恥ずかしくなりますぜ」

「弟子たちには、食い物などに執着するなとは伝えていたが、いやはや、こんな時代に生まれついていてしまっていたら、守るに難しいな」

 上機嫌に店主に武蔵は笑いかける。店主は照れながら、「良かったらこちらもどうぞ」と追加で佃煮を出してきた。

「ところで、前にお願いしていた件ですが……」

 熱いお茶の入った茶碗を手にした琴が言う。

「ああ、そうあの件ですね、うちの女房が聞いたらしく……。おぉい!」

 そう言って、店主は店の奥に入っていった。

「あの件とは?」隊士が琴に訊く。

「はい、お店の方に“不審な人がいたら教えてほしい”という曖昧な頼み方では伝わりませんから、聞きなれない土地の方言を使うお客さんがいたら教えてほしいと頼んでおいたんです」

「は~、しかし、ここは江戸だぞ? 中沢。地方からくる人間なんていくらでもいるだろう?」

「そうです、なので長州と薩摩の方言の傾向を一覧表にしてお茶屋さんや旅籠屋さんに渡してあるんです」

「それはどうやって……」

「桑原さまにお願いしたんですっ」

 すると、店の奥から女将が出てきた。手には一切れの紙があった。

「ええ、ええ、きましたよ」女将はその一覧表を確認する。「え~と、薩摩は語尾に“もす”“がよ”そして訊く時には“け”でしたわよね」

「何だそれだけか」武蔵が言う。

「桑原さまも別に方言の研究家というわけではないので……。」

「あれは……夕暮れ時でしたよ。一応店は開けておりましたがね、ちょっと早いお客様だなぁって思ってたんです。で、その方々がなんとなく……喋り方のクセが強いなぁっ……て」

「なんとなくです……か」

「人相などは?」中川一が訊く。

「ええ、一人はやせ形で頬が出てる、浪人風の方でした。もう一人は結構背が高い方です。あ、あちらの方ほどじゃないですけれど……。」

 女将は武蔵を見る。

「後は、背が高い方は若白髪が多かったですかねぇ……」

「他に何か、身なりなどの特徴はございませんか?」

「身なりではないですけど……少ぉし、臭いが……ですねぇ……いや、人様の臭いに対してあれこれ言うのはあれですけど、お食事をお持ちした時に、少し臭うので他のお客様のご迷惑にならなければなぁって思ったぐらいですかねぇ……」

「その浪人風の方々は、普段からよく来られるのですか?」

「そうですねぇ、たぶん、二度目じゃないですかねぇ。うちの店は常連さんしか来ないから、見慣れない方が来られると印象に残りますから……。」

「薩摩藩邸の人間だという可能性は?」中川が問う。

「薩摩藩邸があるのは三田です。三笠からは距離があり、わざわざそこから遠出してくるのは不自然かと」と、琴が答える。

「こっここが足を運ぶほどの名店だということはないのか」

「いやだねぇお侍さん、おだててくれるの嬉しいけれど、うちは常連で回してるような店なんだよぉ」と女将が謙遜する。

「なるほど……。では昼の見回りに、それらの人相の浪人を探すように伝えるか……。」と、中川が言う。

「ししっしかし、お前らは新徴組は決まった人数で、しかも揃いの赤笠や提灯を持って歩いているのだろう。そんな集団が探っておれば、相手にもそれを気取られてしまう。奴らは、ここっこちらこそを避けて行動するのではないか?」

「では、いかがいたしましょうか?」と、琴は武蔵に訊ねる。

「にに、二度あることは三度ある。店主よ、迷惑でなければ、このお店に張らせてもらうのは? もちろん、お店に対してはそれなりの礼を出すとして」

「武蔵さん、あんたはそんなことを勝手に決められる立場じゃないだろう」と中川が言う。

「掛け合えばよかろう、ききっ聞くにお前ら新徴組は幕府から活動費をもらっているそうじゃないか」

「しかし、もし仮に松平様(松平権十郎:新徴組の指揮をとっていた庄内藩家老)が駄目だと言ったら店に何というんだ」

 武蔵は店を見渡す。

「ささ、殺風景な店だ」

「はぁ……。」

「俺が、ここっこの店のために、絵を一枚描いてやろう。俺の絵は大名に献上してやってたものだ、代々の家宝になるぞ」

 琴はつくづく、たいした自信を持って生きている人なのだなぁと感心する。

「でだ、かかっ仮にそいつらを見つけたとしてもだ、のこのこと尾行をするわけにもいかん。奴らは自分たちが追われる身だと知っているのだからな、そういうことには敏感であろう」

「じゃあどうするんだ?」中川が訊く。

「くっくく、幸い、新徴組には二百人を超える組士がいるというではないか……。」

「もしかして……」

 翌日、新徴組は各々が私服で例の料理屋に張り込むようになった。制服を持たぬ新徴組だったが、一応、士気の統一という事で茶色や黒めの袴や羽織を着用していたが、それもやめて、各々が町人風の恰好で今回の勤務に臨むことになった。

 武蔵の案、それは料理屋で張り込み薩摩の男二人組を待つ。彼らが来店し、食事を終えた時には一緒に店を出る。しかしそれだと露骨なので、途中で別の組士の班に切り替えて、適時尾行する人間を変えていくというものだった。新徴組だからこそなしえる人海戦術だった。

 ちなみに、武蔵と琴は体が大きく目立つという理由で別々の班になった。

 張り込み開始前、三笠の屯所で琴と顔を合わせた時に、武蔵は驚いた。

「そういう趣味があったのか」

「そんなこと……!」

 しかし、かく言う琴自身も、久しぶりのにどこか恥ずかしさを感じていた。

 目標としていた浪人たちは予想以上にすぐに見つかった。

 風体もそうだが、会話の中の「奴らは何処におっとじゃろうな」という、ふいに出たなまり、そして店の女将の合図もあって、彼らが薩摩の人間だという事が確認できた。

 ふたりが食事を終え、女将に勘定をしていると背の高い男が訊ねる。

「このあたりで薩摩の人間が出入りしていないか?」

「え?」

 女将は突然の質問に声を高くしてしまった。

「覚えがあるのか……?」

「いや、薩摩っていわれても……何か薩摩の人たちに尻尾が生えてるだとか、そんな特徴があれば分かりますけれど……。」

「薩摩の言葉を使うような……いや、分からんのならいいんだ」

 どうやら、彼らもまた誰かを探しているようだった。

 ふたりの薩摩藩士が店を出た後に続き尾行を始めたのは沖田林太郎と中沢良之助だった。尾行が目的だが、もし何かがあった際には少数でも取り押さえに入らなければならない。そのため、組士の中でも特に剣に優れたものが選ばれた。

 店を出るとしばらくし二人が尾行し、ある程度の区画まで行くと別の二人組に交代する。

 兵法者宮本武蔵の、尾行を戦になぞらえての作戦、先手を打ち敵の予想外の場所からの包囲する。剣豪として知られているが、戦場での兵法書も書き残している宮本武蔵ならではの発想だった。

 男たちは江戸の店を周るという、観光客のようにも見えたが、観光にしては回る場所が妙だった。蔵が並ぶ町の裏といった人気のないところや、山道に入り寺や神社の様子を見たりしている。とはいえ、寺で参拝をしている様子もなかった。

 組士たちからその報告を受けた、三笠で待機していた桑原玄達と柏尾馬之助は互いに意見を言い合う。

ちらも誰かを探しているということでしょうか……。」

「江戸は広いですから、誰かはぐれた藩士と待ち合わせをしているという可能性もありますよ」

しかしたら、江戸の町の様子を検分して、薩摩の仲間と共有するつもりなのではないでしょうか」

「尊攘派の活動は京都です、そんな情報を仲間と共有してどうしようというんですか」と、馬之助は言う。

「とはいえ幕府が、この国の機能の中枢が長年あったのは戸、何らかの形で拠点は必要ではありましょう」

「しかし……いざ薩摩の人間だからといって、どういう名目で取り締まるのです? 親戚周りや観光巡りできたなど言われたらどうしようもありませんよ? 薩摩出身というだけで罪にするのはいかがなものかと」

「それは、そうですが……。」

 ふと、桑原玄達はなぜ柏尾馬之助が薩摩藩士を尊攘派と考えたのかと疑問に思った。薩摩ならば、今は島津久光のもと公武合体こうぶがったい派が主流ではなかっただろうか。

 しかし、事態は急変する。翌日に男のひとり、長身で若白髪の男が川辺で遺体となって見つかったのだ。

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