剣豪の剣と暗殺の剣

「まったく、困った男でした。昌平黌しょうへいこう(当時の最高学府。後の東京大学に連なる)出身と言いますが、人というのは学があり過ぎると空想にふけるところがあるようです」

 痛ましい様子で佐々木只三郎は首をふる。

 新徴組組士たちの心中は複雑だった。そも、清河八郎という存在にどれほど思い入れがあるかどうかと言われるとなかなか難しいものがある。大言壮語であり、そのくせ言うことに一貫性がなく、さらには自分たちを見下しているような節さえあった。しかし間違いなく、彼らはほんのひと時、大きな後ろ盾なく、剣術と弁術のみで国を変えようとした清河八郎と理想を共にしたのだ。

 その清河八郎を、この目の前の男は斬殺し、さらにその首を橋の上にさらしたのである。

 かつては同志でありながら白昼の下堂々と裏切った佐々木忠三郎は、しかし今では同じ徳川の旗の下、江戸を守護まもる職に就いている。

 立っている場所は同じ。だが、そこに至るまでが違う。その道程は血で汚れている。

 中川一が制止をかけているが、一部の隊士は今にも抜かんばかりの勢いである。

 しかし、佐々木只三郎はどこ吹く風といった様子だった。

「……おや、男装のお侍様、今宵も見廻りですか」

 琴に気づいた只三郎は言う。

 琴の体が緊張する。仮に立ち会うとなった場合、薙刀の琴と小太刀の只三郎の相性は悪い。間合いを取れれば琴が圧倒的有利、取られれば圧倒的不利。ならば琴は先に仕掛けるよりほか仕方ない。

「そんなに怖がらないでください中沢殿」

 琴の様子を悟った只三郎が言う。

「私はこの烏合の衆の中にあって、貴方のことは高く評価しているんです。まっすぐに武士道を歩む貴方をね。貴方が女性にょしょうであるかどうかなど、私はまったく気になどしませんよ。武士に必要なのは武士道だけ。そしてすべての武士道は徳川へと繋がり、徳川が日の本を泰平へと導くのです。ならば、あなたもその泰平を作るひとり、一介の武士を名乗る資格があります」

 丁寧だが感情の欠いた声だった。それでも、その言葉はほだされやすい琴の心を捕らえた。

「ろくでなしの良之助と違ってね」

 ほだされた後、琴の心は斬りつけられた。独断で攘夷を敢行しようとした清河八郎、そしてその一味となっていた良之助を只三郎は蛇蝎の如く嫌っていた。

 琴は言葉を失くして立ち尽くす。いつの間にか間合いだった。

「大丈夫です、貴方と兄上は別人ではありませんか」

「……。」

「けれど心配ですよ、あなた方新徴組の中には、未だに尊王攘夷の夢を見ている方々がいらっしゃるそうですから」

「そそっそれは誰だ?」

「はい?」

「尊攘派がいるのであれば、お、おお教えてくれればよかろう」

「いえ、そういう話を聞くということです。事実、彼女の兄上は尊攘派でしたからね」

「ん、それは今でもそうだという話か? 良之助本人からそう聞いたと?」

「武蔵さま」琴が小声で武蔵をいさめる。

 それでも只三郎は丁寧な口調を崩さない。

「誰ともなくですよ」

「何だお前、かかっ勝手に敵の影を大きく見て恐れておるのか。くくっくっ何とも操り易そうな男よ、きっと飼い主にとってはいぬになるのだろうなぁ」

 只三郎は武蔵ではなく中川一に質問をする。

「……小頭さん、どなたです? その図体のデカい方は?」

「う、うむ、宮本武蔵だっ」

 琴をはじめとする新徴組の面々は痛々しい顔をしする。中には手で顔を覆ている者もいた。

「宮本武蔵……実に面白いですねっ。とうとう新徴組は歴史上の人物さえもお仲間になさったんですか」

 只三郎は愉快そうに手をぱんと打った。

「そそっそうだな、こいつらは運が良いっ」

「まったく、人集めが雑多なのは相変わらずのようですね……。」

 只三郎は武蔵の元へ歩いていく。

「尊攘派、渡世人とせいにん、挙句の果てにはもの狂いまで……嘆かわしいのは、御府内を守護まもるためにはここまでしなければならないという、この国の混迷ぶりでしょうか。日の本に生きるすべての民が真剣にこの国を憂うならば、労力など惜しまず各藩は優秀な人材を江戸や京に集められるはずですし、農民も町人も増税などに不満など漏らすはずがないのです。そんな簡単なことさえできず、このような玉石混交の組織などを作らざるを得ないとは。家康公がこのざまを見たらなんと悲しむことでしょう……。」

「ならば俺の兵法でこの国を導いてやろう」

 武蔵の目は爛々と輝き、只三郎の目は濁っていた。

「……貴方のような正気を失っている方に出る幕はございません」

「くくっお前もまともな目はしておらんがなっ」

 止めなければならない。誰もがそう思っていたが、二人の剣客がかもし出している剣気に、陽心流柔術の使い手の中川一でさえ気圧けおされていた。

「伝説の剣豪……さてどれほどのお手並みか……」

 只三郎の手が静かに柄に行く。その柄の先は、だった。

 しかし只三郎が抜刀する瞬間、武蔵の五尺の木刀がすすぅと滑り、柄が只三郎の顎の下に突きつけられていた。鉄で補強された木刀の柄は、寸止めでなかったら只三郎の顎を砕いていたであろう。

「……何と驚きました」落ち着いた様子で只三郎は言う。「この態勢ではもう私は抜くことができませんね」

 そう言いつつも、只三郎はの手は柄を握っていた。

 すると武蔵は木刀を横にし、只三郎が柄を握る右手の上に押し付け動きを封じた。

「とぼけるな、これは小太刀だろう?」

「……なぜそう思われます?」

「太刀の柄にしては短い。それに、お前のは太刀を抜く時の動きじゃあないな」

 只三郎は柄から手を離した。

「宮本武蔵かどうかはわかりませんが……かなり使える方らしいですね」

 そして、新徴組の面々を見て穏やかに言った。

「清河はこれで討てましたのに」

 一部の組士が歯をむき出しにする。

「なぁるほど、頭は不確かですが腕は確かとお見受けしました。前言撤回いたします。新徴組、人集めに関しては、もしかしたらというところがあるのかもしれませんね」

 佐々木只三郎は「では……」と会釈して、見廻組の同士と去っていった。

「む、武蔵さま、あの方を刺激するのはおやめくださいっ」

 琴がやきもきしながら言う。

「俺が刺激? 刺激してきたのは奴の方だ。あんな陰湿な殺気に満ちた人間、俺が生きた時代でも早々お目にかかれんかったぞ」

「それは、そうですが……とにかく、あの方とはことを荒げるのはおやめください。冗談抜きで人死にが出ます」

「俺が、ここっ殺されるとでも?」

 琴は少し考えて、「確かに」と思った。この男、九州の戦場いくさばのど真ん中に放置しても、一週間後には平然と江戸の茶屋で真新しい袴を羽織って団子でも食べていそうではある。

 一方の佐々木只三郎は、武蔵たちから距離を取ると誰にでもなく呟いた。

「柄の長さ、確かに宮本武蔵あの方の仰るように迂闊うかつでした……。工夫しなければなりませんね」

 そして武蔵の指摘によって改められ、佐々木只三郎によって生み出された剣の工夫は、完全に小太刀を太刀に偽装することに成功し、ついには日本史史上最大の暗殺事件へと繋がるのだった。

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