清河八郎暗殺

──文久三年四月十三日


 浪士組の発起人ほっきにん清河八郎きよかわはちろうは焦っていた。どうにも自分の思う通りに事が進まなさすぎる。

 尊王攘夷のために集めた浪士組、いざ京に行ってみれば幕府から帰還命令を出され、しかも一部は異を唱え離脱してしまった。さらに江戸に戻って活動資金を集めるため、大商人の家へ強談をかけ大金を巻き上げていたせいで、町人たちからの風評も悪くなりつつあった。別に自分は遊ぶ金が欲しくて彼らに迫っているわけではない、商人たちには天下国家のための大事業、そのための当然の必要経費として金子を出させているのだ。日の本に生きる住人ならば、この国難を一丸となって乗り切ろうとするのは当然のことではないか。

 しかもそんな風向きが悪い中、雑多に集めた浪人の奴らが自分の真似をして、遊ぶ金欲しさに商人宅に押し入り、浪士組の名を出して金を引っ張るという始末だ。

 幕府だけでなく町人たちからの評判も最悪なため、勝手に資金集めをして豪遊するエセ浪士を粛正し、首を切り日本橋にさらしてみたが、それでも状況は変わらない。

 なぜ、天下国家を案じ日本の未来のために私心を無くし、身を粉にして働きまわる自分がこんな目にあわなければならないのか。

 まるで、丁半博打で十回連続で賽の目を外し続けているような心境だった。天という超越的な力が、積極的に自分を見離そうとしているのではないかという妄想さえ出始めていた。

 この清河八郎、盟友の高橋泥舟たかはしでいしゅうは「その天性猛烈であって、正義の念強く、体格堂々、威風凛々。音声は鐘のようで、眼光人を射る。一見して凡人超越の俊傑しゅんけつであることを知る」と評しているが、一方で当時を知る人間からは「八郎は非凡の豪傑であったが、短所として徳望とくぼうなく傍若無人・傲慢不遜とそしられ、長所たる果断も士業の障碍しょうがいを招いた結果である」とも評されていた。

 清河八郎がふらりふらりと麻布の一の橋を渡っていると、後ろから「清河先生」と何者かが声をかけてきた。

「……おお、君か」

 声の主は浪士組の取締役・佐々木只三郎だった。笠の影になり顔の全体は見えないが、口元は微笑んでいた。

「どうしたんですか先生、こんなところで」

 それは穏やかで、暖かみのある、しかし感情に欠いた声だった。

 佐々木はゆっくりと、笠の顎紐あごひもを解きながら清河に近づいていく。

「あぁ、金子君の家に呼ばれててね、これから自宅に帰るところさ」

 清河も笠を脱いだ。

「おや、どうしたんです先生、お顔の色が優れないようですが?」

 佐々木只三郎は首を傾ける。 

「いや、まったく恥ずかしい。ここ最近は思うように事が運ばずに、眠れない日々も続いていてね……。」

「浪士組の処遇も定まらぬままですからね……。」

「まったくだよ、あんな学もなければ品もない烏合の衆ではも達成できるかどうか心配さ」

 佐々木只三郎は静かに、暗い笑みを浮かべる。

「それはそれは……ではそんな先生に、私からぐっすり眠れる素晴らしいをお伝え致しましょう」

「お報せ?」


「……清河八郎は此処で死にます」


 佐々木只三郎と清河八郎は同時に刀の柄に手をかけた。

 清河八郎は玄武館げんぶかんで北辰一刀流の免許皆伝を受けた剣の上手、正面からいっても勝ち目はない相手だった。しかし──

「ぐぅお?」

 背後から斬りつけられていた。浪士組の窪田鎮章くぼたしげあきだった。

 一瞬、清河の抜刀が遅れる。

 しかし、それでも横に体を素早くずらし、清河は抜刀の態勢を作ろうとする。

 抜刀さえしてしまえば、例え二人相手でも勝てる自負が清河にあった。

 しかし、佐々木只三郎のの鞘から抜かれたのはだった。

 小太刀のために予想よりも速い抜刀からの一撃は、清河の頭を切り裂いた。刃は脳にまで達していた。

「かはぁっ!?」

 脳を損傷し朦朧もうろうとする清河、薄らいでいく意識の中で、彼は佐々木只三郎が神道精武流を学び「小太刀日本一」と称されていることを思い出していた。

 何とか声を上げようとする清河の口を佐々木只三郎は手で押さえた。

「お静かに、天下の往来です」

「あ……く……」

「大丈夫です、この国の未来行く末は我々で建て直します」

 佐々木只三郎は清河八郎の腹に刺さった小太刀を手の中で回転させる。小太刀に内臓が巻き付く。

「むぐぅ!」

「大丈夫です」

 そして刃を引き上げ、清河の内臓をずたずたに引き裂いた。

「ごっごっ!」

「落ち着いてください」

 清河は白目を剥いて痙攣けいれんするが、そんな清河の耳元に幾度も佐々木は「大丈夫です大丈夫です……」とささやき続けた。

 やがて清河が動かなくなると、佐々木は抱きつくように密着していた清河を押し倒した。

 倒れた清河八郎に気づき、その様子のおかしさに立ち止まる通行人が出始めていた。

 そんな群衆をしり目に、佐々木只三郎は清河の襟を引き下げ、まるでマタギが獲物を解体するように、黙々と清河の首を小太刀で切り落とし始めた。

 死後硬直の前の清河の体は、佐々木只三郎が小太刀を前後に動かすたびにだらりだらりと動き、まだ血の巡っている首からはみゃくみゃくと鮮血が流れていた。

 その陰惨な光景のあまり、橋の上では嘔吐する者、気を失う者さえいた。

 佐々木只三郎は独り言のように「騒がしいものですね……」とつぶやいた。

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