凶刃・佐々木只三郎

 その夜、武蔵と琴は夜回りに出かけた。今日は中川一の参番隊に混じっての勤務だった。

「武蔵殿、今宵こよいはよろしくお願いいたします」

 手短に中川は武蔵に挨拶をした。参番隊は小頭(隊の隊長)の中川が寡黙なので特に会話のない隊だった。

 中川は中背だが、体の部分部分がごつごつと大きく、実際の身長よりも一回り大きく見える男だった。この陽心流柔術の使い手の肩、二の腕、拳は鍛錬のためか小ぶりの岩の様だった。雰囲気も体つきも武骨な男だった。しかも毛がかなり濃く、指の毛などは一般人の眉毛ほどの濃さがあり、さながら絵巻物の豪傑のような外見をしている。数日髭を剃り忘れると顔面が毛だらけになってしまうという噂まであるくらだった。しかし顔立ちは凛々しく、中川の友人などは、毛さえなければあいつは嫁に困らないのに、と嘆いているのだという。

「……しかし中川とやら、お前、かなり毛が濃いな」

 夜回りを開始してすぐ、中川の背後についていた武蔵は配慮なく言った。後襟から見える首と背中も毛まみれだった。

「ちょ、武蔵さまっ」

「ああ、早くに亡くなった父も毛が深かったそうだ。母はよく言ってたよ、お前のそのは授かりものなのだから、自分の姿を見る度に父上との縁を思い出しなさいと」

「ほぅ」

 他意のない武蔵は納得して頷いた。

 惚れっぽい琴はその小話で中川に好意を抱いていた。

「まぁ、自分でも少し邪魔だとは思うが……。」

 そう言って中川は袴の胸をはだけさせて胸の剛毛を見せた。部下の隊士たちは「見せんといてくださいよ小頭」と顔をそらす。

「おおっ俺は養子だったからな、実際ほんとうの父も母も知らん。気にもしたことはなかったが、なるほど、そういうかかっ考え方もあるのか。新しい見識を得たぞ中川。俺の父か母は上背があったという事か……。」

「そういうことになるかもな」

「うむ。……では琴よ、お前のその背の高さは両親似か?」

「いえ、家族でわたくしだけが大きいです」

「何だお前、木の股からでも生まれたのか」

「そんな図体でよく人の事をおっしゃいますね」

「くっくくく、時に中川よ、お前の体のその肉付き、面白い鍛錬をしているようだな」

「ああ、俺は剣よりも柔術の組手の方が多かったからな」

「おぉ、やはりそうか。うむ、徒手での鍛錬を積むとそうなるのか」

「宮本武蔵が柔術に興味があるのか? 剣聖のあんたが?」

「別に、刀にこっここだわりがあったわけではない。武士が日常で持つのは大小二刀、それが世の常になりつつあったからな。使えるものを使っておけというだけだ。もし十手の世になっていたら、十手術を使っていた」

「……。」

「しかし、徒手というのは良いな。もしかしたら、やがてかかっ刀を持つことを禁止される時代も来るかもしれん。だが、すす、素手ならば禁止のしようがない。流行りはせんかもしれんが決して廃れもせんものだ、徒手の武術は」

「面白い考え方をするな」

 仏頂面が多い中川の顔がほころんでいた。

「しかしあんた、宮本武蔵という割には饒舌じょうぜつなんだな」

「俺は、かかっ寡黙かもくだと伝わっとるのか?」

「そういえば、そういう話は聞かんな」

「けけ、け剣以外も使えなけらばならん、舌も兵法には必要なものだ。黙ってて有利になるというのは、打ち込まずに有利になるというくらいに難しいものだ」

「なるほど、五体を駆使して使えるものはすべて使うということか」

「その通りっ」

宮本武蔵この人は人と打ち解けるのが上手いな……。)

 わずか二日の付き合いだったが、琴は武蔵の事をそう評するようになっていた。例え剣がいくら強かろうとも、宮本武蔵を名乗る人間を、そうやすやすと人は受け入れないはずだ。だが、この自称宮本武蔵は、仮に本物ではなかったとしても不快感を人に与えないものがあった。

「刀にこだわりはない……だから今夜はそれを持っている訳か」

 中川は武蔵の得物を見る。

 武蔵の得物、とかく長い。五尺(約150cm)はある。棒術用の棒のようだが、反りがあるので、やたら長い木刀と考えた方がいい。しかし、木刀ではあるが先端と柄の先端、そして刃にあたる部分には鉄板が打ち込んであった。柄の先端には紐が括り付けてあり、それが武蔵の手首と繋がっている。

 一見しただけで、その道具をどう使うかが分かるものだった。単純に長物として使える。間合いは刀より遥かに広い。柄にも鉄鋼が施されている所から、棒術のように柄の部分でも攻撃を念頭に置いているようだ。さらに、刃部分の鉄板、武蔵が道場で千葉雄太郎や柏尾馬之助との立ち合いでの戦術から考えると、刀をへし折ることだってできそうだ。手首の紐は得物を手放さないための工夫とも思えるが……恐らく投げてすぐに手元に戻すためだろう。

 それは単純だが、徹底的に合理的かつ効率的に、人を破壊することに特化した代物だった。

 武蔵の得物と言えば、二天一流からの二刀流を思い浮かべられそうだが、武蔵は諸国を旅する中では、この五尺木刀を愛用していた伝えられている。事実、武蔵は有馬喜平から吉岡清十郎、佐々木小次郎にいたるまで、決闘はほぼ木剣による撲殺で勝負をつけているのだ。

 しかし、木刀というには異形すぎるこの得物を一体何と呼べば良いのか、隊士たちは顔を見合わせる。

「うむ、刀は簡単に刃こぼれするし折れるからな、ここっの方が俺は好きだ」

「な、武蔵殿っ、刀が折れやすいなどと……それは未熟な者が半端な造りの刀を使うからではありませんか。名刀を正しく使えば、刀は折れもせぬし曲がりもしませぬっ」と、隊士のひとりが言う。

「相手は常に動く、まな板の魚の様にはいかん。けけっ剣の達者とていつでも同じように切れるわけがなかろう。さんざん道場で多方から打ち合っておきながら、い、いざ実戦となれば型稽古の様に相手が動いてくれると? しかも自分が名刀を持っていること前提ときた。いいい戦場いくさばでは、どこぞのものか分からん刀を拾って戦わなければならん時もあるのだ」

「う……く……」

「もともと戦では刀などほとんど使わん。だいたいが矢か火縄、近くても槍……。」

「武蔵さまっ」

 琴が割って入る。

「うん?」

「昼間のお話をお忘れで?」

「……うむ」

 武蔵は黙った。

「昼間の話……?」中川が訊ねる。

「団子が甘すぎたという話です」

「……。」

 その後、中川一が率いる参番隊はしばらく夜回りを続けた。慕われると同時に疎まれているというのは本当らしく、新徴組を見るなり部屋の戸を閉める女房や、道を必要以上に開けて歩く旦那衆もいた。さらには元来江戸の警備をしているはずの同心 でさえも新徴組にへりくだっていた。

 そんな同心たちに対して、新徴組隊士たちは胸を張るように歩いていたが、琴だけが「お勤めご苦労様です」と頭を下げていた。

 しかし、江戸の誰も彼もが新徴組にへりくだっていたわけではない。

 酢漿草かたばみの提灯を見ながらも道をあけない者たちがいた。

「あれは……。」

 中川一が目を細める。

 視線の先にいたのは、幕府見廻組みまわりぐみ佐々木只三郎ささきたださぶろうだった。当時、江戸の警護は庄内藩の新徴組に一任されていたわけではない。いくつかの藩が自らの家中の三男四男を招集し警備にあたらせていた。その中の一つに見廻組があった。

 隊士たちの気がいっせいに引き締まる。それは、新徴組にとって佐々木只三郎が特別な意味を持つ人物だからだ。

「これはこれは新徴組の皆さん。今宵は道に迷わずに歩いておりますか?」

 丁寧で静かだが冷たく鋭い口調、くっきりとしたの字の眉毛に吊り上がった目は、おろしたてのかみそりのような印象を与える。

「久しぶりだ、佐々木さん」中川が言う。「あんたはお役御免になったんじゃあないのか?」

「いぃえ、私の仕事は幕府から高く評価していただいておりましてね。縁あって、私はいま幕府直属の見廻組をやっています。不本意ですが、あなた方と同じお役目ということですね」

「あれだけのことをやっておいて幕府直属だと……!」と、一部の隊士が言う。

「よせ」と、中川がそれをいさめる。

「なぜ憎まれるのかが分かりません。私は常に道を正しているだけですよ。私のおかげで、貴方たち新徴組は正しい道に戻れたのではありませんか」

「正しい道だって!?」

「そうではありませんか、危うくあなた方は朝敵になるところだったんです。私はそれさえも救って差し上げたのですよ。あの清河八郎という男の魔の手からね」

 武蔵は眼球をぐるぐると動かしながら、組士や見廻組の面々を見る。どうやら、浅からぬ因縁が彼らにはあるようだった。

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