過去(戦国)と現在(幕末)

 昼になり、中沢琴は武蔵に江戸の町を案内することになった。他の組士は武蔵を恐れその役目を敬遠していた。

 琴も喰えない男だとは思うが、同時にもっとこの男から話を聞きたいという気持ちもあり、その役割を買って出ていた。

 武蔵は江戸を見渡しながら言う。

「うむ、は江戸なんぞ幕府があるだけの田舎だと思っていたが、なんとなんと二百年も経てば立派なものになるものだ」

 武蔵が記憶している江戸は、森や草原の多い、開拓以前の場所だった。だが、今では地面は整備され、建物は整頓され、日本中から様々な文化が集まるにぎやかな場所になっていた。

「……あまり、きょろきょろしないでくださいね」

「なぜだ?」

「……怪しまれてしまうからにきまってるじゃないですか」

 宮本武蔵と中沢琴、六尺(180cm)と五・六尺(170cm)の男女が歩いていれば、必然的に人目を引く。

「ふむ、二百年を経て、てっきり女性にょしょうの背が高くなったとばかり思っていたが、お前が際立っているだけか」

「悪ぅございましたね、大きくて」

「く、くくっ、何事も大は小を兼ねる。引け目に思う必要などあるまい」

 すると、遠くから「あ、琴様だっ」と女の声がした。

 武蔵がその方を見ると、三人の町娘がいた。

「せーの……おね~さま~っ!」

 町娘たちは手を振って琴を呼んだ。

 琴はそちらを見ると、微笑んで手を振って見せた。

 琴の微笑みを受けると、三人娘は黄色い悲鳴を上げて輪っかの様にして抱き合っていた。

「なんだお前、ににっ人気者ではないか」

「は、はは……。」

「名が知られるというのは良いことだ」

「まぁ、悪評でないのなら、良いのでしょうね……。」

「む?」

 武蔵が足を止めた。

「いかがしました、武蔵さま?」

 武蔵の視線の先には大工の作業小屋があった。中では大工がのこぎりやかんなといった道具の点検をしている。で細かく、十分の一寸もの誤差を調整しているようだった。

 武蔵は小屋に近づくと「せせ、精が出るな、棟梁とうりょう殿」と大工の背中に声をかける。

「ん? 誰だいアンタら?」

「ししっ新徴組だ」

「な、新徴組……?」

 江戸を(過激に)警備する組織が自分の仕事場に現れたことに、大工は驚きを隠せなかった。

「今日は非番だがな」

「そ、そうか。で、あっしに何の用だい?」

「いやなに、感心なものだと思ってな。仕事の時間など終わっているだろうに仕事道具の整備か」

「ああ、あっしぁ仕事終わりでもこういうことをやってないと落ち着かない性質たちでしてねぇ。いつでも仕事に出る時は万全な状態で挑みてぇもんですから」

「うむ……素晴らしき心掛けよ」

 武蔵は「聞いたか琴よ」と琴を振り向く。

「ここっこの大工のあり方こそ、まさに兵法に通ずるものだ。すなわち、いつ何時なんどき、仕事場、戦場いくさばに出ても満足いく仕事ができる準備を整えておかなければならないということだ。道具を趣味で磨くのではない、理屈をごねるでもないただ最善の仕事のために日常を生きるということだ」

「いやぁ、そんなに褒めていただけるなんて光栄でさぁ」

「うむ、そんなお前に頼みごとがあるっ」

「へ?」

 大工小屋を出た武蔵に琴が訊ねる。

「何をなさっていたのです?」

「うむ、おお俺専用の得物が欲しくてな。これではどうも用が足りぬ」と、武蔵は預かりものの大小二刀を軽く叩いた。

 琴は大工のいた小屋をふり返る。

(得物? 鍛冶屋ではなさそうだったけれど……?)

 その後、ふたりは茶屋に寄った。

 茶を飲んでいると、奥から店主が「おまわりさん」と声をかけてきた。

「ご主人、いつもお世話になっております」と、琴は頭を下げる。

「いえいえ、世話になってんのはこちらですよ。新徴組のおかげで、随分と江戸は落ち着きましたからねぇ」

「そう言っていただけるとこちらも励みになります」

 ふたりはぺこぺこと頭を下げあった。

「よろしかったら、こちらをどうぞ」

 そう言って、店主は団子の乗った皿を差し出してきた。

「ああ、そんなっ、悪いですよっ」

 琴は断ったが、店主の強引さに押されて、そのまま団子の皿は二人の座る長椅子の間に置かれた。

「ふむ、お前らに世話になることに決めて正解だったな。お前らはかなり江戸の人間に好かれてると見える」

「……。」

「何か思うところが?」

「わたくしたちは……さまざまな思惑を経て新徴組になったんです」

「ふむ?」

「もともとは、尽忠報国の士として集まった集団でした……それが……」

「むぉ!?」

「ど、どうしましたっ?」

 見ると、武蔵が団子を口に含んで驚愕していた。大きな目がぎょろぎょろと回転している。

「まさか喉にっ?」

 急いで琴は茶を進める。

「あ、甘いっ」

「え?」

「ああっ甘すぎるぞ、なんだ、どどっどうしたらこんなに甘くなれるんだ?」

「は、はぁ……。」

 製糖技術は江戸時代中期から飛躍的に進歩する。特に江戸においては、京から職人が進出し菓子職人の技術も上がっていた。

「だだっ大丈夫なのか? こんなに甘いものを食べても? 体にさわらぬのか?」

 先ほど、自分を含めた三人の剣士を打ちのめしたとは思えない武蔵の様子に、笑いをこらえられなかった。

「うむ……俺のくくっ口には合わぬな……。で、“もともと”なんだ?」

「……はい、元々は幕府のために集まったのですが……その後、尊王攘夷だと……。武蔵さまは尊王攘夷は……ご存じで?」

「知っているぞ、清の国の言葉だろう」

「あ~……場所を変えましょう」

「ここ、これはどうする?」

 武蔵は残った二本の団子を指さす。

 すると琴がひょいと摘み上げ、二本とも一気に平らげてしまった。

「なんとっ」

「おいひいれすよ」

 その後、琴は人気のないボロ寺に場所を移し、何とか自分の知識で黒船の到来から攘夷派の活動、そして長州と薩摩の話をした。そして最後に「改めて、桑原さまや山田さまに訊いた方がよろしいかと」と念を押した。

「ふ~む……。けけっ結局のところ、徳川が倒れそうという事か?」

 琴は慌てて口に指をあてた。

「滅多なことを言ってはなりません、そうならないように、わたくしたちが頑張っているのではありませんかっ」

「で、元々はお前たちは幕府のために集まり、そそっその後幕府を倒す集団になり、そしてまた幕府のための集団になったというわけか?」

「……はい」

「それに何か問題が?」

「え?」

「世の流れに上手く乗じた、それに何の非がある?」

「いや、ですから、そんな、いわば主君を変えるような真似を何度も繰り返すなんて、謀反人のような……」

「ぶぶっ武士は七回主君を変えねば武士とは言えぬ、そう豪語した奴もおったわ」

「七回って、そんなの武士道に背きますよっ」

「武士道武士道というが、武士は道を守るために存在するのではない。武を利用するために存在するのだ。さっきの大工を思い起こしてみろ、奴ら大工が大工道など持つか? 大工は良い家を建てるために働くだけだ、そして武士は戦いに勝利するために働くものだ、目的を達成するためにな。で、お前らの目的は何だったのだ?」

「尽忠報国、幕府のためです……。」

「国といったら必ず徳川幕府というわけでもあるまい。鎌倉も足利も幕府だったぞ。もし次に幕府が立ったら、そのために身を尽くしても尽忠報国となるのではないか? いや、幕府にこだわる必要もない。天皇でも良いし藩でもよい、日の本の大地そのものを国と考えてもよい。何ならお前の村でも良いではないか」

「村が国ですか?」

「国など考えるにあいまいだ。血のつながった家族や縁者の集まりや育った土地の方が想像し易いだろう。要するにだ、お前は行く先を決めておらんのだ。だから道に迷う」

「……では、そうおっしゃる武蔵さまは道を決めておられるのですか?」

「うむ、おおっ俺は俺の兵法を証明するっ」

「それは……何のためにです?」

「その先の問いはないっ」

「……ずるくないですか?」

「もし、俺の生き方が間違っていても、後悔はしない。後悔したとしても、どうせその後に後悔したことを後悔することだってあるのだからな。だからな琴よ、後悔を受け入れられる覚悟、それができる道を選ぶのだ。それが武士だ」

「それが分からぬから苦労しているのではありませんかっ」

「くっくくく、俺も若い頃はそうだった。気に病むことはない」

「……では、武蔵さまが道を決めたのはいつ頃なんですか」

「五十くらいの時だったなっ」

「そ、そんなにかかるんですか……。え、ていうか、それまで吉岡とか岩流とか、いろんな人と決闘をして……?」

「三十くらいから殺す必要はないと確信した!」

 琴は、この男とは言葉が通じるが心は通わないような気がしてきた。


 武蔵と琴が三笠の屯所に戻ると、武蔵と琴に千葉弥一郎が駆け寄ってきた。

「酷いっすよ琴さん、二人で行っちゃうなんてっ」

「あ、ごめんなさい、弥一郎さんが一緒に行きたいって知らなくて……」

「いや、俺も言ってないんすけど……なんか、俺の名前が、こう……候補に挙がらなかったのかなぁって」

「どうしてです?」

 琴は首をかしげる。

「え、ほら、だって、武蔵さんと出会ったのは、俺と琴さんだから……さぁ」

「そうですね、弥一郎さんにも声をかけておくべきでした。何だかわたしだけ抜け駆けしたみたいですよね、次は弥一郎さんも一緒に武蔵さまの案内に行きましょう」

「そ、そっすか? でも、それだと俺がわがまま言ってるみたいで……。」

「え……?」

「くっくくく、鈍いな、琴よ。小僧の胸の内を分かっとらん」

「ちょっ武蔵さんっ」

「小僧は二人きりで江戸の町を回りたいのだ」

「あーー!?」

「この宮本武蔵とな!」

 武蔵は自分が好かれているという事に絶大な自信があった。諸国を放浪中には、大名たちにしばしば「そちらに行くから世話を頼む」という趣旨の手紙を送っていた。

「……三人でおなしゃす」

「うん……?」

 気落ちしてた弥一郎だがすぐに気持ちを切り替えた。

「そうじゃなかった、いま中庭で試し斬りやってんすよっ」

「へ~」

「ほぅ」

「それで、武蔵さんの試し斬りの腕も見てみたいって組のみんながっ」

 琴は武蔵を見る。

「面白い、良かろう」

 武蔵たちが中庭に行くと、そこには並べられた巻き藁があった。

「……ん?」

 中庭の光景を見た武蔵は目を見開いた。

「おお、武蔵殿が参られたぞっ」

 武蔵に気づいた新徴組の面々が盛り上がる。

「是非、二天一流の試し斬りを見せてくだされっ」

 武蔵は巻き藁に近づき、そして周囲を見渡す。

「はて、試し斬りをすると言われてきてみたが……これは何だ」

「何って、巻き藁ですよ。試斬用に用意したんですっ」

「……試し斬りとは、これを斬ることを言うのか?」

「……え?」

 武蔵は周囲を再度見渡して言う。

「死体くらい用意せんか」

 一同は沈黙した。江戸初期までは、試し斬りでは生きた人間、もしくは死体を使っていたのだ。

「こんなものを斬って何が分かる? 肉も骨も臓腑ぞうふも、こんな薄い畳を巻いた代物しろものとは全く勝手が違うぞ?」

 組の面々は、気まずさで顔をそらさずを得なかった。半分は「もしかしたら本物の武蔵かもしれない」という者たちの申し訳なさ、もう半分は「まだ自分が武蔵だと言い張るのか」という者たちの辟易へきえきさだった。

「いやいや武蔵さん、いいじゃないですか、これでだってある程度の腕は分かりますよ。ほら……膂力りょりょくだとかぁ」組士のひとりが言う。

「剣の振り方は簡単だ、振って当てて切るだけだ。子供でもできる」

「子供って、いやいやそれはないでしょう~」

「ならばお前は、目隠しをした状態で刀を持った子供と戦えるというのだな」

「え?」

「子供の力でも斬られたら肉が切れ、突かれたら臓腑に届くぞ」

「まぁ……そりゃあ……。しかし、正しく切らなければ、刀が傷んでしまいます」

「“刀が傷む”とは刀の都合でお前らは戦うのか?」

「刀は……武士の魂ですから……」

「鍛え上げた五体以外に、武士の魂などあるものか」

 組士たちは「まぁ、やりたくないみたいだから、いいんじゃないのか?」と言って、自分たちで試し斬りをやり始めた。

 ある者は風車で、あるものは四本束ねて袈裟で切り、その技を競い合い褒めあっていた。

「ところでお前ら……。」

 その様子を見ていた武蔵は訊ねる。

「何ですか?」

「これを斬ってどうするのだ? 何かに使うのか?」

「……いえ」

「ならば、薪でも割っていた方が……。」

「武蔵さま、参りましょう」

 そう言って、琴は武蔵の袖を引いて去っていった。

 組士たちと距離があいたのを見計らって琴は言う。

「まったく、なんであんなことを言うんですか?」

「“あんなこと”とは?」

「誰も傷つけずに剣の腕を試せるんですから、別にけちをつけなくてもいいじゃないですか」

「あんなものを斬れて腕が上がったと思い込み、実戦の場に出てしまう方がよほど危ういと思うがな」

「武蔵さま」

「なんだ?」

 おのこ相手に顔を見上げるということに不慣れな琴だった。一瞬見上げた武蔵の顔に息をのんだが、気を改めて武蔵に告げる。

「時代は変わったのです、二百年の平和な時代が続きました。武蔵さまの時代はまだ戦国の気風が残っていた荒々しいものだったのかもしれませんが、それはそれです。現代に、わたくしたち合わせていただかなければ困ります」

 琴は言い切った後に、出過ぎたことを言ったかもしれないと心配になった。

「あいわかった」

「え?」

「時代がそうならそうなのだろう」

「分かって……いただけたなら……いいんですけど……」

「じじっ時代に逆らうのは阿呆のやることだっ」

「はぁ……。」

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