新徴組

 ──文久三年・江戸城下町


「なぁ旦那ぁ、俺たちはよぉ、おめぇが心配だからってわざわざこうして話を持ち掛けてやってんだぜぇ?」

 深夜、油屋を営む富江雁之助とみえがんのすけのもとには浪人の集団が詰めかけていた。

「簡単な話じゃねぇか、なに迷う必要があるってんだ?」

「いやぁ、そのぉ、困りますよぉ、お侍さん方ぁ~」

 客間で浪人に囲まれている富江雁之助は、脂汗をかきながら使いに遣った奉公人の少年が戻ってくるのを待っていた。

「俺たちに任せておけよぉ、そうすればなぁ? この物騒なご時世、あんたのところの店は安心して商売を続けられるんだぜぇ? 米屋の松井も酒屋の善次郎も、ここいらの治安はみぃんな俺たちに任せるってんだよぉ?」

 この浪人たちは強請ゆすり屋だった。街中の商人の家に仲間で押しかけ、何かと理由をつけては金子を商人側が出すまで居座り続けるという、幕末、黒船来航以降、幕府への信頼が失われ治安が悪化したため、この手の強談が横行していた。

「面倒な奴らに難癖なんくせ付けられてもよぉ、俺たちがちゃ~んとケツモチやってやるってんだからさぁ~」

 今まさに面倒な奴らに難癖なんくせ付けられているんだ、そう喉元まで出かかった言葉を、雁之助はごくりと飲み込んだ。

 すると、そこへ血相を変えた浪人の仲間のひとりが客間に駆け込んできた。

「大変だ! が来やがった!」

「なんだと!?」

 浪人たちは立ち上がり、お互いの顔を見合わせながら狼狽え始める。

「ぐぁああ!」

 外で一つの悲鳴がして、さらにもう一つの悲鳴とともに浪人が客間に入ってくる。その浪人の肩口は切り裂かれ、血が流れていた。

「お、お前、かたばみ相手に抜きやがったのか!?」

 先ほどまで、雁之助に強請をかけていた浪人が言った。

「だ、だってよぉ……。」

「ば、馬鹿やろう! ダメだ、おい、富江のっ、この店の裏口を案内……」

 浪人の口が止まった。浪人の視線の先には、酢漿草かたばみの酒井家家紋が印された、赤く輝く提灯があった。

「お……お……。」

「……こんばんわ、ずいぶんと賑やかな夜ですなぁ」

 客間に入ってきた男たちの先頭にいるのは、新徴組の組士で天然理心流の使い手、沖田林太郎(三十八歳)だった。朗らかだが高くしゃがれた声に細く垂れた目、毛量の多い頭髪を油で固めた真っ黒なまげ、ぱっと見は気さくな旦那といった面相の林太郎だが、彼らの手には抜刀された刀があった。白刃は血で濡れている。

「へ……へへ……。」

 先ほどまで余裕を見せていた浪人は、今では額に雁之助と同じような脂汗を浮かべている。

「待ってくれよ、まさか新徴組あんたらが来るなんてよぉ……。」

 浪人は新徴組の組士たちの後ろにいる奉公人の姿を認めると、雁之助を恨めしそうに睨んだ。雁之助は白々しく目をそらす。

「我々新徴組は、悪行を見つけ次第斬れと将軍様より仰せつかっています。しかし、大人しくお縄についてもらえると助かるのです。乱暴なことは嫌いないものでしてね」

 浪人は肩口から血を流している仲間を見る。おそらく、有無を言わさず斬られている。

 しかし、沖田の言うように大人しくお縄についた所でその後の人生はまともには歩めない、余罪が明かされれば打ち首獄門の可能性さえあった。しかし、同時に混迷した時代でもあった。上手く逃げおおせれば役人たちに追跡されず罪を無かったことにできるほどに。

 ならば賭けに出る価値がある、浪人たちは瞬時にそう判断した。

「どけぇ!」

 浪人たちは一斉に飛び出した。新徴組の組士たちの横を間をすり抜けて、死に物狂いの逃走だった。しかし──

「ぐぁ!?」

 すり抜けた瞬間、浪人は背中を切られた。

「な? なんで、斬るん……ぎぃあ!」

 突然仲間を切られ、戸惑った浪人をさらに組士が切り伏せる。

「大人しくしないと斬るって言ましたよねっ!?」

 しゃがれた声を荒げて林太郎が言った。

「て、抵抗って……俺たちは抜いてもな……!」

「抵抗の意志を見せたらそれで十分でしょうがぁ!」

 沖田林太郎は雁之助にからんでいた浪人に太刀を振り下ろす。浪人は額から血を流し、白目をむいて倒れた。

 切り捨て御免──「手打ち」「討捨うちすて」とも呼ばれる、武士が農民や町民に侮辱されれば斬ることがゆるされる、江戸時代の武士の特権階級を象徴したこの言葉は、しかし実際には江戸時代に頻繁ひんぱんに起きた出来事ではない。二百六十年近く続いた江戸時代にあっても、記録に残されているのは数えるほどである。それはこの切り捨て御免は、正当性を証明するためには複数の目撃証言を必要としており、そうしてもなお、改易(領地の一部の没収)などの処罰を受けなければならない場合もあったからだ。それほどまでに、階級社会と言えど、その権威を行使するには細心の注意が必要だった。

 だがこの幕末には、徳川幕府から悪即斬の特権を得た集団がいた。

 日本各地より剣の心得のある者を集めた剣客集団・新徴組である。年齢や身分は問われなかった。問われたのは尽忠報国の志と剣の腕のみだった。

「ひ、ひ~!」

 浪人のひとりが戸を打ち破って店の外に逃げ出した。店の外には往来には二名の組士が待機していた。

「ど、どけぇ!」

 浪人は体当たりで一人の組士を弾き飛ばすが、その前にさらにもう一人の組士が立ちはだかった。組士は半身になって構えている。

「くそが!」

 浪人は腰の一本差しを抜刀する。

「死にてぇのかコラ!」

 浪人その組士に襲いかかる。

 刀を振り上げた瞬間、浪人の目の前を光が走った。

 すると浪人は体の均衡をがくりと崩し、そしてうつ伏せに倒れた。

「……あれ?」

 正面には残身の組士の姿があった。脇構えで気づかなかったが、組士の得物は薙刀なぎなただった。

「……え?」

 浪人は自分の足元を見る。そこには、足首から半分切断された自分の足があった。ぱっくりと割れた傷口からは白い骨が見えている。

「な、な、なんだってぇ~!?」

 浪人は「ひぃぃぃぃ」と悲鳴を上げながら足首を抑えて地面を転げまわる。

「あ、あ……。」

 浪人が顔を見上げる。一瞬で自分の足首を切断した相手に恐怖していたが、その顔を見て息を飲んだ。

(女……?)

 薙刀での一閃、浪人の足首を切り落としたのは中沢琴だった。琴は男装していたが、それでもなお、月明りで照らされた端麗な顔立は、正体を隠しきれていなかった。

「う、う、ちきしょう……。」

 浪人は這いずりながら何とか立ち上がろうとする。

 そんな浪人の鼻先に、中沢琴が薙刀の刃先を突きつけた。

「あ……う……。」

「……抵抗すれば斬る、と小頭(新徴組での隊の隊長の呼称)さまが伝えていたはずですが」

 浪人は刃を突きつけられながらも琴をにらむ。

 琴も睨み返すが、心臓は胸骨を割りそうなほどに激しく鼓動していた。

「く……ぐぅ!?」

 突如浪人が呻き、琴が「な!?」と驚く。 

 倒れている浪人に刀が突きつけられていた。やったのは琴ではなかった。

 同じく新調組の組士、千葉雄太郎(二十三歳)だった。精悍せいかんな顔立ちだが、鉄面と呼ばれるほどに表情が硬く冷たい男だった。

「千葉さま……。」

「女の情けか」

「そんな……。」

「だから貴様はと言われるのだ」

 千葉雄太郎のまっすぐな眼差しに琴は目を背ける。千葉は少し唇をゆがめると、納刀して油屋へ入っていった。

「ひ、ひぃ~~!」

 油屋の中では、雁之助の妻のがか細い悲鳴をあげ腰を抜かしていた。客間で三人の男たちの死体が、床に血だまりを作っているという酸鼻な光景を目にしたのだ。

 そして悲鳴こそは上げなかったが、雁之助もまた尻をついたまま立ち上がることができなかった。確かに浪人たちの狼藉には困っていたとはいえ、問答無用で殺害されては感謝していいのか恐怖していいのか分からない。しかも、切り捨てが自分の家の客間で行われ、浪人たちの血で汚れたとあっては、もうこの部屋は掃除するだけでは足りないだろう。商売人の客間なのだから、床板を張り替えるくらいはしなくてはならない。

「ふむ……。」

 周囲を見渡し、沖田林太郎が言った。

「油屋さん、あなた方の家に押し掛けた浪人どもはこれで全員でしょうか?」

「え、あ……はい」

「そうか……今宵はよく報せてくださいましたなぁ。御府内ごふないの治安維持に協力してくれたこと、新徴組を代表して心より感謝いたす。……では」

 そう言って、沖田は組士を連れて部屋を出ようとする。

「え? あ、あの……。」

「なにか?」

「あの、この浪人たちの亡骸は……。」

「あぁ、町奉行の者が、後ほど遺体を引き取りに参りますが故、どこか適当なところに片づけておくが良いでしょう」

(適当なところって……。)

 沖田林太郎が油屋を出ると、そこには多くの野次馬たちが集まっていた。彼らへ注がれる眼差しは多種多様だった。

 新徴組が江戸市中の見回り始めて、確かに江戸の治安は安定を見せていた。後の「おまわりさん」の語源になるほどに、彼らが町を巡って警備をすることは一つの江戸の風景になりつつあった。

 しかし一方で、悪人とはいえ問答無用で人を切り捨てる彼ら新徴組を忌み嫌う者も多くいた。


 ──蟒蛇うわばみよりも酢漿草かたばみのほうが恐ろしい

 当時に詠まれた流行歌より


 様々な思惑をはらんだ視線を見ながら帰路につく新徴組組士たち、それは自分たちの眼差しに対しても同様だった。

 特に組士の中沢琴は胸中複雑だった。琴は町人たちの視線から避けるように深くうつむいていた。

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