黎明

 1842年、大英帝国と清国の間で開戦したアヘン戦争は、ふたを開けてみれば大英帝国側の圧勝で終わった。それまでは、いくらアジア諸国が鎖国体制のために文明・技術で遅れをとっていようと、開戦した場合には大きなリスクを伴うと信じられてきた。しかし、「眠れる獅子」として警戒されていた清国の敗北は、欧米列強にひとつの事実を明るみにさせた。


 アジア諸国恐るに足らず


 この戦争を機に、欧米諸国は次々にアジアの支配に乗り出していく。その標的になるのは、極東に位置する日本も例外ではなかった。


 つつしんで古今の時勢を通考するに、天下の民ハすみやか相親あいしたしむものにして、そのいきおいハ人力のよく防ぐ所にあらず。蒸気船を創製せるにより、以来このかた各国相へだたること遠くてなお近きに異ならず。かくの如く互によしみを通する時にあたりて、ひとり国をとざして万国と相親しまざるハ人のミする所にあらず。貴国歴代の方に異国の人とまじわりを結ぶことを厳禁したまふハ、欧羅巴ヨーロッパ州にてあまねく知る所なり。ここに殿下に丁寧に忠告する所なり。

 ──オランダ国王 ウィレムⅡ世


 数少ない通商国から差し伸べられた救いの手、しかし当時の徳川幕府は外国船の打ち払い礼を発布はっぷという愚挙ぐきょに出た。この期に及んで彼らは世界が狭くなっていたことを理解していなかったのだった。

 あの黒い怪物が海を渡ってくるまでは。

 多くの欧米列強が自国での革命や植民地での反乱に手を焼きアジア進出が後手になっている最中、最初に日本に綻びを作ったのはアメリカ合衆国だった。

 安政元年(1854年)、アメリカ合衆国大統領ミラード・フィルモアの命を受けたアメリカ東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーは、七隻の軍艦、通称・黒船を引きいて浦賀に現れ条約の締結を強引に迫った。

 それまで目にしてきた、オランダ商船やイギリス海軍の帆船ほせんとは違う、太平洋をわずか十日で横断する蒸気機関で動く戦艦は、その当時の日本人にようやく世界における自らの立ち位置に気づかせた。あまりに大きく、さらに既に清国敗北の事実に震える極東の島国は、なすがままに条約を締結ていけつすることとなった。

 そして、この一方的な不平等条約の締結を知った列強は、乗り遅れるなと言わんばかりに次々と不平等条約の締結を日本に迫るのだった。その様はもはや、猛獣の群れに体をむさぼられる小鹿のようだった。

 もはや徳川幕府にこの国をべる力はない、しかしそれを知ったのは列強だけではなかった。

 幕府に対する不満や不信、軽視により、農民や町民は一揆いっきや打ちこわし、侍は倒幕とうばく尊王攘夷そんのうじょういを名目とした強談ごうだんや強盗で世を乱すようになっていた。

 黒船来航以来、日の本は世も人の心も乱れきってしまっていた。

 かかる事態を憂慮ゆうりょした徳川幕府は対処のため、とある集団を組織する。身分年齢を問わず、彼らに問われたのは剣の腕と尽忠報国じんちゅうほうこくの志のみ。

 浮浪の徒が跋扈ばっこし、市中にて殺傷にあう者が多発し、押借おしがりりや強請ゆすりが急増していた当時の江戸の城下町、尋常では取りしずめが行き届かない故、老中松平信義まつだいらのぶよしはその剣客集団に実に明瞭かつ簡潔な命を下した。


──世情がとかく物騒であるため、悪行を働く者ついては見かけ次第からめ捕らえるには及ばない。その場においてすぐに切り捨て、速やかに御府内ごふない鎮静ちんせいとなるよういたせ。白刃を振り回し手に余るならば、


 かくして、二百六十余年続いた徳川の天下泰平の世において、有名無実となっていた切捨御免きりすてごめんを有言実行する集団が誕生したのである。

 その剣各集団の名は──


「恐ろしき者といふなる“新徴組しんちょうぐみ”」

 幸田露伴『風流仏』より

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