第20話 5月26日(金)の日中(part2)~続・初めての体育とやっぱり気になる視線~
これは体育教師が十五分間走の終了の合図を出す少し前のこと。
熱中症対策でスタート地点の外側に設営されたパイプテントには十八人の生徒がいました。
「お、おい! 見ろよ、あれ!」
一人の生徒(仮に少年Aとします)がトラックの方を指差しました。その先にいたのは、トラックの反対方面を走るタナカくんの姿です。この時、タナカくんの走り方は既に女の子走りでした。
みんなの視線がタナカくんに向けられます。
「な、なんて可愛い走り方なんだ……!」
「けど、あれで男なんだろ……!? あんなに可愛いのに……っ!」
「男とは思えない……」
「くそぉ! 神様はなんて残酷なんだっ! あの子が女の子なら……っ!」
「……今からでも女の子になってくれないかな? 『呪い』とかで」
少年B~Fの男子たちがタナカくんの可愛さに見惚れたり、運命を嘆いたりしています。
「ああ! また隠れちゃった! もっと見たかったのに……!」
「くっそ! 誰だよ、あの冴えないヤツは!」
「前行くか後ろ行くか、どっちかにしろ! 並走すんな! タナカが見えないだろ!」
「ああ、もう! 完全に隠れた!」
少年G~Jの男子たちは、彼らとタナカくんとの間に入ってくるパッとしない容姿の男子にイラつきを覚え、しっしっ、と虫を払うようにしたり、そこを退けという念を送ったりします。
「も、もう、タナカなら、僕は目覚めていもいいかもしれない……っ」
「……ああ、イケる」
「たぶんヤレる……っ!」
「ま、不味い! 先を越される! は、早くタナカくんと仲良くなれる方法を考えないと……!」
「なっ!? こんなにライバルが!? タナカを狙ってるのは俺だけじゃなかったのか……!?」
もうタナカくんの性別なんて関係ないと考えている少年K~Oの男子たち。
延べ十五人の男子生徒たちがタナカくんの走っている姿に夢中になっていました。それはもう、芸能人の追っかけさながらです。ですが、タナカくんは、これは偶々なのですが、運よく自身やコバヤシくんの身体に前身を隠せていたため、彼らに前から見たいという衝動を見事に掻き立てさせました。
走っていた生徒も十何分も走ったあとだったため、タナカくんを気にしている心のゆとりはなく、まぐれで「女の子の身体になっていることを隠し通す」ことに成功した形です。
パイプテント内が、タナカくんを正面から見ようとする者たちでごった返すなか、まともに授業を受けている生徒の数はいかほどだったでしょう。
それは、タナカくんとペアになった生徒だったり、ペアの生徒の十五分間走をちゃんと計測していた生徒だったり。或いは、
――開始前にタナカくんのことをじっと見ていた人物であったり――
……………………
「よーし! 終了! 五分後に後列組をスタートするぞ!」
体育教師の声が響き渡って、タナカくんは地獄の十五分が終了を迎えたことを知りました。もうへとへとだったタナカくんはすぐさまその場にへたり込みます。例によってべた座りです。
「……はぁ、はぁ、んくっ、はぁ、はぁ……っ」
両手を腿に挟んで、天を仰ぎながら息を整えるその姿は、もはや狙ってんのか? というレベルで可愛さと艶めかしさを振り撒いていました。本人にその気はまったくないのですが。
「はぁ、はぁ……! ふぅ。三周と四分の三ってところ、かな? はぁ、ミナトがいたから、はぁ、ち、ちょっと、ペース、上がってた、かも……。はぁ、はぁ……っ。ふぅ、ミナトは四周半、走れるんだよね? でも、なんか、はぁ、かなり、疲れてるみたい、だったけど、大丈夫――って!? な、なんでまた、そういうこと、するかな!? ミナトはっ!」
「はぁ、はぁ……――へ?」
ずっと隣を走っていて、前回より飛ばしていたというコバヤシくんが若干開き気味の両膝に手をつきながらタナカくんの方を振り向き、労いの言葉を掛けようとします。が、その姿を捉えた途端、一喝しました。もうくたくたで思考が麻痺してしまっているタナカくんは目をぱちくりさせるだけです。
「あ、あのさぁ、ミナト……。今、女の子っぽいって言われても、仕方がない格好、してるからね?」
「――ッ!?」
コバヤシくんに指摘されて、タナカくんは初めて自分の状態を俯瞰してみることができるようになりました。正常な判断能力が戻ってきます。そのポーズはいろいろとアウトでした。
まず、何が駄目って、腕が服を押さえるような形になってしまっていることと深く息を吸っていることで胸の膨らみが露わになってしまっているからです。
ただ、幸いだったのは、タナカくんたちがいる場所がスタート地点から遠い場所であったこと。他に十五分間走を行っていた生徒たちは、すぐさま撤退しようとパイプテントの近くにいる時に終われるよう速度を調整しており、タナカくんたちの近くには誰もいなかったのです。これは今日の暑さのお陰でしょう。
それと、もう一つ。タナカくん関連でテンパったコバヤシくんは割とポンコツになることです。
「ああ、もう! 疲れてる所為か、幻覚が見える……! む、胸が……っ。ほ、ほら! 早く立って、ミナト!」
コバヤシくんはタナカくんの胸を幻覚だと捉えたようです。視線を逸らしながら手を差し伸べてくるコバヤシくん。タナカくんは慌ててその手を取りました。
タナカくんの方を見ていなかったからでしょうか? または、タナカくんに胸がある幻覚を見てしまったと思ったことで恥ずかしさや自分への苛立ちが沸き起こってきたからかもしれません。タナカくんの腕を引くコバヤシくんの手に思わぬ力が加わってしまいます。タナカくんは強く引っ張られてよろめきました。そして、
「あ! ちょっと……!」
タナカくんは制止するようにと呼び掛けましたが、コバヤシくんは止まりません。タナカくんはコバヤシくんの胸に寄り掛かってしまいます。
なんとか身体の間に畳んだ両腕を滑り込ますことができ、胸がコバヤシくんに触れることをガードしたタナカくんでしたが、顔がゆでだこのように真っ赤になるのは避けられませんでした。
「な、ななな……っ!?」
「あ、ごめん、ミナト……! 怪我してない!? って、顔赤いけど、もしかして熱中症!?」
妙なスイッチが入ってしまったコバヤシくんに肩を掴まれて、タナカくんは心臓を大きく跳ねさせられました。
「……違う。……赤くない。……ソウの見間違い……っ」
耳まで赤くしたその顔を俯けて、そう呟くのが精一杯でした。
タナカくんたちがそんなやり取りをしているところに近づいてくる影が二つあります。
「ヒューヒュー、お熱いね、お二人さんっ。流石は二年一組全員が公認するベストカップル。やることが違う。こんな炎天下の下で抱き合うなんてなっ」
そう軽口を叩いてくるこの人物はタナカくんたちと同じクラスのヤマダ・ソラくん。スポーツ少年な見た目の男の子です。彼は顔や首に大量の汗を掻きながら爽やかな笑顔を浮かべています。他人を揶揄いながら爽やかな笑顔を浮かべるのはどうかと思いますが。
「だ、抱き合ってなんてないよ! ミナトが暑さにやられちゃったみたいだから保健室に連れて行こうと思ってたところ!」
「……っ。……ちょっと転びそうになったのを、支えられただけ。……みんな、おかしい。……べ、ベストカップル、って何? ……僕、お、男、だからっ」
ヤマダくんの言葉にコバヤシくんもタナカくんも一瞬状況確認のために見つめ合いましたが、すぐにバッと離れて反論します。タナカくんに至っては、ヤマダくんにだけでなくコバヤシくんにも、同時に両者への訂正を行うという器用な芸当を見せていました。ヤマダくんに対しては「抱き合っていない」ということを、コバヤシくんに対しては「保健室に連れて行かなくてもいい」ということを。そしてベストカップルのカップルの部分も否定しようとしましたが、それはあとからやってきた人物によって阻まれました。
「別におかしいなどということはないでしょう? 男女間でなされるものが全てではないのですから。男同士であろうと女同士であろうと、カップルにはなれるはずです。違いますか?」
そう言ってきたのは、彼もまたタナカくんたちと同じクラスのヨシダ・ヒナタくん。クールな感じで眼鏡を掛けた勉強ができそうな見た目の男の子です。今は体育の授業のため眼鏡は外されていますが。ヨシダくんは汗一つ掻いていません。
「……ち、違わないかも、だけど。……でも、ソウには、彼女いるし。……だから、ベストカップルじゃない……」
ヨシダくんの言葉を受けて、タナカくんはたじろぎました。反論の材料を一つ封じられたためです。
別にタナカくんはコバヤシくんとカップルに思われることに嫌悪感なんてありませんでしたが、むしろちょっとその言葉の響きににやけそうになるくらいだったのですが、それでも、カップルだと思われてはいけない理由があったのです。そう、
――コバヤシくんには付き合っている人がいる――ということです。
ですので、コバヤシくんのために、変に誤解が生じるようなことは避けるべきである、とタナカくんは認識していました。自分で言っておいて、胸にチクリと痛みが走っていたのは秘密です。とはいえ、この痛みがどこから来るものなのかということをタナカくんは何もわかりませんでした。それでも、隠しておいた方がいい、ということはなんとなく察せられたのです。ですので、タナカくんは一切表情を変えませんでした。
果たしてその痛みは、
――「コバヤシくんとはベストカップルではない」と否定したことによるものか、
――「コバヤシくんには彼女がいる」と言ったことによるものか、
――はたまた、その両方か
タナカくんが悩み、苦しむなか、ヤマダくんが「コバヤシくんに彼女がいる」という部分に食いつきました。
「はぇ? コバヤシ、付き合ってる人いるのかよ? タナカというものがいるのに? 誰よ?」
ヤマダくんはコバヤシくんに迫ります。
「ち、ちょっと、ミナトっ。……え、えっと、五組のイチジクさん、だけど……」
ヤマダくんの圧に負けて、コバヤシくんが正直に打ち明けるとヤマダくんだけでなく、その話を横で聞いていたヨシダくんも驚嘆の声を上げました。
「は? 五組のイチジクっていうと、あのイチジクか!? イチジク・エマ!? この学校で一番可愛い女の子って言われてるあの!? 嘘だろ、おい……」
「そ、そういえば、イチジクさんには彼氏ができたのではないかという噂が立っていましたね……。それもお相手は絶対に釣り合わないはずの冴えない男子らしい、と。ま、まさか、コバヤシくんだったとは……」
二人が、イチジクさんならもっと上を狙えるのでは? みたいなことを言い出したため、コバヤシくんは少し落ち込みます。それでも、自分の立場はわかっていると言わんばかりに自嘲的な笑み浮かべて言いました。
「まあ、わかるよ、言いたいことは。僕だって未だに信じられないくらいだし。でも、イチジクさんがピンチになってるところに出くわして、助けたなんて大それたことは言えないけど、時間稼ぎくらいはできたんだと思う。それで親しくなって、付き合うことになったんだよ」
三人のこの一連の流れは、タナカくんにとって複雑でした。コバヤシくんとイチジクさんが不釣り合いならベストカップルに思われていた自分の方がコバヤシくんの近くにいられるのではないか、みたいなことを考えて浮かれそうになってしまったり、でも反対に、それはコバヤシくんに魅力がないみたいなことを言われているということでもあるのでそこは納得がいかなかったり。タナカくんからしてみれば、コバヤシくんはイチジクさんをしても余りある気さえしていたのです。ここは喜ぶべきなのか悲しむべきなのか、タナカくんには判断がつきませんでした。
何もできないタナカくんを置き去りにして話は進みます。
「ほぇー。にしても、タナカだけじゃなく、イチジクまで侍らせてるとか、お前どんだけだよ。どんな善行積んだら、そんなことができるわけ? 羨ましすぎるだろ!」
「侍らせてる、って、言い方……。でも、なんでミナトも? イチジクさんは去年の学園祭の美少女コンテストで一位だったから、僕なんかが彼氏じゃあ、凄まじい非難が集中するだろうな、とは予想してたけど……」
タナカくんとイチジクさんの二人を侍らせていてズルいと妬むヤマダくんに、イチジクさんと付き合っていることをとやかく言われるのはわかっても、そこにタナカくんも含まれることが理解できないコバヤシくん。タナカくんも、まさか自分の名前がイチジクさんと一緒の位置に出てくるとは思っておらず首を傾げました。タナカくんたちがそうしていると、盛大な溜息をつかれます。
「はぁ。お前、知らないのかよ? タナカってさ――
――性別が違ってたらぶっちぎりでミスコン優勝してたんだぞ?」
「「……は?」」
ヤマダくんの説明に、タナカくんとコバヤシくんの声がシンクロしました。二人とも、ますますわけがわからなくなったために起こった現象でした。
タナカくんたちの様子を見て、今度はヨシダくんがわかりやすく解説してくれます。
「それでは伝わりませんよ、
「要するに、お前の周りには一番可愛い子と一番可愛い女の子がいるってわけだ」
「へ、へぇー……」
「……」
理由を知って、唖然です。コバヤシくんなんて「ミナトならそういう結果になってもおかしくないかも?」と思いつつも、こんなことを思うのは本人に悪い、という感覚もあって納得しているのか困っているのかよくわからない表情になっていました。タナカくんは学校一可愛い女の子よりも可愛いと認められていたことに愕然とします。学園祭という特殊な空気感が悪ノリをさせた可能性も大いにあるのでしょうが、到底容認できない結果が出されていた事実に溜息すら出てこず、苦い気持ちにならざるを得ません。相変わらず表情の変化は乏しいですが。
タナカくんの様子を心配そうにちらちらと窺ってくるコバヤシくん。にやにやとした笑みを向けてくるヤマダくん。タナカくんからの反応を興味津々で待っているヨシダくん。「これは何か言わないと勝手に解釈されるヤツだ」とタナカくんは感じました。
ここで少し去年の学園祭の話を。確かにタナカくんのクラスの出し物は異性装喫茶でした。もちろん、タナカくんがやりたいと言ったわけではなく、当時のクラスの大半の女子が「可愛いタナカくんに女の子の格好をさせたい」という望みを抱いており、それを合法的にやっても問題がないという機会を得てしまったことで暴走した結果、あの惨劇を招くことになったのです。
タナカくん以外の男子の女装はお世辞にも可愛いと言えるものではなく、女子の男装もクオリティはよくありませんでした。おまけに、飲食店でバイトをした経験があったのもタナカくんだけで、タナカくんはキッチンにホールにと大忙し。休む暇なく動き回っていました。一年四組の出し物なのですが、もうほとんどタナカくんだけで回していたのです。
そのお陰というか、なんというか……クラスの子に「料理はタナカくんがつくった」とばらされたこともあって、クラスを訪れたお客さんは全員、タナカくんのおいしい料理と懇切丁寧な接客に大満足で帰って行きました。これが得票に繋がった形です。ちなみに、この時のタナカくんの服装がこの学校の女子の制服だったことも、獲得票を伸ばした要因の一つだったりします。その女子の制服を誰が貸したか、ですが、当時、タナカくんとクラスメイトであったツルシインさんという子でした。
「……それ、絶対、その場のノリ――」
タナカくんがとりあえず、自分が一番可愛いと見られているというのは何かの間違いだと言おうとした時、
「おーい! お前ら! いつまでもそこにいるな! 後半が始められんだろうが!」
体育教師の怒声に遮られました。
振り向いて確認すると、スタート地点には汗をあまり掻いていない十七人の生徒が並んで待っていました。進行を邪魔していたことに気づいた四人。タナカくんやコバヤシくん、ヤマダくんはパイプテントの方へ、ヨシダくんはスタート地点へと急いで向かいました。
その途中、タナカくんがスタート地点の近くを通り過ぎた時、
「――ッ!」
また、突き刺すような視線を感じました。今回は勢いよく振り返りますが、そこにはヨシダくんも加わって十八人になった生徒の群れ。視線を送ってきた人物を見つけることはできませんでした。タナカくんは寒気を覚えました。
「どうしたの、ミナト?」
「……ううん。なんでもない……」
コバヤシくんが尋ねてきてくれますが、タナカくんはやはりこう答えることしかできませんでした。
さて、以降はパイプテントで繰り広げられていた、先ほどまで走っていた生徒たちの会話です。
「くっそ! タナカ、めっちゃ可愛い走り方してたって!」
「マジで!? 俺、最初の方、見てたけど、普通だったような……」
「後半かららしいよ? 疲れてきて走り方が変わったんだと」
「後半……。オレ、余裕なくて全然他のとこ見れてなかった……」
「俺も……」
「俺のペアの話によると、女の子走りだったらしい……」
「マジで!?」
「だああああ! 見てみたかった! なんでへばってたんだ、俺!?」
「……ふっ。俺は見てた」
「なっ!? なんでお前にそんな余裕が!?」
「! こいつ、わざと速度落としてやがったな!? 本気でやれって
「他にも見てた奴はいるか!? チクってやる!」
「……チクってやるって言われて名乗り出る奴はいない」
「あ! こいつも真剣にやってないぞ、これ!」
タナカくんの走っている姿を見たか見ていないかで、なかなかにカオスってました。
「……? あいつら、揃いも揃って何やってんだ?」
「……さあ。なんかミナトが関係してるっぽいけど……」
「……」
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