第18話 5月25日(木)の放課後(part2)~浮かれるタナカくんと贈り物~

 その日、タナカくんは浮ついていました。


 朝からお昼にかけてこの世の終わりみたいに気持ちが沈んでいたというのに、放課後の保健室でコバヤシくんにつくってきたお弁当を食べてもらい、おいしいと言ってもらえただけでそれまでが嘘のように心が晴れ渡ったのです。「我ながら単純なのではないか?」とタナカくんは自戒しようとするのですが、嬉しさはとどまることを知らないようで押さえつけることはできませんでした。

 あのあと、タナカくんはコバヤシくんと一緒に下校したということもあって、心は喜びに満ち溢れていました。表情に出てしまうほどに。


「ミナト、なんか変わったね」


 これは、帰り道でのコバヤシくんの言葉です。


「……そ、そう?」


 コバヤシくんに指摘されて、タナカくんはドキリとしました。姿が、正確には性別が変わってしまっていましたから、コバヤシくんにそれを見抜かれたのではないか、と一瞬身構えましたが、続くコバヤシくんの言葉にタナカくんは呆気にとられます。


「うん。なんていうか、表情が多くなった。前まで基本的に仏頂面で、変化があっても小さくてわかりづらかったっていうか……」


 身体に関してのことを言われると思っていたのに、コバヤシくんに変わったと思われていたのはまさかの精神こころの方でした。ですので、タナカくんはなんて返せばいいのか咄嗟には出てこず、きょとんとしてしまいました。

 タナカくんが固まっている間にコバヤシくんは締めくくります。


「だから、いいと思う、その顔。今、すっごく楽しいんだなって、とっても伝わってくるから」

「っ!」


 そうタナカくんに告げたコバヤシくんは、「じゃあ僕、こっちだから」と笑顔で言って、岐路を自分の家の方へと進んでいきました。

 歩いていくコバヤシくんの背中をただ見ていることしかできなくなっていたタナカくんは、彼が角を曲がってその姿が見えなくなったあと、停止していた思考が戻ってきます。急激に熱くなった両の頬に手に添えて、タナカくんは悶えだしました。感情が表に出ることがあまりなかったタナカくんですから、先ほどのコバヤシくんの発言は、まるで心の中を見透かされたような、秘密にしていることを暴かれたようなそんな感覚になったのです。ただ、タナカくんの豊かになった表情を見たのがコバヤシくんであったことと、「いいと思う」と言われたことで、「ソウがそう言うなら、二人の時は問題ないか」とタナカくんは捉えることにしました。


 タナカくんはコバヤシくんがいなくなった通路を眺めます。


「……もうちょっと、一緒にいたかったな……」


 無意識に、そう口ずさんでいました。



……………………



 残りの道を少しだけ寂しく思いながらも、タナカくんは温かい気持ちで家に帰りました。


 帰宅して、手洗いうがいを済ませたタナカくんは家事に取り掛かります。まずはお弁当箱の洗浄。袋から取り出して、その容器を見ただけでタナカくんは顔を綻ばせました。


「~~~~♪」


 タナカくんは上機嫌でお弁当箱を洗っていきます。昨日までのタナカくんでしたら、いえ、昨日もお弁当をつくる時は既にこうだったのですが、その前の洗い物をする際は無表情で淡々とやっていたのです。その作業を、今日のタナカくんは笑顔で行っていました。

 これは明らかに心境に変化が起きています。そうなのですが、タナカくん本人はそのことに全く気づいていませんでした。


 夕食の下拵えに、お部屋やお風呂の掃除、それらを終わらせても夕食の準備に取り掛かるにはまだ早い時間だったため、コーヒーでブレイクタイムをするタナカくん。僅かで、慎ましくはありますが、優雅なひと時を満喫していたタナカくんの家に、誰かが訪れます。



――ピーンポーン



 来訪者を知らせる呼び鈴の音が聞こえ、タナカくんはカップをソーサーの上に置き、玄関へと向かいました。

 スコープを覗いてみると、やってきたのはどうやら宅配業者のようです。タナカくんが扉を開けると、その人物は言ってきました。


「宅配便でーす。ここに名前をお願いしまーす」


 タナカくんに宅配サービスを頼んだ覚えはありません。ですが、お届け先は間違いなくタナカくん宛てになっていました。疑問に思いながらもタナカくんが荷物を受け取ってサインをすると、その宅配業者の方は確認もそこそこに、タナカくんの家の敷地内に停めてあった小さめのトラックに乗り込んで行ってしまいました。

 タナカくんも扉を閉めて鍵を掛け、荷物を持ってリビングへと戻りました。


 包装を開いてみると、中には隠されるようにして商品が入っていました。


「……こ、これって……!?」


 タナカくんは言葉を失います。何故なら、そこに入っていたのが女性物の下着だったからです。

 「これって、宅配の人が間違えた!?」と慌てふためくタナカくん。兎に角、商品を包みに戻そうとして、タナカくんの指に何かが触れました。それは少し厚めの紙です。メッセージカードと呼ばれるものです。

 二つに折り畳まれたそれを開いて見ると、差出人は知っている人物でした。


『高校生なら体育があるだろうから必要だと思って見繕っておいた。お前が今、付けてるヤツのスポーツ用で同等の効果がある。とりあえず、五着送っておく。


PS.水泳の授業は休めよ、

                              ツユリ・イチカ』


 この下着はツユリさん(タナカくんが女の子になった時に身体を調べてくれたお医者さん)からの贈り物だったようです。タナカくんはスポーツ用のものがあることを知りませんでしたから、これが送られてくることも予想できておらず、肝を潰されました。

 女の子の生活についてよくわかっていないタナカくんですから、タナカくんよりタナカくんの身体のことをいたわってくれているツユリさんにタナカくんは頭が下がります。


 メッセージカードにはもしもの時のためにツユリさんの連絡先も記されていました。ですので、タナカくんは早速感謝を伝えることにします。

 コール音が三回鳴って、通話が繋がりました。


『……もしもし?』

「……あ、あの、つ、ツユリ、さん? ……み、ミナト、です、けど、今、大丈夫、ですか……?」


 タナカくんは女性に電話をするなんて初めてのことでとても緊張していました。タナカくんが名乗ると、ツユリさんは考え込みます。


『……ミナト? ミナト、ミナト……。済まない。名前を伺ってもいいか?』


 時間は大丈夫そうでしたが、ツユリさんは「ミナト」を苗字だと勘違いしました。


「……あっ、いや、ミナトは名前で、苗字はタナカ、です……」

『タナカ・ミナト? ……ああ! 息子ちゃんか!』


 タナカくんが訂正を入れると、ツユリさんは相手が誰なのかを理解しました。相手があの息子ちゃんタナカくんであることがわかると、ツユリさんは大体のことを把握します。


『連絡してきたってことは、あたしからのプレゼントは届いたってことだな。ちょっとは気を利かしたつもりだが、どうだ? 体育の授業には間に合ったか?』


 連絡先を交換していなかったタナカくんから電話が掛かってきたことから、贈り物が無事にタナカくんの元に行きついたのだと推し測るツユリさん。そのことについては確かめるまでもなく確信している様子で、ツユリさんは「タイミングはばっちりだったかどうか」という確認を入れてきます。


「……うん。……あ、いえ、はい。……体育は、月、火、金、だから。……間に合った、です。……ありがとう、ございました……」

『そっか。それは何よりだ』


 タナカくんのクラスの体育がある日は月曜日と火曜日と金曜日の週三回でした。タナカくんが女の子になったのは火曜日の朝であり、その日は学校を休んだため明日が身体が変わってから初めての体育ということになります。

 タナカくんがそう告げてお礼を述べると、ツユリさんは「間に合ったようでよかったよ」と電話越しで微笑みます。それはタナカくんに伝わりました。


『それで? 体育では何をやるんだ?』

「……長距離走、って、聞いた……聞きました……」

『うげっ。マジかよ……』


 ツユリさんが授業の内容を聞いてきたのでタナカくんが答えると、ツユリさんは心底嫌そうな声を上げます。ツユリさんは運動が嫌いなようです。


『だったら、なおさらだな。息子ちゃんはしっかりしてるから大丈夫だとは思うが、飲み物とタオルを忘れるなよ? あ、あと、替えの下着も。男子の中には気にしないヤツもいるらしいが、息子ちゃんとかたぶん大変なことになると思う。明日は特に暑いらしいし』

「……わ、わかっ……りました……」


 それからツユリさんはアドバイスをしてくれました。タナカくんは着替えなどをあまり学校へ持っていかないタイプだったので、言われなければ持っていっていなかったでしょう。タナカくんのことを親身になって考えてくれているツユリさんの言葉なので、タナカくんは聞くことにします。


『……ああ、そうだ。メッセージにも書いたと思うけど、六月にもなったら水泳の授業が始まるだろ? ちゃんと休めよ? 流石に水着じゃその身体隠せないだろうしな』

「……大丈夫。……うちの学校、水泳、ない……です……」

『おお! 都合がいいな! ……ハハハッ、なんだよ、折角息子ちゃんのスクール水着姿拝めると思ったのにぃ!』

「――い、いらない! 拝まなくていいっ! ……です!」


 話は懸念事項へ。水泳の授業の心配をするツユリさんに、タナカくんは自分の通う学校にはその授業がないことを伝えて安心させます。杞憂で終わったことで、気分が大分楽になったのでしょう。ツユリさんはタナカくんを揶揄ってきました。タナカくんにとっては、それは冗談では済まなかったのですが。


「……もう、切る! ……切ります……っ」

『なあ、息子ちゃん』


 ツユリさんに弄られて、居心地の悪さを覚えたタナカくんは通話を切り上げようとしましたが、その時、ツユリさんが呼び掛けてきました。タナカくんはスマホを操作しようとしていたのをやめて、再び耳に当てました。


『敬語、苦手か? だったら、無理しなくていいぞ?』

「……え、でも……」


 先ほどからタナカくんがぎこちなくなっていたのは、何も女性と電話をするのが初めてだったからだけではありません。タナカくんは誰かとお話しするのもあまり得意な方ではないため、喋る文字数を少なくしがちだったのです。必然的にセリフが多くなる敬語は苦手としていました。


『あたしは気にしないからさ。普段通り喋ってくれていい』

「……そう言ってもらえるのは、嬉しい、けど、でも、礼儀、だから。……できるだけ、頑張ってみ……ます……」

『……そっか』


 それに気づいて、どこまでも気に掛けてくれるツユリさん。彼女の提案は、タナカくんからしたら助かることなのですが、自分のことを慮ってくれるツユリさんに対して「甘えてばかりはいられない」と感じたタナカくんは断りました。最後のツユリさんの言葉には、タナカくんの決断を応援しようとする優しさが滲んでいました。



 通話を終えたタナカくんは、今しがた送られてきた下着を試着してみることにしました。付け慣れておこう、と思ったからです。というのも、タナカくんは一回、昨日の朝にやらかしていましたから、事の重大さをよく理解していました。もし、体育の授業の時にそうなってしまっては一大事です。ですので、タナカくんは下着を持って自分の部屋へと移動しました。


 そこには男の子の時にはなかった一面鏡があります。これも「ないと困るだろう」ということでツユリさんがくれたものでした。その前で上の服を脱いでいったタナカくんなのですが……。


「……あ、あれ……?」


 下着を外そうとした際、妙に食い込んでいることに気づきました。ホックの部分に余裕がなくなっていて締まりすぎているというか、兎に角、きつかったのです。悪戦苦闘して、なんとか取れたのですが、その状態で鏡を見た時、タナカくんは絶句しました。


「っ!? ……うそっ」


 なんとなく、直感ですが、――そんな気がしたのです。

 元々が大きかったため、見た目の変化は感じられません。しかし、それなのに、測ったわけでもないのに、タナカくんには何故か、「絶対この感覚は当たっている」というほどの自信がありました。


 どうしていきなり胸が大きくなったのか、考えていると、タナカくんの脳裏に彼女の言葉が過りました。悪魔の彼女の言葉が。



『「リア充爆発しろ」という願いは、あなたから支払われた「代償」によって打ち消され、叶えられませんでした。しかし、力が宿った願いを打ち消したため、あなたに掛けられた「呪い」が強くなるかもしれません』



 タナカくんはハッとさせられます。彼女は言っていました、『「呪い」が強くなる』と。タナカくんに掛けられている「呪い」は、「最も起きてほしくないことが起こる呪い」であり、タナカくんはそれによって女の子にさせられてしまっているのです。その「呪い」が強化されるということは、



(――女の子としての部分がより強調される、ということなのではないか?――)



と、タナカくんは発想しました。



 しばらくの間、時が止まっていたタナカくん。上半身裸のままで。それほどまでにショックを受けていました。

 結局、父・ケントさんが帰宅した音を耳にしてタナカくんは正気を取り戻します。ただ、試着する暇はなくなってしまいました。ケントさんに覗かれたら大変なことになるからです。タナカくんは大急ぎで服を着て、夕食をつくりに向かいました。


 手際よく調理して、夕食は無事、いつも通りの時間に済ませることができたのですが、タナカくんはこの日、浮かれていたことを反省させられることになりました。また、一昨日の再現が行われたのです。暴走するケントさんへの対応を強いられます。「父が返ってくる前にお風呂を済ませておくべきだった」と、タナカくんは激しく後悔するのでした。

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