第16話 5月25日(木) 非モテ会議と黒魔術への疑い
……………………
それからのことを、タナカくんはよく覚えていません。
恐らく、「大丈夫、つくってない」と言ってコバヤシくんの負担にならないよう振る舞って通話を切ったのでは、と今までの自分から想定するタナカくん。しかし、実際に伝えた言葉はそれまでのタナカくんでは想定し得ない言葉でした。
――『遅い。お弁当、つくる人のこと考えて。もういい。父さんに渡すから』――
タナカくんはショックのあまり突発的にそう言って一方的に話を切り上げていました。
……………………
それからというもの、タナカくんは何をするにも気力が起きず、惰性とやっつけでその日の授業を終わらせました。
お昼休みに人気のないところへ行ってご飯を食べようとしたら、偶然二人の姿を見かけてしまうというタナカくんにとって事件めいた出来事に遭遇してしまったこともテンションを最低値まで落下させた要因でした。すぐさま逃げ帰ったので、二人から気づかれなかったことだけが唯一の救いだったでしょうか? ただ、タナカくんは昼食を採る気力すら失ってしまいました。
そんなわけで現在は放課後になっています。タナカくんは無気力ながらも本来の真面目な性質が発揮されて、例の空き教室を訪れていました。タナカくんの気分は落ちに落ち込んでいましたが、タナカくんの変化の乏しい表情からそれを読み取れる人はここにはいません。タナカくんは通常通り背面黒板のロッカーの上にいます。ですので、誰もそんなタナカくんに触れることなく、今日集められた目的の話が始まりました。
「よく集まってくれた薄情者ども。貴様ら、ここを自由に使っているよな? 黒板に物騒な文字を綴るのは楽しいか? スズキ。棚にエロ本を並べるな、ヤマモト。ゴミは持って帰れ、ワタナベ。早く家に帰りたくないのだろう? イトウ。そしてタカハシ、貴様は論外だ。器物破損をしておいて抜き打ち検査を掻い潜ることに協力せんとはどういう了見だ? 加えて、『俺様は付き合ってやってるだけだ』とか抜かしていたな、貴様? ふざけるのも大概にしろ! 権利を主張するなら義務を果たせ! 自分がどれだけ苦労させられたと思っている!? エロ本とゴミをロッカーに捻じ込み、黒板を消し、それで終わりかと思えば壊れていた椅子や机を見つけてしまって、それから別の教室のものと入れ替えさせられたのだぞ!? タナカも僅かながらに手伝ってくれたが、お陰で遅刻した! 何を考えているんだ、貴様らは! あ゛あ゛ん!?」
メンバーが揃うなり、こう切り出したのはサトウくんです。開口一番を叱責から入る辺り、彼はまだ虫の居所が悪いようでした。
「ごめん、ごめんって! メッセで何回も謝ったでしょ?」
「……オレも来れたなら来てたんだ。責めるなら姉さんに言ってもらえるとすっごく助かるんだけど……」
「ええー!? エロ本と一緒に入れられたの―!? それはちょっと遠慮してほしかったなー……」
「は!?
「へーへー、わーったって。……ちっ、めんどくせーな……」
サトウくんの心の叫びに対する他五名の反応はこんな感じです。謝っているのはスズキくんくらいで、イトウくん、ワタナベくん、ヤマモトくん、タカハシくんは悪びれる様子もありません。イトウくんは言い訳をしているし、ワタナベくんとヤマモトくんは怒られたことよりも菓子パンの袋とエロ本の扱いを気にしていました。タカハシくんは正論で怒られているのにイライラを隠そうともしていません。ちなみに、スズキくんに至っても「謝っているのだから許されて当然」のような認識でいましたので、この場にいるのは一人残らず癖が強いメンバーであることは疑いようがないでしょう。
そのことには、一年の付き合いで気づけていたサトウくんです。わかってもらおうとすることは溜息をついて諦め、本題に入りました。
「……はぁ。この話はもういい。昨日の放課後にあった抜き打ちチェックは突破できたからな。くだらないことに労力を割くつもりはない。それでは、本題に移る。貴様ら――
――二日前まで発生していた世界的な爆発現象をどう見ている?」
「――っ!」
それまで呆けていたタナカくんでしたが、サトウくんの口から出されたこの言葉が耳に入ってきて我に返りました。サトウくんが「リアルにリア充が爆発した」ことを気にしている――そのことに、タナカくんの身体に緊張が走りました。
(僕の異変に気づかれる!?)
そんな気がして。
世界的な爆発現象について調べていけば、あの黒魔術が関係していることも、悪魔・リリムシェディムの存在にも行き着く可能性があります。そうなれば、今は爆発現象が止んでいる原因や、どうやって止めたのか、という話になってもおかしくありません。タナカくんは「自分がリア充が爆発するのを阻止した」とばれるのではないか、とひやひやしました。
「んん? 爆発って何? 世界中で何かが流行ってるってことぉ?」
「いや、ワタナベくん、知らないの? 最近、いきなり人が弾け飛ぶのが頻繁に起こってる、ってニュースになってるんだよ。『未知のウイルス』とか『最新化学兵器』なんじゃないかって噂されてる。あ、あと、『呪い』説を唱えてる人もいたっけ? そんなのあるわけないじゃん、ってのに……。そういえば、昨日と一昨日は爆発が起きてない、とか報道番組で言ってたかな? 一週間も発生し続けてたのに、なんでなんだろうね?」
ワタナベくんは世界中で爆発が起きていることすら知らなかったようです。そんなワタナベくんに説明するのはスズキくん。その流れで、彼は巷で囁かれている説を三つ紹介しますが、『呪い』説には否定的な意見を述べました。タナカくんは、「実はこれ、その『呪い』なんだよ」とツッコみたくなるのをぐっと堪えます。
「そのニュースなら知ってるけど、『どう見ている?』って言われてもね……。どこか遠くで起きてること、って感じで現実味がないかな? サトウくんはどうしてこんな話をするんだい? 何に興味を――」
「ちっちっちっ! 甘いな、
「被害者が全員リア充とか何を根拠に……。リア充以外にもいるかもしれないでしょ? ウチらは全部を把握できないんだから。……はぁ、これだから馬鹿は。違うよね、サトウくん?」
タナカくんが言葉を呑み込んでいると、イトウくんが見解を述べました。彼はこの爆発現象が起きていること自体は知っていましたが、サトウくんがこの話題を取り上げた意図を測りかねているようです。そんなイトウくんが理解できなかったサトウくんの意図を読めたと豪語するのはヤマモトくん。この爆発現象は「
「いや、ヤマモトの言っていることは強ち間違いではないと感じている」
「「「――っ!?」」」
「ほらな!」
「え? え? どういうこと?」
「……ふぁああっ」
サトウくんのまさかの言葉に、タナカくん、スズキくん、イトウくんは目を見開いて言葉を失いました。そのうちのタナカくんだけは驚いた部分が異なりますが。サトウくんが核心に迫りつつあるように捉えられて気が気でなくなっていました。タナカくんは飛び起きる形で上体を起こしました。ちなみに、スズキくんとイトウくんの二人が驚いたのは、まさかサトウくんがヤマモトくんの言葉を肯定するとは思ってもみなかったからです。
そして、自分の考えが的外れではなかったことにドヤ顔になるヤマモトくん。
会話についていけていないワタナベくん。
そもそも、興味のないタカハシくん。
三者三様の反応をします。
「えっ!? はぁ!? どうして――」
どうしてサトウくんがそんな突飛な発想に至ったのかわからなくて、スズキくんはサトウくんに問い詰めます。すると、サトウくんは答えました。
「考えてもみろ。爆発が起こるようになったのはいつからだ? 約九日前だ。それからはネット上で『リアルにリア充爆発した動画』なるものが現れ出した。それをざっと調べてみたのだが、映像に収まっているだけでも10,000人に達するカップルが被害に遭っていたのだ。この数を見て、カップルが狙われてないとは思えんだろう」
「そ、それはそうかも、だけど、カップルも標的になってるってことも考えられるんじゃ……?」
反論するスズキくん。サトウくんは返します。
「確かにこんな弱い理由ではスズキの言っている可能性も否めないだろうな。そこで、自分は『爆発が起こるようになったタイミング』に注目した。九日前、五月の十五日、
――我々は何をしていた?」
サトウくんのその返しに、タナカくんは背筋が凍りつきました。九日前といえば、サトウくんら六人が放課後に黒魔術の儀式を行っていた日です。間違いありません。サトウくんは黒魔術と世界的な爆発現象の関連性を疑っている――そのことをタナカくんは見抜いたのです。
どうしよう、とタナカくんは逡巡しました。この話を続けた場合、次に想定される展開は、黒魔術が本物かどうかの確認作業になるでしょう。その過程で、悪魔の存在が確認されでもしてしまったら、最後には、爆発が停止している理由とどうやって停止させたのか、の話に移ってしまい兼ねません。その話をするということは、
――タナカくんが代償を払って願いをキャンセルしたことがばれるということ、と言い換えても差し支えありませんでした――
自分の身の安全を確保するために話を逸らしたかったタナカくんですが、下手に割って入ったら却ってサトウくんに確信を与えてしまう可能性があります。ですので、タナカくんは口を挟むことが
「何……って――まさか!」
サトウくんの誘導の言葉を受けて、イトウくんが驚きの声を上げます。タナカくんにとってはよくない傾向でした。爆発が止まっていることを気にする人が増えないうちに話を早く切り上げさせたかったのですが、イトウくんがサトウくんの伝えたかったことを理解してしまったみたいなのです。こうなると他のみんなにも知らせる流れになるのは必然でしょう。タナカくんは、イトウくんが閃いたことが外れていてくれ、と祈りましたが、これは無駄な祈りで終わってしまいます。
「えっ!? 何!? どういうことなの、イトウくん!?」
「わっかんないよぉ。ぼくにも教えて、教えて!」
「ん? あれ?
わかっていない三人がイトウくんに説明を求めます。
「九日前の五月十五日。オレらってこの教室に集まってて、黒魔術の儀式を行ってるんだよ。要するに、サトウくんは
――『
「「「――なっ!?」」」
「……っ」
イトウくんは外れてなんていませんでした。正しく解釈していて、それを三人に説いてしまいます。タナカくんは、無茶をしてでも会話を終わらせておくべきだったのではないか、と自分の決断の弱さに唇を噛みました。
「それってつまり、俺っちたちの祈りが叶えられてリア充たちが爆発してるってことか!?」
「そ、そんな、あり得ない……! あの黒魔術が本物だったなんて……っ!」
「あーっ! だから、世界っていう広い範囲で、一週間ちょっとで10,000人ものカップルがやられてたんだねぇ! そうじゃないと、犯人は何人いるの? って話になるもん! 一人が一日で五組のカップルをやってたとして、わかりやすく十日続けてたことにして――……犯人は20人? 多いね!」
「……100人だ、バカタレ。カップルなんだから一組で二人だし、あと、単純に計算ミスんじゃねぇ。しっかし、リア充が爆発か……。ちいっとばかし面白くなってきたじゃねぇか!」
ヤマモトくん、スズキくん、ワタナベくんの三人も、この教室にあった魔法陣のシートは特別な力を有しているかもしれない、という認識を持ってしまいます。それに先ほどまで興味を示していなかったタカハシくんも「リア充が爆発した」ということを聞いて会話に加わってくる始末。
タナカくんは、それはそれは焦りました。彼らに悪魔が確認されてしまったらアウトなのです。何故なら悪魔が存在するということは、彼らの願いによって「リア充が爆発するようになっている」というのが証明されてしまうわけですから。それなのに今は何故爆発が起こらないのか、というのは当然疑問に思うでしょう。それを悪魔に尋ねられたら、あの悪魔は素直に答えるやもしれません。「タナカくんが代償と引き換えに願いをキャンセルした」と。
そうなれば、詰みです。
彼らはリア充を憎んでいると言っても過言ではありませんから、リア充を助けるような真似をしたタナカくんのことを許しはしないことを、タナカくんは容易に想像がつきました。そうなれば、「代償」は何かという話になって、晒されて――六人の相手を――という最悪のケースに発展することが想定されます。
タナカくんは血の気が引いていくのを感じました。
……やるしかありません。「悪魔の確認を阻止すること」――それだけは絶対に成し遂げなければ、タナカくんの平穏な未来はないのです。たとえ、強引にでも引き下がらせなければなりませんでした。
「……ね、ねえ……っ!」
魔法陣のシートの力を確かめようとしているサトウくんたち六人に、タナカくんは呼び掛けました。
「なんだ、タカナ?」
サトウくんに見られて、タナカくんはビクッと身体を震わせます。何かされたわけでもないのに、どういうわけかゾッとしたのです。声さえ震えてしまいましたが、タナカくんは退きませんでした。
「……ほ、本当に、やるの? や、やめたほうが、いい。だ、だって、もし、本当だったら――カップルたちをこの世から消し去ったのは僕たちってことになる……!」
タナカくんは言い切りました。この、脅しの言葉を。
全世界における謎の爆発による被害者の数は2,700,000人を超えているのです。全てこの黒魔術の影響によるものなのか、それはタナカくんには知る由もありませんが、被害者の数は謎の爆発の回数の二倍となっていたため、この黒魔術によるものだと推察することは可能でした。
タナカくんは、彼らが魔法陣を調べるのを嫌厭したくなるような言葉をわざわざ選んで言ったのです。
――
この数は異常です。その命を背負うとなれば、心に掛かる重さは尋常ではないはずです。それを想像して耐え兼ねてくれることをタナカくんは期待したのですが、サトウくんの返答は予想の斜め上をいっていました。
「そ、それは違うぞ、タナカ! あの黒魔術が本物だったとしても、いや、本物だったとしたらなおのこと、おかしいじゃないか! 被害者が数組も出れば気づくだろう!? 『イチャイチャしているヤツらが爆発している』、と! た、確かに最初の数組はこちらにも非があるということになるかもしれない……! だが、あとの大半は、前例から学ぼうともしなかったか、或いは自分たちなら大丈夫だと高を括っていた連中だ! そうに違いない! 全員が学んで自重する姿勢を見せていれば、ここまで被害は出ていなかったということになるはずだからな! 全てが自分たちの所為だったというわけではない! だ、だから、そう気に病むな……。そもそも、あれが本物だと決まったわけでもないしな。偽物なら前提条件が崩れる。我々は爆発とは無関係だったということが証明される。詰まるところ、自分たちの無実を確信するためにもあの魔法陣は調べる必要があるというわけだ」
「……そん、な……っ」
サトウくんは止まりませんでした。いいえ、サトウくんだけではありません。
「サトウくん、机退けといたよ」
「おう! やっておいたぜ、
タナカくんがサトウくんと話している最中にイトウくんとヤマモトくんが机を教室の端に寄せており、
「ぷぷぷ、カーテン閉めたよぉ」
ワタナベくんが部屋を暗くしていて、
「んじゃ、こいつを広げるぜ?」
タカハシくんが魔法陣のシートを教室の中央に広げ、
「スマホ設置!」
スズキくんがその真ん中に光源を置いてしまいます。
「――っ!? ち、ちょっと待って……!」
六人が二つの三角形の角の位置に一人ずつ着こうとしているのがタナカくんにもわかりました。それはタナカくんが予測していた展開とは異なっていました。悪魔を呼び出す方法を知っていたタナカくんですから、てっきり悪魔を呼び出して事実を確認するのだと思い込んでいたのです。けれど、彼らは悪魔を呼び出す方法を知らなければ、そもそも悪魔の存在自体把握していません。そのため、彼らの採った行動は、
――再び『悲恋の黒魔術』を使うこと――でした。
それで爆発が再開されればこの魔法陣は本物、何も起こらなければ偽物と断ずるつもりなのです。
彼らの行動はタナカくんにとって、悪魔を呼ばれるよりはマシでした。この瞬間、タナカくんの身に異変が生じていると晒される心配がないからです。しかし、それをされると別の問題が生じます。
――また爆発が起こるようになれば、また親友の身が危険に晒されることになるのです――
折角呪いを受けてまで回避したというのに、またリア充が爆発するようになってしまったら、タナカくんは、なんのためにこんな身体になったのかわかったものではありません。
彼らを止めに行きます。
「代償」を無駄なものにしたくなくて。
親友を助けたくて。
しかし、
――ガコンッ
定位置にいたタナカくんはそこから降りる際、いつもならない机が邪魔な位置にあったのです。その脚に脚を取られたタナカくんは急いでいたこともあり、転倒してしまいました。
「――いっ!?」
盛大に転んでしまって痛がるタナカくんを余所に、儀式は始まってしまいます。
「それでは、願いは前の通りに」
「お、お願い、待って……っ!」
「「「「「「リア充爆発しろ、リア充爆発しろ、リア充爆発しろ……!」」」」」」
「……ああ……っ」
タナカくんは懇願しました。ですが、聞き入れてもらえることはなく……。
空しくも、呪詛は、室内に響き渡りました。
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