第12話 5月24日(水)の昼下がり~コバヤシくんのこうげき! きゅうしょに あたった! こうかは ばつぐんだ! ……あと、バイト~
タナカくんたちが通う学校は屋上が解放されていました。落下防止の対策が完璧に施されているので、お昼時には生徒たちの憩いの場になっています。
タナカくんたちも屋上を訪れていました。ただ、教室がある教室棟の屋上は
屋上に設置されているベンチに腰を下ろして、タナカくんは受け取ったタマゴのサンドイッチの包装を開封し、その一つを両手で持って頬張りました。
「……ん、おいしい……っ」
タナカくんは初めて購買部のサンドイッチを食べましたが、その味はいいものでした。おいしいものを食べると自然と笑顔になります。タナカくんの表情は凝り固まっているので、その変化に気づけるのはコバヤシくんくらいなものですが。
「ミナトってホント、食べ方が上品だよね。それに小動物っぽいっていうか。これは、……うん。女の子に人気があるって言われるのもわかるかも」
タナカくんの隣に座ったコバヤシくんが、タナカくんが食べている姿を見ながら感想を呟きます。
タナカくんの口はあまり大きくなく、ちまちま齧って食べており、それに加えてサンドイッチを両手で持っていますから、その様はさながらリスやハムスターを彷彿とさせるものでした。頬袋に溜め込んではいませんが。
タナカくんはコバヤシくんの方を向いて、口の中にあるものを飲み込んでから聞きました。
「こくんっ。……何? 誰が言ってたの、こんなこと?」
「イチジクさん」
コバヤシくんが言っていた「女子に人気がある」という言葉に実感が持てなかったタナカくんが尋ねたところ、誰がそんな感覚を持っていたのかをコバヤシくんが教えてくれました。
イチジクさん――可愛いのが大好きすぎるコバヤシくんの彼女さんでした。
「……当てにならない、それ。……あの人、感覚ずれてる……」
「
イチジクさんはタナカくんとの距離感がバグっています。タナカくんからしてみれば、彼氏でもない男にべたべた触ってくる子、という認識でしたから、彼女に対する評価はあまり高くはありません。尚且つ、他人の嫌がることを強行するような子ですから、彼女の言うことは少しばかり、いいえ、かなり信用できないタナカくんでした。
自分がモテるわけがないと決めつけているタナカくん。ですから、イチジクさんの感覚がずれている、と断定しましたが、実のところ、ずれているのはタナカくんの方でした。結構、構われていたのですが、女の子にどう接していいのかわからずに素っ気ない態度を取ってしまっていたため、表出しなくなっていたのです。陰ではちゃんと愛でられていました。
それはそうと、タナカくんがそういうあしらい方をしてしまったのもですから、彼女を貶されたことに少しムッとしたあとに悪戯っぽい笑みを浮かべたコバヤシくんが言ってきます。
「そんなことないと思うけどなぁ。だって、僕もそう思ってるもん。ミナトの食べ方、
――可愛いって」
「――か、かわっ!?」
親友から突然の可愛い発言。「きゅうしょに あたった!」「こうかは ばつぐんだ!」です。
コバヤシくんからの不意打ちをもろに受けてしまったタナカくんは顔をボッと赤く、赤く染め上げてしまいました。なんだかよくわからない感情がタナカくんの身体の中を駆け巡っていきます。ぞわぞわしたようなむずむずしたようなそんな感覚が。今まで「カワイイ」なんて言われてもムッとするだけだったのに、嫌な感じを全く受けていませんでした。その、今まで味わったことのない未知の感覚に、タナカくんは戸惑わされました。
何が自分の中で起こっているのか理解できなくて、タナカくんはそっぽを向くことしかできません。兎に角、いつもなら抗議をするところなのでそうしなければ、と思ったのですが、言葉に力が入りませんでした。
「……ぁ、ぅっ! ……そ、ソウの、バカっ。……眼科だけじゃ足りない。……精神科に行くことも、強く、強くお勧め、する……っ」
できるだけ平静に、いつも通りに対応しようとしたタナカくん。コバヤシくんを恨めしそうに睨みつけようとしました。けれど、そこにも力は入らなくて、ちょっと見つめるだけになってしまいます。俯いていたので見上げる形で。その瞳は、潤んでいて。
「……っ。えっと、その、ミナト? だ、大丈夫? なんか、変じゃない? いつもと様子が違うけど……」
「――っ!」
コバヤシくんに感づかれてしまいます。いつもと様子が違うことを。タナカくんは顔を伏せますが、心配したコバヤシくんに覗き込まれ、彼の顔を間近で見せられます。その瞬間、身体がかぁっと熱くなるのを感じました。
これ以上一緒にいたら不味いという直感がタナカくんに働きました。持っていたサンドイッチをベンチの上に置いていた包装の上に置き、手でコバヤシくんの肩を軽く押して遠ざけて、タナカくんは立ち上がります。そのまま立ち去ろうとするタナカくんをコバヤシくんが呼び止めます。
「ち、ちょっと、ミナト! な、なんか反応が――」
彼の言葉の途中で、そこでも直感が働いたタナカくんは、遮りました。その続きを言わせてはいけない、言わせてしまったらこれまでの関係に修復不能なひびが入ってしまうような、そんな気がして。
「ソウが変なこと言うから。もう、知らない……っ!」
だからタナカくんは、そう言い残してコバヤシくんの元を走り去っていきました。
「……え、ええ……」
また一人、タナカくんに置いてけぼりを食らった人物が生まれることになりました。取り残されたコバヤシくんは、何がなんだかわからずにその場で佇むことしかできなくなっていました。
一方で逃げていったタナカくんはというと、
「……うぅ。……な、なんでぇ……?」
こちらはこちらでわけのわからない感情に振り回されていて、例の空き教室にて定位置であるロッカーに突っ伏すことしかできなくなっていました。謎に火照ってしまった身体にひんやりとしたロッカーが心地よいですが、タナカくんの身体の熱は思ったよりも高くなかなか引きません。タナカくんはこの高く感じる体温を午後の授業が開始するまでにどうにかしなければと悪戦苦闘することになったのでした。
……………………
午後はコバヤシくんと話すことなく、学校が終わりました。タナカくんが話しかけるなというオーラを全力で振りまいていたので、コバヤシくんは声を掛けられなかったのです。
家に帰ろうとしたタナカくんですが、今日はバイトを入れている曜日であることを思い出します。
「……あ、今日、水曜日。……どうしよう。……バイト、行きたくない……」
バイトに行くことも、学校同様、身体が変わってしまったことを隠すタナカくんにとってリスクの高い行為と言えます。正直に言えば、そんなリスクは負いたくないタナカくんですが、タナカくんの家は父子家庭。生活に余裕があるとは言い難い環境でした。
ただ、バイトに行けば余計なことは考えなくて済むようになります。それはちょっとだけ魅力的でした。今のタナカくんには考えたくないことがありましたので。
タナカくんは意を決してバイト先である地域のデパートへと向かいました。その一角にある喫茶店『ミナイ』がタナカくんの仕事場です。ちなみに学校からは公共交通機関を使って十五分のところにあります。
タナカくんの通う学校は基本的にアルバイトを禁止しているのですが、家庭の事情で必要だと判断された生徒に限り許可が下りる仕組みになっていました。そして、この喫茶店は学校側が「生徒がバイトをすることを良しとする場所の一つ」として認められています。
「あァらァ! 久し振り、ミナトちゃん! テスト週間で二週間も会えなかったから寂しかったわぁ! 今日はよろしくねェン!」
タナカくんがお店に入ると、一人の女性(?)が迎えてくれました。彼女(?)はミナイさん。この喫茶店の店長さんです。
ちなみに、ミナイさんの言う通り、タナカくんがこのお店に来たのは二週間前の水曜日以来でした。このお店は学校公認であるため、テスト期間中は生徒にバイトを入れさせないという条件を承諾し、厳守しています。
「……よ、よろしく、です。……て、店長さん……っ」
明るく挨拶をしてくれるミナイさんに対して、はぎこちない挨拶を返すタナカくん。タナカくんはこの喫茶店で働いてもうすぐ一年になるのですが、実はこのミナイさんに苦手意識を持っていました。
彼女(?)の容姿は身長が高く、肉体は逞しいです。背は二メートルに達しそうなほどで、肩幅は広く、その胸板は厚く、腹筋はバッキバキ、二の腕も太くカッチカチです。顔は身体に比べて小さく、目は割と大きくて、睫毛を長くしており、角張った鼻をし、唇は厚め、髪型は地毛かウィッグかわかりませんが縦ロールにしています。そんなミナイさんは戸籍上は男性です。男性――なのですが、心は乙女でした。今、着ている服もこの喫茶店の女性従業員用の服、メイド喫茶の店員が着そうなオレンジを基調としたフリフリがふんだんにあしらわれたゴスロリ風のメイド服です。
この少しだけ少数派で、ほんの少しだけ特殊な事情がタナカくんを強張らせているかといえばそうではなく、問題は
「ンもう、ミナトちゃん! このお店で働いてもう一年でしょう!? 少しは慣れてくれてもいいんじゃないかしら!? ほぉら! リラックス、リラックス!」
タナカくんが緊張しているのを
ミナイさんは幼い頃から抑圧された環境で育ってきたそうです。両親がとても厳しく頭の固い人たちだったようで、ミナイさんの心のことをちっとも考えずに否定してきたのだそうです。その所為でミナイさんは自分の気持ちを表せなくなった、とか。縁談も勝手に決められて内心で絶望していたらしいのですが、その相手方(今の奥さん)はそのご両親も含めて理解の深い方たちで、ミナイさんを肯定し、
ただ、長い間押さえつけられていた所為で、ミナイさんは感情が爆発しがちになってしまい……。
「……す、すみません……」
気を遣ってもらったのに改善できそうにないことをタナカくんが謝ると、
「あン、落ち込まないでェ! 責めてるわけじゃないのぉ! ……それにしても、今日は一段と可愛いじゃない!? どうしたの!? 恋でもした!? でも、これでも男の子なんでしょ!? 今になっても、やっぱり信じられないわ……! そ、そうよ! ね、ねぇ、ミナトちゃん? 一度、この制服着てみない? ミナトちゃんなら絶対に似合うと思うのよ! 私が特注でつくらせた渾身の一品なの! けど、張り切りすぎちゃって普通の子だとどうしても着せられてる感が出ちゃって……! でも! その点、ミナトちゃんならポテンシャルは抜群! ばっちり着こなせちゃうと思うの! だってミナトちゃん以上に精練された子と会ったことなんてないんだもの! あなたならこの服の本来の性能を120%――いいえ! そんなものじゃない! 1000%引き出せるに違いないわっ! ねぇねぇ! お願いよぉ! この通り! この服を着てちょうだい!? 視線が気になるようなら私も前に立ってあげるから! そうすれば
それはやってきました。興奮してめちゃくちゃ早口で捲くし立ててくるミナイさん。タナカくんにこの喫茶店の制服を掲げながら迫ってくるのです。ミナイさんも着ているこの喫茶店の女性従業員用の制服を掲げながら。
女性用の服を着させようとしてくるところ――それが、タナカくんは苦手だったのです。締め付けから解放されたミナイさんは「カワイイ」に忠実でした。
タナカくんは女性服を無理やり着せてきたイチジクさんや、採寸のためとはいえ身体を
にじり寄るようにして距離を詰めてくるミナイさん。後退るタナカくん。入ってきた扉に背中が当たり、もう引けなくなります。追い詰められたタナカくんは叫びました。
「……ぜ、絶対に着ない……っ! 着ません、からっ!」
「!? そ、そんなぁ!」
そう拒絶して、怯んだミナイさんの脇を素早く擦り抜けていくタナカくん。奥の従業員スペースへと駆けていき、仕切りの扉をぴしゃりと閉めて鍵を掛けます。タナカくんのことを追っていたミナイさんでしたが、目の前で空間は隔たれて、すぐさま響いたカチャリという音。
「ミナトちゃん……!? ミナトちゃん!?」
ミナイさんの悲痛な叫びが谺するなか、タナカくんはいつも通り、ミナイさんの趣味で執事をモチーフにしているこの喫茶店の男性従業員用の制服を着るのでした。
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