愛を知るまでは 4
本来6時間目に行われるはずだった古典は、急きょ自習になった。騒ぎを聞きつけた織田先生が、授業が入っていなかったという
千弦に言われた通り、古文のノートを取りに行くのを忘れたのは、文化祭終わってすぐの7月の定期テスト直後のことだった。もし田代さんが気分を害して嫌がらせしてきたのなら、もっと早くに行われただろう、ということだろう。それでも、織田先生にはそのことを伝えた。私が浮かれて千弦のことを全く考えていなかったことも含めて。織田先生は、静かにうなずいて話を聞いてくれた。
1年F組はあれから、体育祭も球技大会も一致団結してこられたと思ったのに。まさか2月になってこんな事件が起こるなんて。よりにもよって、今日は定期テスト2週間前を切った日だった。
なんでこんなことになっちゃったんだろう。頭の中で怒りとか情けなさがぐるぐると回っている。
「今度は私からいいかな」
織田先生が少し体を乗り出してきたので、居住まいを正す。
「5時間目が終わってから直前まで星野さんとしゃべってたらしいけれど、今日、それより前に星野さんに近づいたり、席に行ったりしたことはありましたか?」
「今朝、ホームルームが始まる前まで」
千弦は朝早くから教室にいることも多いので、瀬那や美羽音がまだ来ていない時には千弦の席に行くこともある。今日もギリギリまで千弦の席でおしゃべりしていた。
「星野さんの消しゴムがなくなっていることをいつ知りました?」
「5時間目が終わったあと、世界史のノートを見せてもらっている時です。ノートに固い消しゴムで無理矢理こすった痕があったので、聞いてみたら2時間目に使ってなくしたと」
「消しゴムが見つかったのが田代さんの席と
「いえ」
「一度も?」
「はい」
「……そうか」
織田先生は、腕組みをして椅子の背もたれに寄りかかった。私の席は教室の出入り口に近いところだし、今日のお昼は美羽音の席、一番廊下側の右端のところで食べた。黒板の前に立つにも、同じ道を通っていけるから、教室の真ん中にはほとんど用事がない。
そういえば、今日は毎回、瀬那が私の席の席に来てくれたな。瀬那の席は田代さんの左隣だから、もしかしたら瀬那の席に行くのに通ったかもしれない。いや、微妙に通らないか。田代さんの席と白崎さんの席の左脇を通り抜けることはあっても、2人の席の間を通れば座っている田代さんの邪魔になってしまう。消しゴムが見つかった通路は前には教卓が鎮座しているから、後ろから入っても行き止まりになってしまうし。
「あんなことをする人が、1年F組にいるってことなんですよね」
ぽつりとつぶやくと、織田先生は、ゆっくりとこちらに顔を近づけてきた。
「あんなちっちゃい消しゴムだ。たまたま刃が出ていたカッターナイフがたまたまあの消しゴムに刺さって刃が折れた、なんてのは考えにくいだろうね。
さらに言うと、合同授業でもない限り、他のクラスの生徒が入ってくることもないから」
今日の受けた授業は、現代文、数学、生物、英語、そして世界史。
「英語に、グループワークがありました。
近くの席で6人くらいくっつけて。隣になった人なら、こっそり消しゴムを拝借できますよね」
「落ち着いて、川島さん」
織田先生がなだめるように言う。
「でも」
「隣や、あるいは前に席をつけた人が星野さんの消しゴムを取ったとは限らない。
決めつけちゃダメだ、川島さん」
「でも」
「不安になって疑心暗鬼になるのもわかる。星野さんにひどいことをした人が許せないのもわかる。
でも、君がクラスメイトを疑うのは違うよ」
「わかってます。でも……」
千弦を傷つけた人がいる。そして、その人は、名乗り出ることもなくこの場を切り抜けようとしている。もしかしたらもっとひどいことを考えているかもしれない。
「悪いことはちゃんと悪い、ってわかっている川島さんは偉いよ。
そして星野さんの気持ちを考えていることも」
織田先生は、優しい言葉をかけてくれる。
「ここで話していることは、誰にも言わないようにしてください。
これ以上ひどいことが起こるかもしれない。そのときに一番傷つくのは、星野さんだ」
私は黙ってうなずく。織田先生の言う通りだった。
教室に戻る時、目から大粒の涙がこぼれていくのを感じた。
悔しい。私は何もできなかった。ただ千弦の力になりたかっただけなのに。教室に帰るだけなのに足が進まず、底冷えする廊下にしゃがみこんだ。
教室にようやくたどり着くと、目をこすって涙を払う。教室の扉を開けるとクラスメイトが一斉にこちらを向いて、目を見開いたり肩を震わせたりしていた。
千弦の前の席に座っている
千弦は、今は別室で事情を聞かれている。荷物も運び出されて、千弦の席には机と椅子だけが残されていた。
明日は教室に来られるのだろうか。
私は唇をかんで、静かに扉を閉めた。
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