愛を知るまでは 2

 今日最後の、化学の授業が終わって教室に戻るとき、瀬那せなに頭を下げられた。

「アイカ、本当にごめん」

 泣き顔で謝る瀬那に、いいよいいよ、と声をかける。数学の追試を受けなければならない瀬那に代わって、私が放課後の教室掃除の当番に入ることになったのだ。追試に遅れれば先生に怒られるだけなく、成績にも影響してくる。次の当番の時に代わってもらうことを条件に教室掃除をするくらいなら、いくらでもやるつもりだった。

 隣を歩く美羽音みはねが、「私が代わろうか」と聞く。

「大丈夫? アイカだって放課後も忙しいんじゃ」

「大丈夫だよ。部活だって、さすがに教室掃除くらいはやってから行くから」

「でも、今日、お昼だってまともに食べてないんじゃない? 委員会の集まりで」

「5限と6限の間に食べたから」

「それはかき込んだっていうんだよ」

 美羽音がため息をつく。ゴミ出しルールが守られていないということで、急きょ昼休みに美化委員会が開かれたのだ。会議は昼休み終了ギリギリまで行われていた。

「でも、言い出したのは私だし」

「私だって……」

「美羽音は体調を大事にして。こんなに暑いんだから」

 両肩をつかんでせがんだからか、美羽音は引き気味にうん、とうなずく。月一で具合が悪くなる体質のようで、今回はお昼前からかなり体調が悪そうだった。こういう時はちゃんと休んでほしい。

「国語係の人いるー?」

 ホームルームを前にして、田代たしろさんが教卓の前で叫ぶ。国語係は蒔田まきたさんと高野たかのさんだ。でも、その2人は公欠でいないはず、と首をかしげた。

「古文のノートまだ取りに来てないって、織田おだ先生に怒られたんだけど」

 田代さんに言われて、テスト後に集めたノートを職員室に取りに行くよう頼まれていたことを思い出した。今朝のホームルームで国語係が公欠でいないからと、2人の代わりに行くことになったのだ。

「やば! 行かなきゃ!」

 ごめん、と瀬那に荷物を預けて廊下を引き返そうとすると、いやいや、と美羽音がついてきた。

「いや、さすがにウチが行くって」

「だって今日の古文、美羽音は具合が悪くて保健室で寝てたでしょ。

 だから私が行かなきゃ」

「誰でもいいから早く行ってくれる?」

 譲り合っている私たちに、田代さんがキレ気味に言う。

「今日だって宿題が出てるわけだし、ホームルームに間に合うようにしてくれないと、クラスみんなが困るんだけど。

 てか、仕事放り出して友達とくっちゃべってるなんてあり得なくない?」

 ねー、と田代さんたちが仲間内でうなずきあいながらも、私たちをさげすむような視線を送ってきた。瀬那と美羽音の方にまでクラス中の視線が刺さる。2人を振り切っていこうとすると、そばに大量のノートを抱えた千弦が立っていた。

「空けてくれますか」

 いつも無愛想だけれど、今日は一段と不機嫌そうな顔をして、道を空けた私たちの横をスタスタと通り過ぎていく。ドサッと教卓にノートを下ろして、「私も困りますから」と1冊ノートを取って教卓の真ん前の席に着いた。教卓に置かれていたのは、今まさに取りに行こうとしていた古文のノートだった。

「千弦、ありがとう」

 駆け寄ってお礼を言うと、ふい、とそっぽを向いて、「別に誰が取りに行ったっていいと思いますけどね」と、机の脇に下げているリュックを机に引き上げた。チャックを開けて、さっき引き抜いたピンクのノートやペンポーチなんかをリュックの中に入れていく。

「元々クラス全員で愛佳あいかに押しつけたようなものじゃないですか」

 千弦はさらりと口にした一言が教室中に響いて、しんと静まった。

「えっ!」

 勢いのまま、千弦をのぞき込む。

「ねえ! 今、アイカって言った?」

「あなたの名前でしょう」

「もう一回言って!」

「ホームルーム始まりますよ」

 千弦の宣言通り、織田先生が教室に入ってきてホームルームの始まりを告げる。クラスメイトたちが一斉に席に着くと、織田先生が教卓に残っているノートを一目見て、「終わり次第取りに来るように」と言った。

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