第34話 光と闇を行き来しながら
時間は遡って、夜。
まだ雨の降り止まない暗く人気のない夜道を、それでも人目を避けるように黒い影は走っていた。
今、人目に触れるわけにはいかない。顔を隠していた仮面はないのだ。
ほとんどの人間が寝静まっているのか、建物からの気配すらほとんど感じられなかった。
だからこそ、街を巡回する衛兵の気配はすぐに察する事ができた。
…のに関わらず、そいつは横からこの黒い影に声を掛けたのだから、少なからず動揺したのはいたしかたないだろう。
「おい」
瞬時に剣の柄に手を掛けたが、誰だか分かると息をそっと吐いた。
「お前か」
西の国屈指の騎士は自分の背中に続く路地を指して「こっちから行くんや」と路を譲った。
「衛兵が来る、それは俺が何とかしとくわ」
「悪いな、オータ」
すれ違い様に不適な笑みを交して、
「どういたしまして、法王倪下」
路地を隠すようにオータは前に出た。
闇夜の月…否、法王が走り去ってすぐ、衛兵の一団が現れた。
「…これは、オータ様。ここら辺で不審な者を見かけませんでしたか?」
「いや、見いひんな」
「そうですか。闇夜の月が現れたと通報がありましたのでご協力よろしくお願いします」
「ああ、分かった」
では、と敬礼をして衛兵達は去って行った。
「やれやれ。見つかったら大事やっちゅう事、ちゃんと分かってるんやろか、アイツ」
オータは降りしきる雨の中、路地の奥、丘に建つ聖殿を振り仰いだ。
真夜中の聖殿は静かだ。
厳しい規律の中、規則正しい生活を強いられる神官達は、普通ならすっかり就寝している時間だからだ。
だが、国の重要機関である聖殿に守衛がいないわけがなく、全ての門前に衛兵が常に二人ずつ立っている。
それらは神兵や僧兵ではなく、王宮から派遣された衛兵だ。盲目にも関わらず、サーティスの影響力を恐れた王は、聖殿独自の兵組織を良しとはしなかったからだ。
いつものように聖剣を奉る聖堂の裏から慣れた様子で忍び込み、濡れた外套を外して雨水を払うと、ようやく一息ついた。
祭壇に奉られた聖剣は、岩の台座に突き刺さり、長い年月を経てそれ自体が一体化した彫刻のように色を失い、呼吸を忘れた化石のようだ。
それに対面した壁には、人の身の丈程もある大きな油絵が飾られている。
美麗だと言われたのにも関わらず、生涯の中でほとんど絵姿を残さなかった銀騎士王の、数少ない肖像画の一つだ。
この聖剣を祭る聖堂には、常には法王のみしか入ることが叶わず、年に一度コロッセオに岩の台座ごと運びだし、また仕舞う際にしか他の人間は入ることは出来ない。
だからこの肖像もあまり人の目に触れることはない。
朝露に濡れた百合の様な、凛とした立ち姿の右手には聖剣が握られて掲げられ、切っ先には祝福の輝きが煌めいていた。
伝承では、聖剣は主人の必要とする武器に姿を変えたと言う。
その証としてか、背には銀の弓が、そして傍らには槍が描かれていた。
雲間から光の矢のように陽光が差すのは、まるで魔王の闇を振り払った事実を写実化したかのようだ。
この絵を正面に、主人を失った聖剣は数百年もの間、何を思い見つめて来たのか。
いや、そんなのは無駄な感傷に過ぎない。
義賊の格好をした法王は、緩く首を横に振った。
髪を拭き、法衣に着替えると、じっと聖剣を見つめる。
こうしていたって、声など聞えやしない。
聖剣は所詮、物に過ぎない。
大いなる付加価値を付けられた、物、だ。
使うのは人。
そして、おもむろに剣に手を掛けた。
数百年もの間、岩に突き刺さり、どんな剛腕の男でも抜くことが敵わず、結局、屋内に奉る為に岩ごと切り出して聖堂に納められた化石の様な剣は、握られた柄から本来の輝きを取り戻し、それが切っ先まで伝わると、いとも簡単に抜きさられた。
選ばれたのなら、最大限に利用するだけの事だ。
どうせ、抜かれずとも国の象徴として利用され続けるに過ぎないのだから。
再び剣を岩に突き刺すと、主人の意を汲むかの様に、息を潜め色を消し、元の奉具に姿を変えた。
それを目に留め、サーティスは瞼を伏せる。
瞼を閉じたその一瞬、義賊から法王へと姿を変えたのだった。
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