第35話 追憶へ想いを馳せ、
聖堂から自室に戻る途中、サーティスは一人の神官に声を掛けられた。
端から見れば突然背中から声を掛けられたように見えたが、幸か不幸か盲目の間に養われた視覚以外の五感は、声より先に神官の気配を察知しており、大して驚いてもいなかったが、心の臓が跳ね上がったかのように驚いたフリをして声の主を探して見せた。
「…誰ですか?」
「私です。ユウヒです、法王様」
ユウヒ。ああ、いつも世話を焼いてくれる若い神官か。
さもほっとしたように胸を撫でおろして、サーティスは口元に微笑みを湛えた。
「驚かせて申し訳ございません」
「構いませんよ。ところでこのような時間にどうしたのですか?」
「恥ずかしながら厠へ。法王様は…聖堂でお祈りですか?」
「ええ。聖剣の声など聞えやしないかと耳を澄ましていると、いつも遅くなってしまうのです」
部屋まで送ると言い張るユウヒと歩きながら、二人は言葉を交した。
「お声は聞こえたのですか?」
「…いえ。今はただ静かに主人をお待ちの様です」
「そうですか。…ああ、着きました」
「ありがとう」
ユウヒはサーティスが部屋に入るまで扉を支えて見送ると、夜の挨拶をして扉を閉じた。
そしてすぐ、ユウヒの足音がサーティスの部屋から去っていった。
暗がりの部屋の中でも、サーティスの瞼は閉じられたままだ。どこに国王の間者がいるとも限らないからだ。
ベッドに腰掛け天涯を閉じると、ようやく瞼を上げる。
開いてなお、瞼に焼き付いた金の色がちらついて仕方がない。二本の指を眉間に押し当てふっと息を吐いても尚、消える事はなかった。
眩しい。
胸の奥でそう呟いて、瞼を下ろした。
あれはいつの事だろうか。
ああ、そうだ。視力を失って十年余り程経った15、6歳の位頃だろう。
視力のない生活にも慣れ、世間から己の存在など忘れられ、ここで静かに暮らすのだと、ただそう思っていた自分に声を掛けた少年がいた。
「危ない」
どうやらそれは自分に掛けられた声だと言う事に、つまずいてつんのめるまで気付かなかった。
この前まではここに段差などなかったように思うから、新たに作られたものなのだろう。
自分より幾分力強い腕が体を支えてくれるのに、色を失った瞳がその人を探してさまよった。
「ああ、目が見えないのか」
その腕から解放された時、不意に違和感がサーティスに訪れた。
真っ暗な闇色の視界に広がった一つの波紋の様な感覚だ。
不思議には感じたが一瞬の事で、すぐに現実に戻ると声の主を探した。
誰だろう。
今日は聖殿の解放日ではない。聖殿の関係者で自分の目が見えない事を知らない人間はいないはずだ。
「ありがとうございます。あなたは聖殿の者ではないですね?」
「俺は……王宮に招かれた東の王の、まあなんだ、従者なんだけど、つまらないから抜け出してきた」
「…怒られますよ」
大丈夫と笑った所を考えると、ある程度権限がある人間なのだろうか。若い様に思うが。
「それからこの先は聖堂です。部外者の立ち入りは禁止です」
「そうなのか?なんだせっかくなら聖剣を見たかったのに」
「聖堂には法王様の許可なしには入れません。聖剣を見たいのならコロッセオの祭典にいらしてはいかがですか?」
「それがなかなかこっちに来る機会がないんだよな」
さも残念そうなのに、声の調子から察すると気落ちした様子ではなさそうだ。
「ところで君は神官だろ?この先には聖堂しかなさそうだが、何をしてるんだ?」
サーティスの行動と言うよりは、予想された答えの内容に興味と期待があるように感じたが、嘘をつく必要を感じなかったので、自分の目的を口にする事にした。
「私は法王様の命で、聖堂に用事があるのです」
「そうなのか」
そうして、至極楽しそうに「そうだ」と続けた。
「君は目が見えないから、誰かが後ろからついて行っても気付かないよな」
それでは、ついて行きますとでも言外に宣言しているみたいな物ではないか。
まして、ここで「そうだ」と認めたら、サーティスは「ついて来ても良い」と許したと同じ事になるではないか。
「………」
黙ってしまったサーティスに彼は「こうしよう」と続けた。
「君は真面目に職務をこなした。その隙に俺が入りこんだ事には気付かなかった。もちろん君はここで俺に会っていやしない」
それなら君に迷惑掛けないだろ?
そう言って笑った彼に、サーティスは憮然とした様子で答える。
「分かりました。ですが、もしこの事が咎められても、私は気付かなかったとも、あなたと会わなかったとも言いません」
そうして聖堂へと向かったサーティスは、いかにも頑丈そうな錠前に鍵を差した。
金属音がして鍵が外れ、扉が開く。
聖堂からはどこか埃っぽい匂いがした。
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