第33話 旅の続きを指し示した。



 目が覚めたライリースの視界に飛び込んできたのは、アルシーヌの心配そうな顔だった。


「ライリース!」

「アル…?」


 良かった…、とアルシーヌが息を吐く。


「ここは…」


 視線だけをさ迷わせて様子を窺ったが、アルシーヌの肩越しに見えた天井に見覚えはなかった。

 ならば、あの店の奥さんが紹介してくれた宿屋だろうか。

 腕を伸ばして額に片手を当てて目を瞑る。

 そうしていたら段々と頭の芯がはっきりしてきた。

 それと同時に、この場にあるのがアルシーヌの気配だけではない事に気が付いて、掛けられた毛布を跳ね飛ばして飛び起きた。

 自分達は闇夜の月に襲われた。

 まさか他に仲間でもいて捕まったのか。

 枕元に見慣れた自分の剣を見つけて手を伸ばしたら、アルシーヌが同時にそれに飛びついた。


「違うって!この人達は俺達を助けてくれたの!」


 助けてくれた?


「どう言う事だ?」


 余程怪訝な声色だったのか、アルシーヌが慌てた様子でまくしたてるように、一気に説明をしはじめた。


「お前が倒れちまって、オレ一人ではお前を起こす事も出来なくて困ってるトコに、この人達がたまたま通り掛ってお前を運んでくれて、その上ベッドまで貸してくれたんだって」


 髪を後ろに束ねている男がヒラヒラと片手を振った。


「ここは俺がやってるバーの二階。遠慮しなくていいぜ」


 剣を取る弾みで上体を起こしていたライリースはまず周囲を見回した。

 まずは状況を整理すべきか…。

 そう思い自分の体を確認した。

 怪我をしている様子はないが、上半身は服を着ていない。


「かなり雨に濡れてたから、脱がしたぜ。俺のベッドが湿気るのはかなわないからな」


 この場所の持ち主らしい男がそう言って笑った。

 窓辺に自分の衣類が紐に掛けて干してあるのを確認して、今度は笑顔の男の後ろで注意深そうに自分を見つめている眼鏡の知的な雰囲気の男に視線を向けた。


「…こちらは何の縁もないのに一夜の寝床を提供してやったんだ。礼を言われこそすれ、睨まれる筋合いはない」

「…すまない」

「まあまあ、良いじゃねえかグエン。目が覚めて知らない奴が居たら警戒くらいするだろ」


 グエンはやれやれと言った様子でトミーを見ると、


「お前は他人に甘すぎるんだ」


 そう言って腕を組み壁に背を寄りかからせた。

 ライリースが起きて、いつでも動けるように今まで体勢をとっていたのが、必要ないと感じたのだろう。


「どうやら助けて貰ったようだな…。礼を言う。ありがとう」


 それには片目を軽く瞑ってトミーは笑った。


「連れの少年、15、6歳位だろ?人間一人担げないようじゃ、将来嫁さん貰えないぜ」


 それにはアルシーヌかやや乾いた笑いを浮かべた。


「こんなデカい嫁さんは貰わないから良いよ」


 そりゃそうだ。トミーは吹き出して二人を交互に見た。


「俺はトミーあっちはグエン。少年はアルスだったっけ?あんたは?」


 アルス?

 ライリースはそう内心で首を傾げて、ああ、と思い直した。

 出会った時にアルシーヌはそう名乗っていた。


「俺はライリース」


 ほう?

 グエンが興味深そうにライリースを眼鏡の奥から見つめた。


「名にたがわぬ風体と言った所だな。その見事な金髪なら聖冠王の名も泣かぬだろう」

「それは良かった。何しろ俺は名前以外確かな物は何もないからな」

「ん?」


 明らかな疑問顔になったグエンに向けて、アルシーヌはライリースの腕を引っ張って上げさせると腕輪を見せた。


「記憶がないんだ。手掛りはこれだけでさ、過去を見つける旅の途中ってわけ」


 ふうん。

 グエンは頷いてじっと腕輪を見つめた。


「グエンは各国を旅したりしてる物書きなんだ。博識だから、聞きたい事があったら聞いてみな。何か知ってる事があるかもしれないぜ」


 トミーは言いながら、ハーブのお茶を煎れて卓上に四人分並べる。

 それがふわりと辺りを包むように香りが広がって、どこか気持ちが落ち着くような気にさせた。


「…手掛りっつってもまだほとんどなくてさ…」


 うーんとアルシーヌは唸って天井を仰いだ。

 するとライリースはそれとは別なんだがと前置きをして尋ねた。


「闇夜の月とは何者なんだ」

「闇夜の月?世間を騒がせてる義賊の事か?」


 義賊。

 その単語を聞いて隣にいたアルシーヌは途端に眉を撥ね上げた。


「何が義賊だよ。こっちは理由もなく殺されそうになったんだぜ!」


 正しくはライリースが。


「闇夜の月が殺そうとしただと?」


 その言葉に反応したのはトミーだった。

 まさかそんなはずはない。

 そんな言葉が後に続くような口調なのが、アルシーヌの感に触るのは、先ほどの事があった後なのだから仕方がないと言えよう。


「なんなんだよ。泥棒が金をばらまいたら良いヤツなんて、理屈が通らないとオレは思うけど!?」


 ふんっ、と横を向いたアルシーヌに意外にも賛同したのはグエンだった。


「その通りだ。罪を犯した事実をねじまげて判断してはならない。窃盗は罪。その先の行動とは別に判断すべきなのだ」


 だが。


「闇夜の月が人を害したと言う例は今まではなかった。逆に何か要因があるのではないか?」

「記憶がねえのに思い当たる事なんかあるかよ」


 憤慨するアルシーヌの横でライリースは腕を組み思案を始めた。

 理由は分からない。

 だが、殺意は真っ直ぐに自分に向けられていた。

 雇われた刺客の散漫とした怒気ではなく、刺すように鋭敏な殺意とでも表現しようか。

 不意に細い光が目に当たってライリースは目を眇た。


「ああ、夜が明けたな」


 グエンがカーテンを明けると、夜の雨などなかったかのような、眩いばかりの太陽が部屋に差し込んだ。


「闇夜の月か…」


 朝日に目を細めてトミーは呟いた。


「それなら東に行くといい。あいつは東の情報を欲しがっていたからな。何かあるのかもしれない」


 ライリースとアルシーヌは、はっと顔を見合わせた。

 東。

 それは二人も考えていた事だ。

 トミーは窓の外で徐々に延びて行く光の帯を見たまま、


「俺はアイツが悪いヤツとは思えねえんだ。あんな真っ直ぐな目をしたヤツが悪人のはずがない」


 やれやれとグエンが首を振るのに、トミーは苦笑した。


「やはりお前は人が良すぎるんだ」


 そうして続けた。


「さて、私はそろそろ広場に行くが、皆さんはどうする?」


 グエンの問いに、ライリースとアルシーヌは顔を見合わせた。


「オレ達も出るよ。これ以上迷惑を掛けたくないし」

「礼はいずれまた」


 ライリースの律義な申し出にトミーは「いらないよ」と笑った。


「これからどうするんだ?」


 衣服を身につけるライリースに向かって、安いタバコに火を灯してトミーは尋ねた。


「コロッセオを観戦して、東に向かおうと思っている」


 グエンは「そうか」と返事を返したライリースではなくアルシーヌを見つめた。

 余りじっと見るので居心地が悪くなったのか、アルシーヌは少し身じろいだ。


「な、なんだよ」

「……いや」


 ライリースの準備が終わって、一宿の礼を伝えて「それでは」と二人は出て行こうと戸口に向かう。少し心地の悪かったアルシーヌは先に出ようとしたが、グエンの唐突な声に足が止まった。


「ああ、そうだ」


 それは突然に思い出したような風情だった。


「コロッセオを観戦するなら今日は街の広場に行くと良い」


 そして二人を、…と言うよりはアルシーヌを見て続ける。


「南の王子が竜騎士団を引き連れて着陸なさるらしい。大層な美男子らしいからアルスのような女の子なら興味があるだろう?」

「えっ!?」


 それに反応したのはアルシーヌではなくトミーだった。

 黙ってろと言うグエンの視線にトミーは押し黙り二人を見つめた。

 ややあって、アルシーヌは不自然なほど笑顔を向けると「気づいてるなら女扱いしろよな」と不平を洩らした。


「時間があったら行ってみるよ」


 そうして二人は部屋を後にした。

 扉の閉じられた部屋の中、トミーはふぅっと煙を吐き出した。


「女だったのか…」

「そんなだからお前は恋人の一人もできないんだ」


 うるせぇよ。

 トミーは笑って、一瞬、真面目な顔をした。


「何かあるのか?」


 グエンは意味のない言葉をわざわざ口にしない男だ。単に観光案内をしたようには思えない。


「トミー、面白い展開だぞ」

「は?」


 これは必ず広場に行かなくては。

 グエンは至極楽しげに、そして神妙な声音で言った。


「あれは南の王女様だ」





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