第32話 追憶に誘い、

 アルシーヌが声を上げ、ライリースは剣を押し返して後方に下がった。

 アルシーヌがすぐにそうだと分かるほどに、先ほど店の奥さんが言っていた特徴に酷似していて間違いようもない。

 闇夜の月が剣先をすっと中段に上げた。


「どうやら問答無用のようだな」


 ライリースは剣を鞘から抜いて構えた。

 一瞬の間の後、水溜まりを蹴ったのは同時。

 何合か剣を交えながら、広い通りに出て二人は対峙する。

 アルシーヌは後を追った。


「闇夜の月は人を傷つけないって聞いたぜ!?」


 ライリースは相手の剣を弾いて真横に薙ぎ、闇夜の月は宙を舞って間合いを取った。


「どうやら間違いのようだな」


 ライリースは弾む息を整えて笑みを溢した。しかし、その瞳に余裕はない。

 強い。

 そう感じたライリースの金の髪から雨粒が滴り落ちた。

 剣をひと振りするとしぶきが撥ね、ライリースは踊り出る。

 それと同時に闇夜の月が剣を突く形で飛び出した。

 突きをかわしてライリースの剣が閃く。

 一閃した切っ先は銀の仮面をかすめて、仮面が宙に飛んだ。

 暗闇にまるで三日月のように煌めいて、それからカランと乾いた音を立てて地面に落ちる。

 男はマントを掴んで顔を覆って後ろに跳び退った。


「なぜ、俺を狙った!」


 そうだ。

 近くにいるアルシーヌには目もくれず、その剣先はライリースに真っ直ぐ向いていた。


「…」


 ライリースの問いに男は無言のまま右手に掴んだ剣の切っ先をライリースに向け、そして一閃すると、足元の水溜まりに突き入れ、泥水を二人に向かって薙いだ。

 小石と土砂混じりの水に堪らず、腕で目を覆うみたいに屈み、顔を上げた時には、闇夜の月は民家の屋根の上だった。


「お前は俺を知っているのか!?」


 黒髪が顔に影を落として男の表情は見えない。

 だのに、ライリースにはその口元に笑みが浮かんだように思った。


「……お前…。どこかで…」






『お前の背中は俺が守るから』






 ライリースの脳裏に声が響いた。

 それはどこか遠くから、夢游感を持って、現実より遥か遠くから聞こえた。

 ライリースは次に襲った頭痛に片手で額を押さえる。


「ライリース!大丈夫か!?」


 アルシーヌの声がぼやけて聞こえた。まるで水の中で聞いているようで平行感覚が掴めないで、支えになる何かを求めて剣を地面に突いた。

 閉じた瞼に銀の光が揺らめいて消える。


 あれは何だ。

 分からない。

 分からないけれど。


「知ってる…」

「ライリース?」


 冷や汗が背中を伝い、ライリースは眼を男に向けて上げた。


「お前は…誰なんだ…」


 確かに知っているんだ。

 記憶に無くても己の身体の感覚がそう訴えているのに、意識が集中出来なくて、傍らにアルシーヌが肩を貸そうとする気配を感じて、ぐらりと傾いた身体を平静に戻そうとその肩を掴んだ。

 闇夜の月はそんなライリースを見下ろして、身を翻して去っていく。


「待て……っ」


 伸ばした手が空を掴み、アルシーヌがライリースを支えきれないで、横倒しに二人共々水溜まりに倒れた時には、その後ろ姿の影も形も見えなくなっていた。


「ライリース!」


 撥ねた泥水を手の甲で拭って、アルシーヌはライリースを担いで起こそうと腕を自分の肩へと引っ張るがびくともしなかった。


「くそ…っ」


 なんて非力な事か。

 こんな時は自分の細い腕が恨めしい。


「ライリースっ!」


 無情にも雨が強さを増して二人を襲った。


「ライリース!!」


 アルシーヌの声は雨音に掻き消されて、辺りはただ暗闇に包まれていた。







 夢を見ていた。

 とてもとても古い、記憶。

 空はこの世の物ではない闇に覆われ、大地の息吹は死の吐息を吐き出していた。


『行こう』


 自分が口にしたのだろうか。いやに声は近くに感じた。

 何だ?これは俺なのか?

 そう思っている自分の意思とは別に、自分の体は喋り始めた。


『この戦いが終わったら旅に出たいな、その時は付き合ってくれるか?』


 隣にいた男は驚いて、少し微笑んだようだ。

 不思議な事に、その男の笑みが希少な物だと知っているようで、自分は嬉しく感じているのだ。


『…ああ。楽しみだな、ライリース』


 ああ、やはりこれは自分なのだ。

 自分の名を呼んだ彼を見ようと自分は振り返った。

 それなのに彼の顔がぼやけて見えない。

 誰なんだ。

 そう思って尋ねたいのに、ライリースの体は平然とした様子で、時の中を動いている。

 そして彼の名前を口にした。

 なんて言ったんだ。

 もう一度…!

 意識だけがもがいて、そしてライリースは激しい動悸と共に目覚めた。




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