第30話 役者は揃い
国王の憂いとは無関係に、城下町は大変な賑わいを見せていた。
地方からの見物客も多く、宿や食べ物屋は人でごった返していた。
「どうする?」
アルシーヌの問いに「んー」と唸ってライリースは腕を組んだ。
「折角だから、見ていくか」
「まあ…急いでるわけじゃないから構わないけど」
けど…と言葉を濁すアルシーヌにライリースは歩む足を止めて振り返った。
「何か気がかりでもあるのか?」
「別に…」
アルシーヌの気がかりは二つ。
聖殿で会った法王と、それから…。
「南の国の王子が観覧に来るらしいな」
アルシーヌははっとして顔を上げ、ライリースはそんなアルシーヌを見て、それから視線を宙に浮かせた。
何かあるのか、と問いかけようとして、ライリースは言葉を止めて、それから笑った。
街中でその話を聞いた時のアルシーヌは明らかに動揺した。
何かあるのは明白だが、多分アルシーヌはその理由を言わないだろう。答えがわかりきった質問はしても無駄だ。
「随分と良い男って話だからそれも見てみたいしな」
「何だそれ」
「俺とどっちが良い男か、お前に判定してもらう」
「そんなの…」
似たようなもんだ。そう思ってアルシーヌは笑った。
「わっかんねぇよ」
いずれにしろ、ライリースの記憶についての手がかりは途絶えたのだ。
記憶のないライリースがあのエセ臭い法王に何かを感じたのなら、どうせなら少しくらいは滞在しても良いかもしれない。
「…ま、広い街だしな」
群衆に紛れて見つかりはしないだろう。
緋色の髪を思い浮かべてアルシーヌは呟いた。
「こんな汚い格好じゃ分かりやしないか」
まるで男のような姿を店の窓に見つけて、自分の気掛かりなど杞憂なのだと確認して、それならばとライリースの腕を掴んだ。
「だったらコロッセオの場所取りでもしようぜ。折角ならいい場所から見たいしな」
そこまで興味はないけどな。ライリースは内心思ったが、アルシーヌの勢いそのままにコロッセオに向かって行った。
コロッセオは三日前だと言うのに見物人で賑わっており、周辺ではそれを見越して屋台やら出店が沢山天幕を張っている。
その中でちゃっかり飲み物を買って、アルシーヌは観客席の最前列へ歩いた。
すり鉢状になっている場内は、真ん中に丸く闘技場があり、それを柵で囲んで、登り階段状にぐるりと周囲が観客席になっていた。
真ん中の場内はどうやら係の人間と出場者しか入れてないようで、係らしい腕章を付けた人間に何やら説明を聞く者や、柔軟運動をする者、場内を隈無く下見する者などがいた。
「へぇ…」
アルシーヌは柵にもたれて感心したようにぐるっと見回した。
「なあ、誰が勝つと思う?」
「さあな」
「面白くねえな」
ライリースの反応に不満の声を上げ、そうだ、とアルシーヌは目を輝かせた。
「優勝者を予想して、何か賭けようぜ」
ライリースの返事を待たずしてアルシーヌは、場内で一番大柄で筋肉の張った男を指差した。男は壁際で腕を組みもたれて、辺りを鋭い視線で見渡して様子を窺っているようだ。
「オレはアイツに賭ける」
仕方ないな。とライリースは場内を見渡した。
「そうだな俺はあいつにしよう」
ライリースが指差した先には笑顔で係の説明を聞いている男が一人。日に焼けた肌と笑顔の度に白い歯が印象的だ。
「あんな優男でいいのか?」
「駄目か?俺は負けるつもりはないぜ?」
ふぅん。
「じゃあ何を賭ける?」
そうだな…とアルシーヌは少し考え、
「オレが勝ったら、お前の奢りで高級宿一泊な」
はははっとライリースは笑って、じゃあと続けて少し上体を屈んでアルシーヌを覗きこんだ。
「俺が勝ったら唇でも貰おうか」
少しの沈黙。
見事な鉄拳がライリースの腹に食い込んだのは、その三秒後。
そしてライリースが指差したのが西の国最強と言われる男だと二人が知るまであと三日。
「ぉー、大盛況だねー」
「それはそうだろう。年に一度の祭りみたいなものだからな」
それより、とグエンは眼鏡を押し上げて「もっと奥へ行こう」と顎でトミーに奥を示した。
「そうだな」
そう一歩踏み出して、トミーは後ろから着いてくるグエンを振り返った。
「………俺に人混みを掻き分けさせようとしてないか?」
「気のせいだろう」
いやいや気のせいなんかじゃあない気がする。と、涼しい顔をして後ろを歩くグエンを見て思ったが反論するのはやめた。昔から口喧嘩で勝てた事などないのだ。
「今年もドラゴンキラーの名が高い、宮廷騎士オータ殿が、優勝の座を守るとの下馬評だ。しかし、中にそれを覆す凄腕が居るかもしれん。一応取材は必要だろう」
宮廷騎士最強と言われるオータとは先日会ったばかりだ。
先日どころか、暇を見つけては学問所のアンジェを訪ねているようで、頻繁に顔を合わせる。
最初は自分達を調べにでも来ているのではないかと警戒していたが、あの人なつこい笑顔のせいか、なんだか警戒心が薄れてしまったトミーだった。しかしどうやらグエンはそうでもないようだ。
グエンは親しげに笑顔で応対するものの、オータの様子を窺っていると言うのが本心だろう。
トミーは闘技場の見える客席まで出て一息付くと、場内を見下ろした。
出場者達が何人か、下見やら、運動やらしているようだ。
「なかなかイカツイねー」
「ふん…。やはり下馬評通りかな。あれならトミーの方が腕が良さそうだ」
グエンは折角見に来たのに期待外れだと息をついた。
存外グエンの言うことは外れていない。
闘技場内を見た感じでは、負ける気はしないとトミー自身も思った。
「ああでも、腕の良さそうなのもいるぜ。ほらあそこ。二人連れの金髪」
「ん?」
グエンは目を眇めてトミーの指した方を見て金髪を探した。
「…あれは観客だろう。まあ腕は良さそうだがな」
言われてみれば連れの少年が場内を見てはしゃいでいる。
「なんだ」
「次、いくぞ」
つまらなさそうなトミーをよそに、グエンは歩き出す。
「へ、何処に?」
「街の中央広場だ」
「なんで?」
「明日、南の王子が来る。竜騎士団で来るらしいからな。飛竜が降りれる場所なんて限られている。おそらくあそこだろう」
昨日あたりから警備の衛兵がうろうろしてるしな。
「南の国最強の竜騎士達が到着するのを見逃す訳にはいかんからな。今日は徹夜で場所の確保をする」
「……ちょっと聞きたいんだけど、なんで俺が一緒なわけ?」
「食事と用を足すのに交代がいるだろう」
グエンは事もなげにそう言って嫌がるトミーを引きずっていった。
南の王子が広場に現れるのは、明日の昼過ぎ。まだ丸一日時間があると言うのに、衛兵隊が四方を固めて警備に当たっていた。
街を行き交う人々は、別段やましい事があるわけではないけれど、衛兵の前は足早に過ぎた。
「こりゃあ厳戒体制だねぇ」
「今年一番の賓客だからな」
近年、西の国は分裂を重ねに重ねて小国となり、争いが絶えない。
西の18国の首長国とは言え、国力は削がれる一方だ。
国王としては、竜王の時代から変わらない国力を保つ南の国との絆は、無理矢理手を引き寄せて握ってでも繋ぎたい物なのだ。
その王子相手に何か粗相があろう物なら、原因を引き起こした人間は斬首にしても足りない位の怒りに見舞われるだろう。
「だったらあれだ。南の姫と縁談でもしたら良いんじゃね?」
広場の端にあるベンチに腰掛けてふわっとトミーは欠伸をして、日溜まりに目を閉じた。
「そうもいかないのが南の事情だな」
南の国の王位継承権第一位はその姫なのだ。
継承権を放棄しない限り他国に嫁ぐ事はできない。
まあ、その件では南もきなくさい感じではあるが。とグエンはトミーの隣に腰掛け、「少し腹が減ったな」と呟いた。
こいつトコトン俺を動かすつもりだな…とトミーは口をへの字に曲げると、急に曇りだした空を見上げる。
「とりあえず、店に入った方が良さそうだぜ?」
そうだな、とグエンは頷いた。
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