第29話 年に一度の祭典に
砦を出て北上すれば、すぐに国境を越え西へ入る。
竜の飛行速度を持ってすれば、今日中にでも西の王城に到着出来るのだが、西の城塞都市で一度休息を予定していた。
「殿下、急ぎましょう」
タイガが平走して言った。
レンは空を見上げ、北西に固まっている雲を見つめ頷く。
「そうだな」
この分なら一泊を予定したのは正解のようだ。
城塞都市ガス。
レンはラーニアの報告を思い出す。
そう言えば所在の確認が取れたのはガスの街中だったな。
『金髪で、殿下と同じくらいの長身の、同じ位良い男らしいわよ』
ラーニアの茶化しは気にもならなかったが、
「金髪の俺位の長身か」
自分と同じ位の長身となれば、ただの長身ではない。目立つ長身だ。
レンには思い当たった人物像に「有り得ない」と呟く。
もしそうだとしたら十数年前の亡霊が息をしている事になる。
白鳥城の悲劇の王子。
まだ彼の国が滅していない頃、後にそう呼ばれる事になる王子は、十年も経てば世の女性は皆虜になるのではないかと囁かれる程に見目が良く、年齢の割にはすらりとした長身が自分と近いと、外交官達に何度も話をされた。
だが十年も前に東の国は乱世の荒波に飲み込まれ、王家も滅びたはずだ。
他国の揉め事に興味はないが、飛んだ火の粉には注意が必要だ。
仮定するもしもの数ほど、世の中の出来事が上手にも又その逆にも起こってなどいない事をレンは知っている。
偶然など常日頃の必然に比べれば、稀少な物であるが、起こってしまった際の対処の難しさを知っているからこそ、憂い、備え、なるべく上手に平素を実行する。備えているからこそ稀少な偶然にも対処できるのだ。
有り得ない。他人のそら似だ。
だいたい生きていたとしても、子供の成長など予想通りになるわけもないのだ。その後レンと同じように背が伸びたという事もないだろう。
そう思いながらも、数少ない偶然を仮定する。
聖冠王に生き写しだと言う東の国の末裔の男と、北の王の血を濃く受け継いだ少女が、もしも出会っていたなら…。
何かが変わる予感がした。
一方、出迎える西の国王は、予定通り行程を進む南の国の竜騎士団のように順調ではなかった。
もちろん迎賓の準備は、自分ではなく臣下がする為、問題はなかったが、自分の息子に手を焼くはめになっていた。
王子は今、原因不明の奇病に病んでおり、やれ死ぬだの、やれ不幸だのなんとも情けない姿を晒して泣きわめいていた。
「大人しく床にふせっておるか、コロッセオに出れぬ事を嘆く位の気構えがあれば良いものを」
我が息子ながらなんと気弱で脆弱な神経の持ち主である事か。
やっとできた一人息子と言う事もあり、手を掛け大事に育てたが、まるで姫君のように無駄に箱入りになってしまったようだ。これでは将来を想像すると頭が痛い。
宰相の娘と結婚させて、王位だけは守ってやろうとしたことは間違いではなかったが、そのせいで宰相が邪魔になってきたと王は内心、苦虫を噛み潰した。
そして年若い甥を思い出し、深い沼の底の泥土のように沈欝な気持ちを胸に宿した。
思えば、あれは幼い頃から聡明な少年であった。
国を第一に考えたなら幼い甥にした事は大罪だったと、王は今になって自責の念にさいなまれた。
聡明故に口数は少なかったが、何よりも夜空のように深くそれでいて澄み渡った瞳が人々を惹き付けてやまなかった。
今あの瞳は閉じられていると言うのに…。それなのに未だにあの可哀想な甥が怖いのだ。
硬く閉じられた、光を映さない瞳が、今も尚、何かを見据えているような気がしてならないのだ。
「それなのに、あやつにしか相談出来ぬとは、これも又皮肉なものだ」
あの日年若い法王に相談すると、彼は小さな小瓶を王に差し出した。
「これは昨今、聖殿に在籍している植物学者が発見した植物から精製した薬物です」
王はそれを摘んで受け取った。
「飲んでしまうと大変な毒。けれど皮膚に付着する位なら死ぬことはありません。十日程、皮膚病に悩まされますがそれを過ぎれば元通り。ただし、七日程は痒さと痛さに苦しみましょうが…」
王はこくりと唾を飲み込んで念を押して尋ねた。
「十日経てば、本当に元に戻るのだな?」
法王は頷いて、ただし…と注意事項を口にした。
「これを一瓶、朝に顔を洗う桶の水にでも混ぜてお使い下さい。直接原液を掛けるには猛毒ゆえ、その時の保証は致しかねますが…。使うも使わないも陛下のご自由に」
そして法王は静かに頭を垂れた。
「…わかった」
そして現在、謎の皮膚病に王子は半狂乱、と言うわけだ。
おかげで、コロッセオには出さなくて済んだ。
が、情けない息子の姿を目の当たりにしてしまった。
やれ死ぬだのなんだの。
「死ぬならとっくに死んでしまっておるわ」
いい加減うんざりとして吐き捨てて、肘掛けに肘を付いた。
明日には南の国から客が来る。
国王の名代に王子が来るとの事だ。噂には大層な切れ者だとか。
きっと愚息と比べて落ち込むに違いない。
国王は深く深く嘆息するのだった。
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