第28話 取り戻せないのだと思い知らされる。
中庭に出ると休憩中の兵士達が二人の姿を見て頭を下げる。
どうやら東屋をローズが確保していたらしく、既にお茶の用意がされていた。
「これはこれは。気を遣わせてしまったようだ」
「ふふっ。私、今お茶のブレンドに凝っていますの。是非ご馳走したくて、用意してしまいましたわ」
「それは有難うございます」
レンは小一時間の拘束はやむを得ないと覚悟を決めてベンチに座った。
これがただ肉欲だけの関係で済む大人の女が相手なら、事は簡単なのだが、如何せん、将軍のご息女では無下にあしらう事も憚れると言うものだ。
ああだこうだと茶の葉の説明をするローズの横でレンはぼんやりと「そう言えば…」と過去を思い出す。
『……これは…何…だ?』
『本読んでるからお茶でもどうかと思ってさ』
レンがチラリと見たカップには注がれたお湯の中にフワフワとスプーン一杯の茶葉が揺れていた。
『…有難う』
なるほど。
スプーン一杯の茶葉にお湯。手順は間違っていないようだ。
本来茶葉が入れられるはずのポットには湯が並々と入れられている。どうやらお代わり用と言うわけか。
チラリと用意した本人を見れば、褒めてくれと言わんばかりににこにこと笑っていた。
『……』
茶葉と言うよりは具と化した紅茶を飲んでレンは、
『おいしい?』
と尋ねる相手に、
『……悪くない』
と答えた。
まあ気持ちは嬉しいものだからな。
『でもなんで葉っぱがなくならないんだろうな』
と呟く相手にレンは『そうだ』と付け足すのだ。
『今度煎れ方を教えてやるよ』
ふっと笑ってしまったレンにローズは微笑んで、
「そんなに喜んで頂けたのですか?」
と、違う勘違いをした。
「いえ…。ああでも良い香りのお茶ですね」
そろそろそんなやり取りも疲れてきた時、通路から背の高い男がこちらに歩いて来るのが見えた。
タイガだ。
「殿下、そろそろ国境警備についての視察をして頂きたいのですが」
タイガにしては気が利くではないか。
「そうか、分かった」
ベンチから立ち上がると、さも申し訳なさそうに眉目を曇らせ、レンはローズに向いた。
「名残惜しい所ですが失礼を。また晩餐にお会いしましょう」
言い換えればそれまでは会わないぞ、と言う意思表示。
「はい殿下」
たいそう残念そうなローズを背にして、レンは歩きだす。
「タイガ、案内しろ」
「はっ…」
そのまま中庭を後にして、少し離れてからレンはタイガに言った。
「良いタイミングだった」
視察など明日でも構わない事は知っている。
「そうですか。では褒めるならテンガを」
「どう言う事だ」
「城を出発つする前、この時間に必ず殿下に視察をと」
『タイガ。到着後、半刻をあけて必ず殿下を視察にお連れしろ。必ずだ』
なるほど。
素晴らしい洞察力とでも言おうか。
留守をテンガに任せたのは正解だったか。
「可愛らしい姫君に見受けられましたが…」
「なら変わってやるぞ」
「私は女性の扱いは苦手ですので」
「知っている」
「…」
「だが、もう少し慣れた方が良い」
タイガの返事はなかった。
おおかた四角真面目にどうしたら良いものか悩んででもいるのだろう。
内心そんなタイガの様子を愉快に思いながら歩いて行くと、程なくして練兵所に着いた。
訓練中の兵士は統率された見事な隊列を組み、号令に瞬時に動いていた。
南の国の訓練は厳しい。
それ故に卓越した肉体と精神を持った兵士が育つのだ。
あの凡庸なブラウン将軍の指揮下と言う事で期待はしていなかったのだが、なかなかどうして。
凡庸なようで彼もまた南で育った騎士なのだ。
レンは広い練兵所を見渡して感心の意を覚えた。
それから何時間かして、晩餐が催された。
主賓席に座るレンの横にはブラウンが座り、反対側にタイガが座った。
何故かレンとブラウンの間にローズが控えて杓をする。
「愛娘がどうしてもと言うので」
笑うブラウンを睨みつけてやりたくもなったが、レンは愛想よく笑っただけだった。
宴も竹縄となりレンが席を立ったのはそれから一、二時間の後の事だった。。
「明日に差し支えてはならないから」
と言うもっともらしい理由をつけて、レンは通常よりも早くに退席をした。
元来、一番身分の高い者が退席しなければ、他の者がその場を退くのは不敬とされるから、誰も不思議には思わないようだったが、側に控えていたローズは目に見えて不服そうだ。
それを見た父親はローズに何やら耳打ちをするのだった。
レンは特に寄り道するでもなく与えられた奥の部屋に向かった。
酒には強いレンだったが、今晩はさほど量を飲む事もなかったので、一層、普段より意識は冴えていた。
実を言えば飲み足りないが、かと言って気分的にはこれ以上飲む気も起こらない。
扉の前に立つ護衛の兵士に労いの言葉を掛けてレンは室内に入った。
西の国辺りで織られた豪華な絨毯が出迎え、東の国あたりで彫られた優美な曲線を有した家具がレンを手招いた。
不意に、さっと風が窓から吹き抜けて、鼻孔を擽る何かを感じる。
それには覚えがあり、また、微かな酒気が混じっている事からも正体を掴むのは、いとも容易だ。
やれやれ。
声を掛ける気にもならず、レンは気付かない振りをして、寝台に近付いた。
大柄な男でも三人は寝れそうな広い寝台を軋ませレンは手を付くと、薄布の膨らみに覆い被さるようにして声を掛けた。
「とんだはねっかえりですね」
薄布を捲れば、先程より薄手で露出の多い夜着を身に纏ったローズが伏し目がちにレンを見上げた。
「殿下、私…」
まったく。
レンは一度目を閉じると、深くため息を吐いた。
今度は隠す事なく盛大に。
そして今まで見せた事のない浅い笑みを漏らした。
それは続いた言葉によって、その笑みは随分と酷薄に映ったに違いない。
「私は一度抱いた女は二度と抱かないと決めているんです」
ローズは言葉なくレンを凝視していた。
レンの声音が僅か低くなったのはそのすぐ後だ。
「遊ばれに来たなら抱いてやっても良いぜ」
捌け口となった今夜が最後、顔を合わせる事もないだろう。
片手で肩を掴んで寝台に押し付け、上からローズを見遣るレンの視線は僅かな侮蔑が見え隠れしていたかもしれない。
「もっとも、何をされても良い覚悟がなければこんな所で待っていやしないだろうが」
栗色に染めた髪を一房掴んで指に絡めたレンは、邂逅の念をちらつかせた目つきでそれを見、
「それとも、髪を染めたら間違って抱くとでも?」
そして口角を僅かに持ち上げ、横目でローズを見た。
「だったらいっそ顔に布でも被せたら良い。それなら声も出ないだろう。」
それなら間違った振りをしてやっても構わない。
レンの指がローズの肩紐に掛かる。
「…っや…!」
そうなるや否や、ローズは寝台から転げ落ちるみたいに降りて、脚がおぼつかない様子で戸口に歩いた。
その様子をレンは、なんの感慨も起こらない様子でベッドに腰かけただ見ていた。
間違えるわけがない。
髪を同じ色にしたくらいで。
「…間違える?」
自分の言葉に自ら尋ねた。
そして思わず笑ってしまう。
間違えるも何も、
「触れた事などありはしないのに」
レンは自分の掌を広げ、そして握った。
クツクツと笑みが漏れる。
まるでそれは自らを嘲笑うかのような、そんな渇きを含んでいた。
触れたどころか…。
『レン?』
この手で突き落としたと言うのに。
思い出されるのは、信じられないと問掛けてくる大きく見開かれた双眸。
焼き付いたあの表情を思うと、胸は僅かにうずいた。
けれどその一連の思いの中に、後悔の念はなかった。
朝を迎えレンが朝食の席に着いた時には、すでに砦の中にローズの姿はなかった。
ブラウンは物言いたげであったが、表だってレンに何かを言ってくる事はなかった。
そんな居心地の悪さもあってか、早々と食事を済ましてレンは西へと発ったのだった。
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