第13話 戻らぬ過去に憂えた。





 自室に戻った宰相は執務机にあるグラスを床に投げつけた。

 ガシャンと気持ち良いほど盛大な音を立ててキラキラと硝子の破片が飛び散った。


「ええい、厄々しい…」


 グラスはわざわざ北の国名産のクリスタルを加工して作られた技物であったが、無惨な形で砕け床に破片が散らばっている。


 王を亡き者にし、自分の実妹の子を担ぎ上げ、意のままに後見として政治の力を握れるとばかり思っていたが実際はそうではなかった。

 確かに聡明な甥だとは知っていた。

 だが、会えばいつでも目上の者を立て、叔父である自分に意見する事などなかったと言うのに。

 ところが実際は、誰もが認める王者の風格を備え持っている青年だった。


 竜王の再来。


 それがあながち嘘ではないと思えるほどに。

 これでは自分はまた目の上に余計な物を乗せる事となってしまう。

 宰相の歯ぎしりが執務室にギリギリと不快な程に鳴った。

 宰相にとってレンは可愛い妹の忘れ形見であったが、それは極力阿呆である方が良かった。


「そもそもスイレーンの縁談が間違いだったのだ」


 スイレーンとは宰相の実妹でレンの母親である。

 宰相の家系は三世代前は王弟の家柄で、王家にとっては遠縁に当たる。

 また一世代前…宰相の父親の妹は王の正室でもあった。つまり宰相の家は南の国では他に類のない名家である。


 宰相の妹スイレーンは男勝りで少々気の強い所はあったが、貴族の中では正妃候補で評判の美しい娘だった。

 ところが、スイレーンは恋についても芯が強く、強引に想いを遂げてしまったのだ。


 その相手は王弟であった。

 王弟は緋色の髪の聡明な王子であったが、病弱で、それ故に兄王にはいたくかわいがられていた。

 それこそ親が子をかわいがるかの様に。

 王は王弟の想いをを聞くなり、即座に二人の結婚を認め、たいそう祝福し病弱な弟の為に王宮に住むことを許した程だ。


 やがて二人の間にはレンが生まれた。

 レン誕生の折り、祝福に訪れた貴族の面々は口々に言った。


「なんと竜王の面差しに似ている事か…!」


 そして暫くは幸せな時が流れた。

 だがしかし、ある日、遠駆けに出ていたスイレーンが落馬し命を落とし、そのショックで病弱な王弟は床に臥し、命の灯を消した。


「兄上…レンを…」

「心配するでない」


 死にゆく弟の手を握り王は実弟の忘れ形見を守ると約束し、自分が親代わりになるべくレンを養子に引き取った。

 それには国王夫妻が結婚五年になるにも関わらず子供に恵まれなかった事も理由に大きく関わっているだろう。

 ところがその一年後、王妃の妊娠が明らかになり、無事に女児を出産した。レン、五歳の冬である。

 南の国は男女に関わらず王位継承権がある。つまりこの時点で生まれたばかりの姫と養子のレンが候補となった。


 王女が生まれた日の事を宰相は良く覚えていた。

 おそらくこの国のほとんどの人間が覚えているだろう。


 王女が生まれたのは冬の早朝、太陽が昇ってまもなくの事であった。

 南の国は温暖な地方で、冬と言っても薄い長袖を着る程度の気温だ。

 その日もいつもと変わらない朝だった。

 人々は今日の仕事へと手を掛け始めたその時間、王女の産声と共に、南の国一帯に白い綿のような雪が降り一瞬にして野山を白く染めた。

 数分で雪は止み、瞬く間に魔法のように雪は溶けてなくなったが、宰相の記憶には無くなる事なく鮮明に残った。


 北の血が南を侵略しようとしている!…そんな想いと共に。


 三百年余り前、精霊王と共に南の地に根付いた貴族や民は、王女の誕生を境に精力的に王位継承者の擁立に向けて動き始めた。

 そう、王女は確かに直系の王族なのだ。だが、古来からの南の貴族は、余りにも精霊王に似た王女を次代の王に心から望む事が出来なかった。


 王宮が水面下で二分化される中、王妃は産後の日だちが悪く、出産からひと月も立たない内に亡くなった。

 多くの貴族が王に後添えを勧めたが、大切な人を立て続けに失った王は、これ以上何かを失うのは辛いのだと、以後、竜王の名を持つ王子と精霊王の名を持つ王女、二人の子供だけを家族に側室すら求める事はなかった。


 年月が過ぎるにつれて、レンは輝くばかりの青年に成長し、それと比例するように宰相の周りには、竜王の再来を望む声が集まってきた。


 そしてあの夜の事件が起きた。


 事の発端はその頃ではよくあった両者の些細な言い争いからだった。


「やはり次の王は直系の姫君がふさわしいかと…。ああそれとも、ただ姿が竜王に似ていると言うだけでレン殿下を擁立しようと?それは王位の参奪と言うものでは?」

「殿下はれっきとした国王陛下のご養子。また血筋も王家直径の方だ。何の問題があろうか。それに古来より我が国は武力の国であり、王が統べるべきは竜騎兵。軟弱な女王などふさわしくない」


 言い争いはお互いの血筋までに上り、遂には腕力での勝負にまで発展した。

 宰相はじっと様子を見ていた。

 その内、一人二人と争いの渦は増えていく。

 騒ぎを聞き付けた国王が姿を現した時、宰相は思ったのだ。

 いっそ温厚なだけの王には退場いただこう。このままではずる賢い北の一派に丸め込まれて、女王が誕生し、自分達南の武闘派はないがしろにされるに違いない。…と。


「陛下。ここは危のうございます。あちらへ…」


 宰相は国王を広間から出るように促した。


「これはどうした騒ぎなのだ」

「ご心配には及びません、些細な事でございますれば」


 廊下の端に一人の文官の姿を見つけると、宰相は脇の小刀を閃かせ、一思いに国王の首の動脈を切り断った。

 若き日に歴戦を経験し、歳を重ねて宰相の地位に昇りつめた男にとって、人間がどの部分を傷つけられれば絶命するかなど簡単に知る所であった。


「宰相様、何を…!」


 まだ下級士官の若い、名も知らぬ彼の真偽を問う叫びは騒ぎの中に届く事なく、宰相は彼の声より大きな声で叫んだ。


「貴様、何をする!!」

「!?」

「陛下!!…貴様!!!」


 そして宰相は小さく彼に言った。


「悪く思うなよ、国の為だ」

「ひ…っ…」


 そう、これはこの国のための正義なのだ。


 逃げる若者を宰相は別の剣を握り、背中から斬りつけた。倒れた彼に小刀を握らせて、宰相は廊下に出た。


「国王陛下を弑奉った者がいる!これを計画したと思われる首謀者を即刻、斬り捨てよ!!」


 その声を合図とするように、広間で小競り合いをしていた国の高官達は剣を抜いた。

 しかし常に鍛錬をかかさない武官達に文官達が敵うはずもなかった。

 広間はあっと言う間に血に染まった。

 宰相が何をしたのか、その場に居た五人の人間と三人の女官は悟ったが、誰もその真相を口にすることなくただ立ち尽くした。

 既に自分達の手は血で汚れてしまっていたのだ。

 その場の人間の精神に追い討ちを掛けるように宰相は言った。


「…姫の身柄を拘束せよ」

「しかし!」

「後の憂いは絶っておかなくてはならん」

「…はっ!」


 ホーバはこの時、今後いかなることがあろうとも宰相についていかなくてはならない事を悟ったのだった。

 時間が経過するにつれて、宰相は自分のした事の重さを徐々に感じ始めた。

 そしてその懺悔の念は次第に形を変えていった。

 これからは自分がこの国を動かしていくのだと。

 もう後戻りはできないのだと。


 これが南の国の王宮で、一年前に起きた事件である。


「…とにかく今はあの魔女を消してしまわなくては…」


 一件以来、宰相は王女の事を魔女と呼ぶ事にした。

 そうする事で後ろめたい気持ちが少し和らいだのだ。




 広間を通り過ぎ、レンは息苦しさを覚えて外に出た。

 あの日の惨劇をレンは間の当たりにした。

 王女と共に。

 彼女は王宮を去り、レンは残った。

 事後の処理に関しても指揮をした。宰相に任せる事は簡単だったが、このまま宰相の意のままになる事はレンの本意ではなかったからだ。

 光の庭と呼ばれた中庭に月の光が差す。

 噴水の音に掻き消されるような小さな呟きで、レンは名を呼んだ。




「…アルシーヌ」




「え?」


 ライリースはアルスが何を言っているのか意味が分からず、聞き直した。

 耳が悪いのではなく、単に話の繋がりのない単語に意味が分からなかったのだ。


「だから、オレの名前」

「あ、ああ。そうか」

「アルシーヌっていうんだ本当は。でも追われてるからアルスって名乗った。男の名前を名乗る方が良いと思ったし」


 あんた記憶喪失の怪しいヤツだったし。


「…て事は信用してくれた…って事か?」


 アルス改めアルシーヌはふいっと横を向きつつ、


「まあな」


 呟いた。


「そうか」


 ライリースはたいそう嬉しそうに笑みをこぼした。


「何喜んでんだよ。単に名前分かっただけだろ」

「そうだな」

「事情は面倒だからまた今度な」

「ああ」


 西の国の首都まであと半月余り。

 ライリースとアルシーヌの旅はまだまだ長そうだ。




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