第12話 既に有事の只中にあり、
王宮での晩餐の際に王が座る主賓席の隣の椅子で、飛び交う会話を聞きながら、レンは本日のメインディッシュを口に運んだ。
当然ながら王の椅子には誰も座っていない。
この長テーブルを囲んでいるのは、レンを含めて六人だ。
つまりこの六人と今この部屋に出入りしている女官二人が、今の国の現状を知っている面子というわけだ。
出入りしている女官達の顔色は冴えない。
大変な秘密を抱えてしまった重圧がそうさせているのだろう。もしも秘密を漏らしてしまったら自分の命が危ない事は容易に想像できた。
「殿下が名代とは名案ですな」
「殿下は国王の甥。西の国の王に対面するとしても、名代として申し分ございますまい」
レンの向かい側に座る宰相が高らかに賛同の声を上げる。
すると先ほど書簡を届けた男・ホーバが宰相の隣で、まるで合いの手を入れるように続けた。
「殿下のお顔見せにも良い機会ですしな」
「して、供には誰を。それから兵士の数は」
そこでようやくレンはナイフとフォークを置いた。
「護衛の兵士は少数で構わない」
「しかし、殿下は今や国王と変わらぬお身分。やはり相応の威厳を示すべきかと」
これだから頭の中まで筋肉で動いているタイプの人間は困る。
レンは葡萄酒で口内を湿らせた後、口を開いた。
「で、国王は既に死んでいると、暗に公表して回るつもりか?」
「く…」
「歩兵や騎馬は必要ない、少数精鋭、竜騎士だけで行く。往復の日数を考えれば一番効率が良い上、竜騎士団なら他国に対し国の威厳だか見栄だかも保てるだろう?」
歩兵と動けば往復で最低二月。竜騎兵なら途中で竜を休ませる時間を取ったとしても、片道三日とかからない。
「では、殿下の供は誰が…」
会談の最中になるべくなら無駄口を挟まないタイプの人間が良いだろう。
できれば顔色すら変えないような。
レンは一瞬そう考えて顔をあげた。
「タイガを連れて行く」
「確かに、竜騎士の中でタイガとテンガ…あの兄弟は殿下の左右の腕と存じ上げておりますが、あの者は現状を知らぬ者。よろしいのですか?」
宰相は怪訝な表情でレンを見る。
それに答えたのはテーブルの末席に座していた者だった。
「無表情のタイガならうってつけじゃなぁい?」
クスクスと笑みを漏らして葡萄酒のグラスを揺らし、斜めに宰相を見た。
彼女の名はラーニア。南の国の騎馬隊をまとめている女将軍だ。
彼女はわざとクセを付けた髪を掻き揚げる。おおよその男達が釘付けになるだろう豊満な肢体を隠そうともしない大胆な服装は、彼女の自信の現れだろうか。
「王が既に亡き者である事をヘタに知ってるより、ボロは出なさそうだし?ねぇ殿下?」
ラーニアの言葉にレンは一つ頷いた。
ラーニアは剣の腕はもちろんの事、元来姉御肌のサバサバとした性分で兵士達の人望も厚い。女性として申し分ない容姿にも関わらず、女臭さがないのはそう言った性格のせいだろう。
戦場で指揮をする様は獲物を狩る美しい獣のようで、ついたあだ名が雌豹だ。
レンが信用している人間の一人である。
「国に残していく竜騎兵の指揮はテンガに任せる。相談役は…ラーニアにお願いしよう」
「了~解」
ラーニアはグラスをレンに向かって掲げた。
南は暑さの厳しい国であるが故に、暑気を和らげる工夫が城の随所に施されており、その一つが王宮の地下に張り巡らされた地下水路である。そこから汲み上げられた水が、数箇所の室内通路の壁面を薄布が覆うように滝となり芸術的に癒しの空間を作っていた。
もちろんそれだけの理由ではない。
南は乾燥した地域である為、こういった水道施設と言うのは干ばつ等の時に水の供給に役立つ。
また水の廊下は賓客が通される通路に配されており、南にとって財の象徴である水資源と、高度な工事技術を無言のまま示す事が出来るのだ。
晩餐が終わり、今レンが歩いている廊下はまさにその場所であった。
「殿下」
廊下の柱にもたれたまま、ラーニアはレンを待っていた。
腕組みを解いてラーニアは壁から背を離しレンに近づいた。
「…ラーニアか」
「例の件だけど」
レンはちらと辺りを視線だけで確認して「…ああ」先を促した。
「西との国境で見失ったと報告があったわ」
「そうか」
西の国…。
レンは頭の中で国境の風景を浮かべ、沈黙した。
あの辺りは西の内乱の影響も酷く、それに被る被害を防ぐ為に南の国境警備も増員せざるを得ないような場所だ。
王宮武人が多く出入りしそうな場所にいるとは思わなかった。灯台元暗し…か。
「それと宰相の配下の者も見かけた、と。こちらの動きはまだ見つかっていないようだけど」
ふうっとレンは息を吐き出した。
その音は滝の水音に消される程に小さなものだった。それ故に二人の声を潜めた会話は余程近づかなければ聞こえないだろう。
「それから気になる事が一つ」
ラーニアは言いながら髪を掻き上げた。その仕草は魅力的ではあるが、レンをその対象として誘っているわけでもないのか、艶かしい感じはしなかった。
レンは黙ってその先を促した。
「国境の村で見失う直前、同行者がいたらしい」
「同行者?」
「ええ。…金髪で…殿下と同じくらい長身の随分良い男らしいわよ?」
「…」
「気になる?」
ラーニアは斜めにレンを見た。少し可笑しそうに笑みを浮かべて。
「…いや。金髪は東に多い髪だが、俺位の長身となると少々目立つな」
「ええ。今の所宰相の手の者達は同行者の情報は掴んでいないようだから、目は向かないかもしれないけど、時間の問題ね。いっそこちらで極秘に身柄を押さえては?」
「いや、それはできない」
それは危険だとレンは思った。
最終的に自ら国家権力を握りたい宰相は、今はレンを政治的に担ぎ上げているが、付け入る理由を与えればいつ反旗を翻すとも限らない。
今、彼女を不用意に手元に置けば、将来的に宰相に難癖を付けられる事は目に見えている。
宰相は知っているのだ、レンが宰相である己を信用していない事を。そしてレンもまた宰相が真に自分に尽くす者ではない事を知っていた。
「あいつらにとっては俺もそのうち邪魔だろうからな」
レンがもう少し頭が悪ければ宰相にとっては良い人形になったのだろうが、いかんせんレンは南の国きっての切れ者である。
「…今は引き続き任に当たってくれ」
レンはこれ以上の話は無用だと、ランの横を通り過ぎた。
その背中にラーニアは腕を組み直し僅かに目を伏せて声を掛けた。
「了解…。……ねえ殿下。あたしは殿下が王位に就く事は賛成してる。宰相みたいに姫を殺そうとは思わないけど、姫には失踪してもらったままの方が好都合ではないの?」
むしろ殿下の知らない所で命を失ってくれた方が後の憂いが少ないように思う。
それはレンの足を止める事に成功したが、レンは振り返る事もなく、
「それもそうだな。まあ…居場所を把握しておけば、いざという時は何とでもなるだろう?」
声色すら変えず、一切の感情のないまま答えただけで、その場から歩き去っていった。
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