第11話 一方、竜王の国では、




 南の国は他の国に比べて温度が高く、乾燥していて水資源が少ない。

 そんな温度が更に2、3度上昇するのではないかというほどの剣幕で、


「まだ見つからんのか!」


 五十歳半ばのいかにも武術に長けたと言う風情の男は、大理石の広間が震える程に怒鳴りつけた。


「申し訳ございません!」


 三名の若い兵士は床に額がつくほどに頭を垂れる。


「その言葉は聞き飽きたわ!!小娘の一人見つけられんとは…!」


 ギリギリと歯ぎしりがなる。

 この音を耳に聞いた時、兵士達は次に訪れる罰に震え、半ば生きた心地さえしなかった。

 目の前の上司は、一国の宰相という地位にあったが、元々は根っからの武闘派で、敵国の捕虜や罪人の扱いが惨い事でも知られていたからだ。

 心底怒りを買ってしまったならば、男の怒りを鎮めるだけの罰を覚悟しなくてはならない。

 しかし彼らは幸運にも、予想した不幸な展開には至らなかった。


「何の騒ぎだ」


 救いの声は想像の中の天使のように柔らかな声ではなかったが、この時の彼らにとってはそうとも受け止められる程にありがたい響きを持っていた。


「これは、殿下…」


 緋色の髪の若者は兵士達に視線を移し、ちらと見て、「下がれ」と低く告げた。

 兵士たちが内心ほっと胸を撫で下ろし一礼をして、文字通りそそくさとその場から立ち去ると、若者は男に向き直る。


「追わずとも、世間知らずの少女がたった一人で無事とは考えにくい」

「しかしレン殿下。念には念を…でございますれば」

「ふん…。苦労性な事だな宰相殿は。よもや少女一人の生死が分からなくば、俺を担ぐには不安とでも考えといるのではないかと、少し勘繰ってしまったぞ」


 口元に笑みを湛えたまま、けれど眼光はするどく、レンは小さく喉を笑みで鳴らした。


「まさか…!」

「まあ、好きにすると良い」


 伝説の竜王と同じ名を持った若者はそれきり男を無視して回廊を歩き始める。

 その背中では、宰相が南方の暑さが原因ではない汗を拭い一礼をしていた。




『レン』




 途中、聞こえるはずのない声を聞いて、レンは足を止める。

 そこは竜王と精霊王が晩年まで過ごしたと言う光の庭と呼ばれる庭園だ。

 二人はよく噴水の横で仲むつまじく過ごしたらしい。


 北の復興に尽力したと言われる精霊王アルシーヌは、それでも彼女の人生が終わるまでに、北の大地に戻る事は叶わなかった。

 北の大地に人が生活を営めるようになったのは彼女が亡くなってから更に五十年後の事だ。


 しかし、彼女が生きている間に復興が叶ったとして、北へ王として戻ったかどうかは、甚だ疑問だな。


 史実を思い起こしながらレンはひとりごちた。

 何故なら精霊王は、北の生き残りなどの周囲の反対を押し切って、この南の地で竜王の子を産み落としたからだ。


 あらゆる面で成長の早かった竜王は、少年期からすでに女性関係に事かかない、いわゆるプレイボーイだったが、精霊王に出会ってからはただ一人を愛し生きた。

 側室も持たず、数十人の愛妃とその数倍の女官を住まわせられる位広い後宮の、たった一人の主として彼女を留め置いた。

 結果、南の王家は二つの王の血を受け継ぐ事となったのである。


「それがそもそもの間違いだったのかもしれない」


 竜王の肖像画とそっくりな顔立ちで、レンは呟き、胸の奥でその続きを口にする。

 二つの王の血が、今のこの国の混乱を招いたのだ、と。


 さて、南の国は今も昔も変わらず、軍事国家である。

 広大だが、干上がった荒野が多く厳しい環境の中、竜を駆る屈強な竜騎士団は世界最強と詠われた。

 厳しい自然環境せいなのか、古来より強い王の元に敷かれた君主制が根強い為なのか、南の国は分裂を今日まで逃れた。


 だが、どこの国でも多かれ少なかれ憂事を抱えているものである。

 今この国は王位不在のまま後継者争いに揺れていた。

 但し、国民にも諸外国にも王の崩御は全く知らされる事なく、一部の人間のみだけが事の事態を把握していた。

 現状全ての原因を求めて歴史を紐解けば、それは二人の王の出会いから始まっていたのかもしれない。




『レン』




 噴水横まで歩いたレンは、声が聞こえた気がしてはっとして顔を上げる。

 風がレンの脇を通り抜けた。

 緋色の髪がなぶられてレンは空を仰ぎ、目を伏せる。

 想い出を胸に馳せているのか、それとも感傷的な自分を嘲っているのか、別の何かを思っているのか、それすら伏せられた瞼で隠されてしまった。


 そんなレンに声を掛ける者があった。その人物は当然そんな一連の心の動きなど知るよしもなく、回廊からその場の空気をぶち壊すような大声を上げた。


「殿下!!ここに居られましたか!!」


 僅かに煩わしいと感じて、相手には分からない程度、眉をひそめたのは、レンが狭心だからではない。それほどに男の声がデリカシーに欠けていたのだ。


「…何用だ」


 男は駆け寄るとレンの眼前でマントを翻し膝を付いた。

 衣類から彼が相当の位にある人物と見受けられたが、今、彼から感じるのは恐縮の二文字である。


「西の国から書状が届いております」


 十八もの小国に分かれた西の、どの国からなのかと問いたくなったレンであったが、東西の国が乱れるのと比例して国境線での戦乱が多数起こり、武功のみで成り上がった目の前の男のような者がこの国の士官に多い現状こそを憂えるべきか…と思い直して問い正すのを止め、差し出された書状を受け取った。


 書状は、分裂した小国からではなく、元の西の王国からであった。

 レンは書状にさっと目を通し終わると、再び男に返した。


 書状は、南の王へ宛てた、一月後に開かれる西の祭典への招待状だ。

 丁寧にも祭典主催の聖殿の主、法王印まで捺してあった。

 分裂し国力衰えるばかりの西の王としては、南との仲をよしなにしておきたいに決まっている。外遊とは名ばかりの政治的な会談であることは明白だ。

 やれやれ。死した亡き王への招待状か。


 膝をついたままの男が顔を上げて言った。


「…名代を立てるしかございませんな」


 当たり前だ。

 問題は、王の代わりとして問題のないそれなりの地位に着き、亡霊のまま在位している王を生きた王として対外的に保ち、その嘘を嘘とせず振る舞え、かつ、外交を巧くこなせる人選だ。

 少なくとも目の前の男に務まらない事だけは判明した。


「…とりあえず、宰相にその書状を渡してくれ。晩餐に主だった者達を召集するように」


 そう命じつつレンは思った。

 宰相ですら文より武の人間。戦争で頼りになっても政治では二流か。

 この国に文官が少ない原因を思い、レンは内心ため息をつく。

 後継者争いでおおよそが文官と武官の間で意見が二つに割れてしまった為に、あの夜、主だった文官達を、宰相が王と一緒に惨殺してしまったのだ。

 宰相一人に罪を押し付けるつもりはないが、自らが陣頭に立っていたならばこのような事態にはしなかった。

 と言っても、この争い自体、レンともう一人の後継者の預かり知らぬ所で起こってしまった事態で、自身で何とかできた事など一つもありはしないのだが。


「王の名代か…」


 果たして今のこの国に適切な人材は居ただろうか。

 考えを巡らせ、思い当たった人物に、レンは深くため息を吐くしかなかった。

 自分か…、と。



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