第5話 両親の背中

「ロイドさまは砂漠で産出される鉱石や、交易がもたらす富を独占いたしません。再分配してみんなに分け与えます。それだけでなく、軍役においては自らが陣頭に立って戦います。砂漠の民たちはそんなロイドさまを心から尊敬し、『砂漠の狼王ウルデンガルム』と慕っているのです」

「はい。僕も父上を藩王として尊敬しています」

「しかし、若君はご存知ですかな? ロイドさまは若い時分、とてもご気性が荒かったのです」

「そうなのですか?」

「ええ。内紛の絶えないウルド国で力を誇示し、武力のみで辺境を支配しておりました。反発する者がいれば、強兵でもってすぐに蹂躙する。『砂漠の狼王ウルデンガルム』とはほど遠い、血に餓えた狼だったのでございます」

「血に餓えた狼……」


 レインは父の意外な過去に興味を惹かれた。少し身を乗り出すとハイゼルは大きく頷いて話を続ける。


「餓狼と恐れられたロイドさまですが、サリーシャさまと出会って変わられました。サリーシャさまこそ苛烈な性格をなさっておいでです。一緒にいるためには変わらざるを得なかったのかもしれません。そもそも、お二人が初めて出会ったのは戦場です。お互い、敵対する部族の長でした」

「父上と母上が敵同士かたきどうしだったのですか!?」

「さようですとも。サリーシャさまは戦場いくさばでの口上で、ロイドさまに『お前の牙は誰のためにあるのか!? 群れのことを考えない傲慢な狼王おおかみおうなどいらぬ。生皮を剥いで敷物とするまでだ!!』とおっしゃいました」

「ち、父上が父上なら、母上も母上ですね……」

「ははは。戦場におけるサリーシャさまは万夫不当ばんぷふとう豪胆無比ごうたんむひ。わたしもその場にいましたが、さすがのロイドさまも口をつぐむしかありませんでした」

「……」


 レインの知っているロイドとサリーシャは仲睦まじい夫婦そのものだった。二人の背中を見て育った息子としては、にわかには信じ難い。ハイゼルはそんなレインを見て優しい口調になる。


いくさを離れたサリーシャさまはとても優しく、思いやりのある方です。兵士を勇気づけるため、部族の民を守るため、わざと猛々たけだけしく振る舞っておられたのでしょう。やがて、ロイドさまはそんなサリーシャさまに強く惹かれていきました。仇敵同士という越え難い壁を乗り越えて求婚なさったのです」

「それで……母上は何と答えたのですか?」

「もちろん、断りました」

「さすが母上……」


 父が母に断られるところを想像すると妙に可笑しくなる。レインは眉根を寄せて苦笑いを浮かべた。


「ははは。若君、そんな顔をなさいますな。それでも、ロイドさまは諦めずにサリーシャさまと逢瀬を重ねたのです。そのうち、酷烈な性格は鳴りをひそめ、他部族もおもんぱかるようになっていきました。サリーシャさまもひたむきなロイドさまにだんだんと惹かれていきます。やがて、お二人は共にウルドの内紛を鎮め、晴れてご結婚なさいました」

「そうだったのですね」

「はい。ロイドさまは常々、『我が妻こそウルド国を繁栄に導く指導者。砂漠の狼王ウルデンガルムには俺よりサリーシャの方が相応しい』と申されておりました。心よりサリーシャさまを尊敬しておられるのです。結局のところ……」


 ハイゼルは角ばった皺だらけの手をレインの肩に置いた。


「結婚とは『二人がどのように出会うか?』が問題ではなく、『二人でどのように過ごすか?』が問題なのです。若君がリリー殿下を伴侶として尊重なさるのなら、きっと夫婦生活は上々のものとなりましょう」


 ハイゼルは穏やかに語っていたが、「ただ……」と付け加えながら急にグッと手に力をこめた。レインは肩にかかる重みに意図を感じてハイゼルを見る。ハイゼルの目は老人とは思えないほど殺気立っていた。さっきまでとは別人だった。


「もしリリー殿下が若君をないがしろにし、ウルドを滅亡へ導こうとなさるのなら……そのときは……神聖グランヒルド帝国を相手に一戦交える覚悟をなさるのですぞ」

「……」

「婚姻関係がこじれて戦争へ発展する……領邦国家りょうほうこっかでは珍しくないことです。いざともなれば我ら一同、若君の尖兵せんぺいとなって戦いましょう」

「わ、わかりました……」


 誰かに聞かれていれば反逆罪に問われてもおかしくない内容だった。ハイゼルの気迫に圧倒され、レインは背筋に冷や汗が流れるのを感じた。肩から手の重みが消えるとようやく緊張がとけてゆく。


──ハイゼル将軍はなぜ急に物騒な物言いになったのだろう? リリー殿下が『傾国姫けいこくき』と噂されるのを聞いて心配したのだろうか……?


 レインにはハイゼルの真意がわからない。訝しんでいるとハイゼルはさらに顔を近づけて声をひそめた。


「先日、交易路を通った隊商から聞いたのですが、ダルマハルの北で大軍を見かけたそうでございます」

「大軍を?」

「はい。紋章は『翼竜よくりゅう』。皇軍だったそうでございます。しかし、わたしは何も知らされていません。若君は集まった兵士たちから何か聞いておりますか?」

「いや、何も……」

「なるほど。奇妙だとは思いませぬか? 皇族ならばリリー殿下と共に来るはず。それが、人知れずウルド砂漠へ入り、忽然と消えました」

「……」


 レインは何も言えなかった。皇軍は皇族の直轄軍で、藩王の許可なく帝国内を自由に移動できる。それでも、領国を通過する際には藩王へ告げるのが習慣だった。もし、藩王ロイドが皇軍の通過を知っていたなら、レインやハイゼルに必ず伝えているはずだ。


「父上や母上には? 伝えたのですか?」

「はい。念のために急使を飛ばしてあります」


 レインが尋ねるとハイゼルは物事の道理を見定めるように目を細めた。


「若君、リリー殿下とのご結婚に反感を抱く者もいれば、要らぬ野心を抱く者もおりましょう。知らないところで知らない恨みを買っていることもあるのです。くれぐれも用心なされませ」

「ご忠告、胸に刻んでおきます」


 そう答えながらもレインは頭の片隅に引っかかるものを感じた。


──ハイゼル将軍は何かを隠している。


 ハイゼルの殺気や口ぶりを見ていると、そう思わずにはいられなかった。


長話ながばなしが過ぎました。それでは、そろそろ参りましょう。みなが待っております」

「はい……」


 ハイゼルが長椅子から立ち上がるとレインもあとに続く。二人は足並みをそろえて酒席へ戻った。いつの間にか、美しい弦楽器の音色もやんでいた。

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