第6話 刺客

 ついに、リリー・ルキウス・グランヒルド・フレイヤを迎える日がやってきた。この日、ダルマハルは朝から喧騒を極めていた。リリーを一目見ようと近隣からも住人たちが集まり、さらには集まった人々を目当てに商人たちが張り切って露店を出している。しかし……。


 活気づく街並みとは対照的に、ダルマハルの城内は静まり返っていた。兵士たちのほとんどが市中警備と街道警備に向かい、ハイゼルも一軍を率いてリリーの出迎えに向かった。


──えっと、前髪はもう少し横に流した方がいいかな……。


 レインは城内の自室で鏡に向かっていた。南方由来の整髪剤に手こずりながら髪型を整えている。


──帝都でどんな髪型が流行っているか、少しは勉強しておくべきだった……。


 あきらめてため息をつくころジョシュの呆れた声が聞こえてきた。


「まだ用意が終わらねぇのか。早馬の知らせだと、リリー殿下はカプラナ高原を抜けたそうだ。昼過ぎには到着なさるぜ」

「知ってるよ」

「……いつまでくせ毛と格闘してんだよ」


 ジョシュは部屋の壁に寄りかかり、髪型に悪戦苦闘するレインを見て笑っている。レインは鏡に向かったまま眉を顰めた。


「それより、リリー殿下を迎える準備はできているのか?」

「ああ、ダルマハル城外の砂漠に陣を張っている。ダンテが指揮しているから大丈夫だ。砂船も含めた大軍だからな、リリー殿下がご覧になったら驚くぞ」

「そうか……ジョシュ、お前もダンテを手伝ってこい」


 レインはタオルで手を拭きながら告げる。今度はジョシュが眉を顰める番だった。腕を組みながらレインを睨む。


「何でだよ? お前の警護はどうするんだ?」

「僕なら大丈夫。用意が終わったらそっちに向かうよ」

「ダメだ。次期藩王を一人になんてできるか。リリー殿下との謁見だって控えているんだぞ」

「だからだよ。少し、一人になりたいんだ。頼む」

「……」


 レインが命令ではなく頼んでくる。よほど、緊張と不安でまいっているのだろう。ジョシュは困り顔でレインを見つめていたが、やがて渋々ながら腕組みを解いた。


「わかったよ。でも、衛兵は置いていくからな」


 ジョシュは去り際、戸口に立つ衛兵へ向かって「我がご主君は結婚を控えて神経質になっているらしい」と、レインにも聞こえるように言い残す。レインは苦笑いを浮かべながらジョシュの背中を見送った。


 不満げなジョシュがいなくなると急に静かになった。レインは再び鏡を見る。そこには何事にも自信を持てない不安げな青年が映っていた。


──僕はいくさも知らず、恋も知らず……。


 レインはジョシュやダンテと違って初陣がまだだった。元より争いを好まない性格だが、それでも同年代の仲間たちが武勲を立てる姿に憧れた。戦功を立てた者は異性にもてはやされ、憧れの眼差しを向けられる。そんな仲間たちが素直に羨ましかった。


 レインだって今まで恋愛に興味がなかったわけでもない。好きになった女もそれなりにいる。だが、『藩王の息子』であるためか、知り合った女は誰もがレインへの気づかいが過度であり、機嫌を損ねないように接してきた。当時のレインにはそんな女たちが本音を隠した煩わしい人間に思えた。しかし……。


──気をつかってくれるだけ、ありがたいことだったのだな。僕はなんて傲慢だったのだろう……。


 今となってはレインがリリーに気をつかっている。同じ立場になって初めてわかることもあった。リリーの機嫌を損ねれば家名の断絶はおろか、ウルド国だって滅びかねない。


──リリー殿下は『傾国姫けいこくき』と噂されているのか……。


 レインは超大国の皇女をあれこれと想像することに疲れ始めていた。ふと、外の空気が吸いたくなり、扉へと向かう。衛兵がついて来ようとするが、「ついてこないように」と強く言い含めて歩き始めた。



×  ×  ×



 レインがダルマハル城の屋上に出ると、そこに人の気配はなかった。街を取り囲む城壁は別として、ほとんどの兵士が出払っている。レインは人目を気にすることなく両手を広げ、乾いた空気を思いきり吸いこんだ。


 深呼吸をすると胸のつかえが幾分か和らいだ気がする。レインは吹き抜ける砂漠の熱風に目を細めながら静寂に浸ろうとした。すると、どこからともなく弦楽器を奏でる音が聞こえてくる。旋律に聞き覚えがあった。


──ハイゼル将軍といるときに聴いた曲だ……。


 辺りを注意深く見回してみると、胸壁きょうへきに白い軽装甲冑を纏った男が座っている。男はかなりの高身長で、艶やかな黒の長髪に切れ長の目つきをしていた。三胡さんこと呼ばれる三本弦の楽器を太ももの上に立てて優雅に演奏している。貴族を描いた絵画から出てきたような気品あふれるよそおいだった。


──なんて綺麗なひとなんだ……。


 レインが見とれていると男は視線に気づいて演奏を止めた。三胡さんこを胸壁に立てかけてニコリと微笑みかけてくる。


──え……。


 レインはどぎまぎしながら黙礼を返した。すると突然……。


「レイン・ウォルフ・キースリングさまでございますね」

「!?」


 男はなまりのない流れるような口調で語りかけてきた。


──なぜ、僕の名前を知っている?


 レインが戸惑っている間に、男は薄い笑みを浮かべてこちらへ歩み寄ってくる。


「レイン・ウォルフ・キースリング……」


 男はもう一度だけ小さく呟いた。かと思えば、次の瞬間には腰の帯剣を抜き放って大きく跳躍する。そのまま、レインへ向けて白刃を振り下ろした。


──!!??


 金属がぶつかり合う音と共にレインの腕に大きく衝撃が走る。レインは寸でのところで抜刀し、男の斬撃を正面で受け止めていた。


「な、何を……!?」


 レインが問いただそうとする間もない。男は間髪いれず剣を横に一閃させる。レインは身体を大きくのけらせて躱すが、切っ先がレインの右眉の上を掠った。額に一筋の赤い線ができ、すぐにそこから血があふれ出てくる。傷は浅いが血が右目に入り、右側の視界が奪われた。


──ッッ!!


 レインは後退しながら両手で柄を握りしめ、こちらも剣先を男へ向ける。叫んで衛兵を呼ぼうとも考えたが、気をらせば男の斬撃を浴びてしまいそうでなかなか声を出せない。逃げるのも同じで、背中を見せれば瞬時に斬り殺されてしまうように思えた。


──な、何者だ……。


 男は相変わらず口元に笑みをたたえて無造作に距離を詰めてくる。その姿を見たレインは男との実力差が絶望的なまでに開いていると悟った。間もなく、レインは男に斬り殺されるだろう。確信めいた予感が脳裏をよぎり、膝が微かに震え始めた。


──くそ……こうなったら、ダメもとで男へ一撃を。

  

 血が入ったせいで右目がひりつくように痛む。男との距離感も上手く測れない。レインは恐怖心を押し殺し、活路を求めて破れかぶれの行動に出ようとした。その時……。


 二人の横合いから一陣の黒い風が巻き起こって男を襲った。再び金属の打ち合う激しい音が響き、今度は男が跳ね飛ばされる。突風の正体は勢いよく斬撃を放つジョシュだった。


「レインを守れ!!」

「「「おう!!!!」」」


 ジョシュはレインと男の間に割って入り、髪を逆立てながら叫ぶ。とたんに、幾人もの衛兵が屋上へなだれこんできた。衛兵たちは槍衾やりぶすまをつくってレインの壁となる。


「おい、お前ら。命に代えてもレインを守れ!! コイツは押し包んで生け捕りにしろ。何者なのか、俺が身体にいてやる」


 レインの傷を見たジョシュは怒りに震えながら命じ、大剣を片手に自ら先頭となって男と対峙する。衛兵の一部は男を取り囲むように左右へ展開して前進した。


「ジョシュ、油断するな!!」


 レインはジョシュを激励しつつ衛兵の合間から男を見る。男は剣技によほど自信があるのだろう。ジョシュや衛兵たちを前にしても動じた様子がない。落ち着き払ったまま、ちらりとレインを一瞥した。


──え……。


 男と視線が合ったレインは背筋に悪寒が走った。男の顔には幾つもの細長い血管が浮かび上がり、赤い口がめいっぱいに開かれている。レインには男の顔が狂気を内包した悪意のかたまりに見えた。



「レイン・ウォルフ・キースリング!!!!!!!!」



 男は大きく見開いた目を爛々と輝かせて力の限り叫んだ。あまりの怒声に空気が震え、レインだけでなくジョシュや衛兵たちもびくんと気圧けおされる。その一瞬を突いて男はひらりと胸壁から外へ飛び降りた。


「「「!!!!????」」」


 ジョシュや衛兵は慌てて胸壁に駆け寄った。見下ろしてみると男は数メートル下にある側防塔そくぼうとう円屋根まるやねに着地し、そのまま城壁まであっという間に到達する。常人とは思えない軽業だった。


「くそ!! 」


 ジョシュは苛立ちを隠さなかった。すぐに衛兵へ指示を出す。


「追え!! 逃がすな!! 絵師に似姿にすがたを作らせろ!! 手にあまるようなら殺せ!!」

「「「はい!!!!」」」


 衛兵たちは殺気立って駆け出してゆく。レインはやっと平静を取り戻し、懐から取り出した布で額の傷を押さえる。息を整えながらジョシュを見た。


「ジョシュ、ありがとう。おかげで命を救われた」

「……申し訳ございません」

「え?」

「お傍を離れたこと、不忠の極み……どのような処罰もお受けいたします」


 ジョシュは深々と頭を下げる。親しげに軽口を叩くいつもの姿とは打って変わり、真っ青な顔には後悔があふれていた。レインは首を振り、柔らかな口調で答えた。


「そんなことはない。僕を気にかけて戻って来てくれたじゃないか」

「しかし……」

「僕が『一人になりたい』と言ったんだ。僕が悪い……」

「……」


 レインにジョシュを責める気持ちはない。しかし、どれだけ言葉を並べてもジョシュの顔色が晴れることはなかった。レインはいたたまれない気持ちになり、強引に話題を変えた。


「まずは医者のところへ行く。血まみれでリリー殿下にお会いするわけにはいかないだろ?」

「……はい。わかりました」

「今回のことが騒ぎになるだろうけど、僕は……リリー殿下との謁見を必ず成功させたいんだ」

「御意」


 レインが静かに告げるとジョシュは威儀を正して頭を下げた。

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