第4話 ダルマハル

 交易都市ダルマハルは白い砂がついえるウルド砂漠東の果てにある。そこは東西南北にびる交易路が交わる要衝ようしょうで、円形の都市には防砂ぼうさの城壁が築かれていた。30メートルはあろうかという城壁には『狼』の紋章が縫いこまれた軍旗がなびいている。


 レインはダルマハルが見えてくると進軍を止めた。そして、ジョシュやダンテといった側近だけを従えて城門へ向かう。すると、呼応するかのように城門から騎兵を従えた男が出てきた。男は老齢だが精悍せいかんな身体つきで、軽装甲冑の上に白いローブをまとっている。レインたちの前まで来ると険しい顔つきで睨みつけてきた。


「レイン・ウォルフ・キースリング!! 我が藩王はんおうロイドさまの留守に軍旅ぐんりょもよおすとは何事か!?」


 男は大声で問いかけてくる。ジョシュとダンテは驚いた様子で顔を見合わせるが、レインは全く動じなかった。


「ハイゼル将軍、これは軍旅ではない!! リリー殿下奉迎ほうげいのための儀仗兵ぎじょうへいです!!」


 レインが堂々と答えると突然、ハイゼルのいかめしい顔がクシャクシャの笑顔になる。ハイゼルは嬉しそうにレインの傍へ馬をよせた。


「若君、お久しぶりでございます。久しく会わぬ間にだいぶ口達者になられましたな」

「あまりからかわないでください。……将軍はお元気そうで何よりです」


 かつて、ハイゼルはレインの守役もりやくであり、幼いレインに武芸や兵法を教えてくれた。父ロイドが最も信頼する家臣で、要衝ダルマハルの城主を任されている。百戦錬磨の老将は若いレインたちと自分を見比べた。


「最近は甲冑も重く感じるようになりました。ウルドの狼も老いれば足弱の老犬となり果てます」

「何をおっしゃいますか。将軍にはまだまだ現役でいてもらわなければ困ります」

「なんと。若君はこの老体に『まだ働け』とおっしゃるのですかな」


 そう言いながらもハイゼルは柔らかな笑みを浮かべる。幼いころのレインには戦闘訓練で相手を気遣ったり、狩りで獲物の命を奪えない一面があった。


 昔はそんなレインを『弱肉強食のウルド砂漠を治めていくには優しすぎる』と心配したものだが、それが今や大軍を率いて目の前にいる。これほど嬉しいことはなかった。


「それにしても、短期間でこのような大軍を編制なさるとは……さすがは『砂漠の狼王ウルデンガルム』のご子息です」


 『レインが皇女リリーと結婚する』という事情はハイゼルも知っている。ハイゼルが褒め称えるとレインは少し困ったように視線を落とした。


「突然の出兵要請でしたが、各都市の城主たちはこころよく兵を出してくれました。これでリリー殿下をお迎えすることができます」

「さようですな。ウルドの名誉も保たれましょう」

「すべて父の威光です。父やあなたがウルドのために血を流してくれたおかげで、これだけの兵が集まってくれました。感謝するばかりです」


 レインはどこか寂しそうで『僕の力ではない』とでも言いたげだった。


──もっと胸を張ってよいものを……若君のご気性は変わらぬな。


 謙虚に振る舞うレインを見ながらハイゼルは角ばった顎をなでた。あらためてレインの軍勢を眺めてみると、騎兵、歩兵、砂船すなぶねのすべてがピタリと動きを止めており、隊列には一糸いっしの乱れもない。


──急造の軍隊をここまで統率するとは、よほど優秀な副官がいるに違いない。


 ハイゼルはレインの後ろで待機するジョシュとダンテを一瞥した。二人とも会話を邪魔しないように控えているが、緊張感だけは保ってレインの一挙手一投足に気を配っている。


──よい部下を持たれた。若く強い狼たちに慕われるのなら……やはり、若君も『砂漠の狼王ウルデンガルム』としての資質を持っていらっしゃる。ロイドさまもお喜びになるだろう。


 ハイゼルにはレインの姿が若き日のロイドと重なって見える。思い出を懐かしむように目を細め、満足そうに頷きながらレインをダルマハルへ誘った。


「若君、どうぞダルマハルへ!! 大軍の駐留にはれっこでございます。安心して滞在なされませ」

「ありがとうございます」


 レインはジョシュとダンテへ振り返り、目で合図を送る。二人はレインへ頷き返すと声をそろえて指示を出した。


「「進軍再開!! ダルマハル城外にて陣を張れ!!」」

「「「畏まりました!!!!」」」


 側近の部隊長たちはすぐに馬を駆る。やがて、陣太鼓の打音が空気を震わせると兵士たちは再び行進を始めた。



×  ×  ×



 照りつけていた太陽が地平線の彼方に沈み、砂漠に夜のとばりが下りる。ダルマハル城内で歓迎のうたげが始まるとジョシュは上機嫌で酒を煽り、レインとダンテは有力者たちに挨拶して回った。


 酒宴が熱を帯びてくると、宴席は「リリー殿下はなぜレインさまを結婚相手に選んだのか?」という話題で持ちきりとなった。興味本位の質問にレインは「僕にははかりかねます」と苦笑していたが、やがて好奇の目に耐えられなくなった。


「ちょっと失礼いたします」


 レインが席を立つとジョシュやダンテも席を外そうとする。レインはそんな二人を制して酒席を抜け出し、そのままふらりと城壁へ向かった。城壁には数人の衛兵がいるだけで、胸壁きょうへきの合間からはダルマハルの街並みが見下ろせる。


──みんな、リリー殿下が気になるのだな。……それにしても、少し飲みすぎた。


 大きく伸びをすると涼しい夜風が頬をなでる。どこからともなく、弦楽器を奏でる音も聴こえてきた。帝都の宮殿を連想するような優雅な旋律だった。思わず耳を傾けていると突然、背後から呼びかけられた。


「若君」


 レインが振り向くとハイゼルが立っている。


「臣下たちの無礼、どうかお許しください。無用な詮索をいたしました……」

「僕なら大丈夫です。リリー殿下はお噂の絶えないお方。仕方ありません」

みな、浮かれているのです。皇女殿下がウルドへ降嫁なさるなど、夢にも思わぬこと……」


 ハイゼルは神妙な面持おももちでレインの隣までやってくる。重苦しい雰囲気が漂うとレインはダルマハルの夜景を眺めながら話題を変えた。


「それにしても、ダルマハルは美しい街ですね。煌びやかで、賑やかで……」

「お褒めいただき光栄です。しかし、藩都ウルディードと比べれば些細なものでしょう」

「……そのウルディードも帝都グランゲートと比べれば霞んでしまいます」

「……」


 レインは思うところがあるのか、含みのある言い方をする。ハイゼルが言葉を待つとレインは思い切って正直に尋ねた。


「リリー殿下はウルドを好きになってくれるでしょうか?」

「ははは。それは、わかりませぬ……若君はリリー殿下のことが気になるのですな?」

「はい。僕は『砂漠の狼王ウルデンガルム』でもなんでもない。いくさすら知らないただの青年です。リリー殿下の結婚相手として相応ふさわしいかどうか不安になります」

「ほう……」


 ハイゼルは静かに微笑みながら設置された長椅子へ腰を下ろす。そして、レインにも隣へ座るように促した。


「少し昔話をしてもよろしいですかな? 藩王ロイドさまと奥方サリーシャさまについてでございます」

「父上と母上の? ……わかりました」


 レインが座るとハイゼルは「コホン」と咳ばらいをして語り始めた。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る