第42話 憎まれっ子は世に憚れない②
(1)
「んじゃ、上がるよー」
「ちょ、待てって。つーか、マジで何しに」
「空き時間できたしぃ?超ひっさびさに寄ろっかなーと。てゆーか、用がなきゃここに来ちゃダメな訳?」
慈雨はショートブーツのジッパーを下ろし、よいしょーっと言いながら珠璃を押しのけ、廊下を上がる。
「叔母ちゃん、ひさしぶり」
「おっ、ヒナくん。会うの何年ぶりだ?!まあたでっかくなったね!今
「えー?たしか一七七か八くらい?」
「あんたはいくつくらい?!」
「はあ?!」
なんでいきなり身長の話題になってんだよ、と思いつつ、めんどくさそうに「最近測ってねーし。最後に測った時は一六三?だったような。たぶん」と珠璃は答えた。
「身長だけは私に似なかったねぇ」
「身長以外もオカンに似てねーし」
「出た出た!反抗期!!」
「つか、マジ何しに来た。あたしらプチ打ち上げの真っ最中だったんだけど!」
「打ち上げぇ?」
黒ニット帽の猫耳をきゅむっと指先で握りしめ、慈雨は愛くるしい表情のまま、剣呑な声を出す。その時、初めて珠璃の私室の扉、陰から様子を窺う晶羽の姿に気づいた。
「あらまぁ、珠璃のお友達ぃ?ごめんねぇ、突然お邪魔しちゃって!」
「あっ、えっ、だ、だいじょうぶ、ですっ」
猫耳から指先を離し、慈雨は「珠璃の母ですー、娘がお世話になってますー」と、晶羽へと丁重に頭を下げる。つられて晶羽も、「い、いえ、こちらこそ、珠璃ちゃんにはいつもお世話になってます……」とぺこぺこ頭を下げた。
「挨拶合戦はもういいからよー、いい加減打ち上げの続きやろうぜー?オカンもどうせ混ざる気満々なんだろ?晶羽ちゃん、……オカン混ざってもいい?」
後頭部で両手を組み、珠璃は盛大にため息を吐く。
「イヤだったりうざかったら正直に言って」
「ひっどぉおーい!オバさんだからって仲間外れぇ?!」
「だいじょうぶだいじょうぶ!私は全然かまわないよ、かまわないから!」
顔の前で大袈裟なほど両手を振り、晶羽は小さく叫ぶ。
「ほおら、みなさいって」と、フンスカ鼻息荒く得意げな顔の慈雨に、珠璃はめんどくせぇ、とつぶやき、「はいはいはい。もうなんでもいいから。もう好きにしろや」と考えることを放棄した。
(2)
三人で囲んでちょうどよかった炬燵机が、慈雨が混ざったことで少し狭くなった。
そのことを少し忌々しく思いながら、珠璃は慈雨の分のコーヒーを用意するため、一旦キッチンへ。数分後、来客用のコーヒーカップを手に、再び自室へ戻る。
「ほらよ」
「あらー、ありがとー。ところでさ、最近のコンビニスイーツってホンット美味しくてつい食べ過ぎちゃった!」
見ると、先程珠璃がつまみかけたプチシュークリームの袋が空になっていた。あたし、まだ一個も食ってないのに!
よほど文句を言ってやろうかと思ったが、やめた。言ったところで、『コーヒー淹れる前にちょっと残しておいてって言っておきなさいよー』と開き直られるのがオチだから。
「太るぞ。四十過ぎたら体重落ちにくいってボヤいてるくせに」
「たまにはいいじゃん。ねー、ヒナくん」
「日向音に振るな!ったく、あいっかわらず強引にマイウェイおばさんなことで……、マスコミだいじょうぶかよ」
まともに相手するのがバカらしくなってくる。それよりも──、さっきから珠璃と慈雨の間で固まりっぱなしの晶羽が気になる。
「あのさーあ、煙草吸っていーい?」
「あ?却下」
「なんでよ」
「晶羽ちゃん、煙草苦手なんだよ」
「そっかぁ、りょーかい。最近の若いボーカリストってホント、喉大事にする子多いもんね。ま、キラの場合は事務所が厳しかったってのもあるけどさ」
さらりと慈雨の口からキラの名が語られると、晶羽はあからさまに怯えた顔で俯いた。
晶羽だけじゃない。珠璃と日向音もぎくり、全身を硬直させる。
「そりゃねー、キラとは何回も音楽番組共演したし?一発でわかった。ま、他の審査員が気づいた様子はなかったけど」
石化した若者たちを意に介さず、慈雨はおむすびせんべいの最後の一枚に齧りついた。
「まさかと思うけど……」
「ん?」
「叔母ちゃんは晶羽ちゃんのこと最初から知ってたから、あえて入賞しないように取り計らった、とか?」
「まさかぁ。単純に実力がプロに値しなかったから、選ばれなかっただけだよ」
笑顔で辛辣に答える慈雨に、日向音が何か言いかけるが、結局言葉を飲み込む。
「あ?どういうことだよ」
代わりに珠璃が不服も露わに慈雨へ問う。
晶羽はともかく、珠璃がプロの実力に達していなかったなら素直に認める。そもそも、プロに値しないも何も、端からプロなど目指していない。
だが、晶羽は腐っても元プロのアーティスト。特に今日の、トラブルを逆手に取ったパフォーマンスは下手なプロよりよほど人の心を掴んだ筈。なのに。
「納得いかねー」
思ったより声に怒りが滲んでいた。言外の怒りを感じ取った晶羽が、ぎょっと珠璃を見返し、おろおろと狼狽える。そんな二人に挟まれながら慈雨は、うーん、と首を捻り、続ける。
「いや、だって。マイクトラブルを素直に申告しないのはフツーにダメでしょ。客にはマイク通さずに歌う演出が大ウケしたけど、それも結果論。少なくとも会場のスタッフたちの心象は良くないよね。トラブルに正しく対応できない時点で大幅減点」
慈雨の言い分に反論の余地はない。慈雨は更に厳しい言葉を二人へ向ける。
「自分勝手な行動に出る人はいずれ大きな失敗をする。ネットの片隅で一瞬流れたフェイクニュースで大炎上する世の中なんだし、才能以上に品行方正さを求められるわけ。早い段階で問題起こしそうな片鱗見たら選ばれないのは当然っちゃ当然のこと。あなた、身を持って知ったでしょ?」
うなだれたままの晶羽に水を向ける慈雨に、珠璃が睨む。
「あのなぁ!言っとくけど、晶羽ちゃん本当は……!」
「うん、わかってる。業界内でも裏では噂になってる。RPPのキラの不祥事は濡れ衣だって。スキャンダル相手の事務所がデカすぎたせいだってね。みんなわかってるけど、残念ながら事務所のパワーバランスがねー……」
「つーか、他人事みたいに抜かしてるけど、オカンの事務所も晶羽ちゃん潰したグループと同じとこじゃんよ」
「でも、あの事務所が私を守ってくれてるからこそ、あんたと
「そんなのわかってるっつーの!」
「ちょっとー、なんでそんなプリプリしてんの」
「オカンが無神経だからだろっっ!!」
「いやいや待ちなよ。先に私の事務所云々言ったのはあんたじゃない」
最もな指摘にぐっと言葉を詰まらせる。
もー、怒りっぽいんだから、と呆れ返る慈雨が忌々しい。
「あ、あの……、ケンカ……?は、やめませんか……?わ、私なら気にしてないので!」
「そうそう!せっかくの身内打ち上げなんだしさ、楽しくやろーよ?」
気まずい空気に耐えられなくなった晶羽と日向音が、珠璃と慈雨の間に割り入る。
晶羽のうろたえぶりに対し、あくまで通常運転な日向音の落差が妙に可笑しくて、珠璃と慈雨は同時にぷっと小さく吹き出す。張り詰めていた空気が一瞬にして和む。
「……なんなんだよ?反応違いすぎてウケるんだけど。あと、別にケンカじゃねーから」
「それならいいんだけど」
「ごめんねー、誰に似たんだか、ほんっとこの子すぐ頭に血が上るのー。えっと、今はアキハちゃん?だっけ?そっちが本名?見た目変わり過ぎてて、ぶっちゃけ歌い始めるまで全然わかんなかったー」
「ほ、本当ですか?!」
「んー、歌うと分かる人には分かっちゃうかもー?RPP解散したし、もうあんまり注目浴びることないと思うけど。ひっそりアマチュアで活動したいなら、今回みたいな必要以上に注目集めそうな行動は気をつけた方がいいよ」
「う、そ、そうですね……」
「だーかーらーー!!いじめんな!!」
ひぃっ……と大きな身体を竦ませる晶羽を庇いつつ、再び珠璃は慈雨に噛みつく。そんな珠璃をどうどう、と日向音がいなす。
「人聞き悪ー、いじめじゃないよ、忠告よ、ちゅ・う・こ・く!」
「き、肝に銘じます……」
「ん、よろしい。アキハちゃんみたいに素直な若い子、おばちゃん好きだわー。でも、素直過ぎて自分に正直になり過ぎるのも良くないからね?それはそれで拗れることもあるからね?さじ加減に気をつけなね?」
「わかったわかった!しつっこい!!」
慈雨は身内や気に入った人間へ世話を焼きたがる傾向がある。
彼女の人柄や口調のおかげで他人から煙たがられることはないが、家族となると少々、だいぶ面倒くさい。
「はい、気をつけます」
「晶羽ちゃん、いい子過ぎか。うざいならうざいってはっきり言っていいからな?」
「ううん、だいじょうぶ。それにRai……じゃなくて、慈雨さん?とこんなに話したのはじめてなんだけど、ちょっと珠璃ちゃんに似てるね」
「え、うっそ!そんなの初めて言われたんだけど?!」
大袈裟に驚く慈雨と顔を見合わせる。
「どの辺が?あたし、耳タコレベルでオトンに似てるって言われてばっかだぜ?」
「うーん、そうだなぁ……。人のためにあえて厳しいこと言うところ?」
「「いや、別にただ思ったこと伝えただけ……」」
「ちょ、シンクロしてるし……、いって!!」
笑いを堪える日向音の腕を強く叩く。
「私より珠璃の方が口悪いけどねー」と、余計な一言を付け加える慈雨に珠璃は同じ血を改めて感じた。
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