第40話 閑話休題

 あれは高等部に上がってしばらく経った頃のこと。

 その日の学校帰り、ゴールデンウィーク明けのテストに向けて、みさ希は遠藤珠璃と一緒に自宅で勉強することになっていた。厳密に言えば、遠藤珠璃がみさ希の苦手な理数科目を教えるために来てくれるのだが。


 バスのロータリーでバスが来るのを待っていると、キャーキャー、ワーワーと叫びながら、他校の学生数人がバタバタと駆け回っていた。隣に並ぶ遠藤珠璃が徐に眉を顰め、みさ希は一瞬びくりとする。

 その他校生たちはバス待ちの列に並ぶでもなく。駆けっこなのか鬼ごっこなのか知らないが、とにかくずっとふざけ合って走り回っている。特に女子の叫び声は男子より甲高く、野太いふざけ声にキャーキャーと叫ぶ声が重なる度、みさ希は耳を塞ぎたくなった。バス待ちで列に並ぶ他の乗客たちも一様に顔を不快に歪めている。だが、誰一人注意する様子もない。


 他校生たちの騒がしさはひどくなっていく。通行人にぶつかりそうになっても、おかまいなしに追いかけ合っている。


 やだなぁ。誰か注意してくれないかなあ。

 大人もいっぱいいるんだし、誰か一人くらい注意してくれればいいのに。

 でも、あとで何されるかわかったものじゃないし、しかたない、かな。

 バスが来るまであと五分。たったの五分。されど五分。五分もこの騒々しさに耐えなきゃなんて本当にやだなぁ……。


『おい、おめーら!』


 鋭い怒声は大人ではなく、みさ希のすぐ隣から発せられた。ぎょっとして、声の主である遠藤珠璃を見上げたが、鬼の形相が怖くてみさ希はすぐ目を逸らしてしまった。

 遠藤珠璃は列を離れ、呆気に取られる他校生たちにずかずか歩み寄っていく。


『さっきからギャーギャーギャーギャー、くっっそうっせーんだよ!ここはバスのロータリー!走り回って遊びたいならどっかの公園行けよ!』


 男子の一人が、『う、うるせー、おまえ誰だよ……』と言いかけるも、腕を組んで仁王立ち、顔を斜めに傾け下から凄む遠藤珠璃に委縮し、押し黙ってしまう。女子たちも『何あいつ……』とこそこそ身を寄せ合うも、ぎろりと睨みを利かせられた途端、怯えて押し黙る。


 事情を知らない者が見たら、珠璃の方が他校生に絡んでいるように見えてしまっている。他校生の迷惑行為が原因だと誰もが分かっているからまだいいけれど。

 それに、遠藤珠璃は偏差値70以上で有名な私学の制服を、規則通りに着用している。大人は何だかんだとに弱い。口に出さなくても、誰もが内心では遠藤珠璃の味方でいるに決まっている。


 みさ希はふと、自らの姿を省みた。

 カラーリングしていない真っ黒な髪、日焼け止めのみのノーメイク、膝下の長さのスカート、指定された色の靴下やヘアゴム等、格好自体は遠藤珠璃と同じく校則通り……だけれど。


 真面目に校則を守る者は親や教師の受けはいいかもしれないが、同じ学生には「ダサい」「真面目すぎ」と見下す者が少なからずいる。みさ希自身よく痛感している。

 仮に遠藤珠璃ではなく、みさ希が勇気を振り絞って彼らを注意したのであれば……、一笑に付されて終わっただろう。


 同じ校則通りに制服を着ていても、遠藤珠璃は絶対に舐められない。

 そもそも校則に従う理由自体、「規則通りじゃないと親や教師に叱られるから」なみさ希と、「オシャレは私服で楽しめばいい。教師に注意されてまで制服改造する気ねーわ。だいたいミニスカート趣味じゃねーし」な遠藤珠璃とは根本的に違う──



 一か月前、遠藤珠璃に謝りに行った日。

 彼女から厳しい言葉を浴びせられ、申し訳なさと罪悪感を抱く一方、頭の片隅では『遠藤さんとわたしは違う』『遠藤さんにわたしの気持ちなんかわかんないよ』という思いがやはり拭い切れずにいた。

 成り行きで会うことになった遠藤珠璃の友人──、晶羽と名乗った人の言葉も、頭では理解できても心が納得しきれずにいた。


 学校では相変わらず佐藤美咲たちの顔色を窺い、未だに外部受験について言い出せていない。

 何でもない時に、ふっと遠藤珠璃と晶羽の言葉が蘇っては気分を落ち込ませる。


 これじゃ、本当に受験どころじゃなくなっちゃう……!

 どうすれば、どうすればいいの……!


 散々悩んだ末、みさ希は晶羽に誘われたコンテストを観に行くことに決めた。二人のライブを観ることで発散できるかもしれない。


 塾の補習と家族に嘘をついて家を出る。会場入り口で当日券を買い、ライブハウスへ足を踏み入れた。

 広くて薄暗いフロアに集う大勢の人。充満するアルコールの臭いと熱気に頭がくらくらする。めまいで吐きそう。フロアに入って早々、家に帰りたくなった。


「あ……」


 遠藤珠璃と晶羽のステージはすでに始まっていて、最初の曲は終わってしまっていた。

 もう少し早く来ればよかった、と悔やんでいたら、ステージ上でちょっとした事故が起きる。晶羽のペットボトルがステージから転がり落ちたのだ。

 その一部始終をみさ希はハラハラしながら見守っていた。もし自分が晶羽の立場だったら。大勢の前であんな失態犯したら絶対心が折れる。まともに歌えなくなる。

 だいじょうぶかな、だいじょうかな。つい心配になってしまい、気づけば人波をかき分け、ステージの目の前の柵まで移動していた。


 みさ希の心配をよそに、晶羽は特に動揺する風でもなく落ち着き払っていた。(ように見える)

 ホッとすると同時に次の曲が始まり、繰り返される軽快なギターの音につられ、みさ希は自然と手を叩いていた。結構な時間、ギターの音だけが繰り返されたが、わくわくと期待感が高まっていくのでまったく気にならない。そして、みさ希の期待感はいい意味で裏切られることになる……。



 マイクを通していないのに、晶羽の歌は会場中に大きく響き渡っていく。

 ちゃんと食べてるか心配なくらい、華奢な身体のどこからあんなに響く声が出るのか。

 遠藤珠璃もこの状況に一切動じず、ギターを弾き続けている。


 驚きすぎて、少しの間手拍子を打つのを忘れ、みさ希はステージをただただ見上げていた。すぐにまた手拍子を打ち始めたが、『やっぱり彼女たちと自分は違う』という思いが再び頭を擡げてくる。


 わたしとは全然違う、すごい人たちなんだもん。


 楽しい気分は瞬時に沈んでいき──、沈みかけた直後、ステージの晶羽と目が合った。




 正しいとか 間違ってるとか 


 そんなことは どうだっていいよ




「え」



『今、わたしに歌いかけたの?』




 あなたが信じてるものはなあに 


 浮かれ騒いで 忘れたのね


 あなたが信じてるものはなあに


 大事な彼女とも 分かり合えない


 あなたが信じてるものはなあに


 私が信じるものはね……




「私が信じるもの……」



 頭をガツン、っと殴られたかのような衝撃に続き、軽快なメロディーに乗った歌詞がみさ希の胸を貫いていく。


 この歌、メロディーこそ明るいけど歌詞は全然明るくない。

 大切なものを切り捨ててひとりぼっちになってしまった人の歌だ。

 でも何でかな。孤独な人の歌なのに聴いていてすごく清々しい……



「あ、わかった……」


 口の中だけでつぶやく。

 自分にとって、本当に必要で大切なものだけは捨ててないからだ。


『孤独を怖れないで』

『大事なことだけ見ていればいい』



 この歌にそっと、背中を押されたような気がして、みさ希の目頭が熱くなった。

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