第38話 ライブは生き物みたいなものだけど
(1)
音量調整や音色加工のため、アンプを弄りながら珠璃がギターを鳴らす。微細な音の変化が落ち着くと、ステージの中と外の音の返しを確認していく。
次は晶羽の番だ。ギターと同じく音量やエコーのかかり方の確認し、マイクテストを行いながら晶羽はフロア全体を見下ろした。
客電の有無を問わず、ステージからはフロアの様子がよく見える。
ステージ手前……、に近い、向かって右端では真剣な顔で日向音がステージを眺め。フロアの奥、ドリンクカウンターの近くでは瑛誠と千沙がステージを横目に、控えめに何か話している。
携帯端末を操作する人、おしゃべりする人たち、まだ始まらないかとそわそわしている人。開場時より人で混み合ったフロアに、中村みさ希の姿は見当たらないだろうか。晶羽は無意識に彼女を探していることにはたと気づく。
来る訳ない、かな。
あの夜──、晶羽の部屋に連れてこられたものの、謝罪する彼女を誰もが突き放すような言動や態度を取ったのだ。それに彼女は受験生。受験まであと数カ月しかないこの時期に遊んでいる余裕などないだろう。
中村みさ希は来ない。端から来る訳がない。
早々に結論付け、彼女を探すのをやめる。
探してみて、いないならいないで内心落胆してしまう自分が想像できるから。
「そろそろいけますか?」
準備が終わると共に、ステージの袖に控えていた司会者が小声で二人へ問う。
珠璃と目線で『いいよね?』『あたしはいつでもイケるけど?』と示し合わせると、「お願いします」と司会者へ告げる。
客電がゆっくりと落ちていき、司会者がステージ前方へ進み出ていく。
小ネタを挟み、低すぎず、高すぎずのちょうどいいテンションで観客を煽る司会者の後方で、それぞれがマイクスタンドの前、アンプの前と定位置へとしっかりと立つ。
「お待たせしました!エントリー№.8、NP店代表、デッドガールズ・リターンズ!のお二人です!!」
(2)
「えっ……と、みなさんこんにちはー、はじめましてがほとんど、かな……?」
司会者のテンションの高さとは反対の、晶羽のたどたどしい挨拶。フロアの高揚感は幾分白けた雰囲気へと変わったのは言うまでもない。が、晶羽はかまわず、はにかみながら続ける。
「あのー、演奏入る前に私たちから一つだけ皆さんに約束して欲しいことがあるんです。あのですね、私たちのしゃ」
「あたしたちの写真と動画の撮影は全面禁止でお願いしまーす!」
会場の空気は益々白けていく。
なんだこいつら、と呆れた声がフロアのどこかから聞こえてきた。ステージを真剣に眺めていた、同じコンテスト出場者の男性バンドグループは無言で全員フロアから出て行く。その男性バンドグループが出て行く一部始終を、あーあ、という顔で日向音がさりげなく見ていた。
完全にやらかした。このアコースティックユニットの受賞は絶対
挨拶同様、つまらないものを見せられそう。多くの観客の目に失望が宿る。
しかし、会場に漂う微妙な空気は珠璃が鳴らすギターによって払拭されていき。マイナー調の十六ビートジャズと共に、晶羽の蠱惑的なシュガーボイスがフロアに向かって流れだす。
静かな情念が籠る大人の関係を歌ったミディアムナンバー。
激しくもなければ明るくもない、落ち着いた曲調だけれど、失われていた高揚感が瞬く間に会場を満たしていく。
ステージを右に左に、マイクを持つのと反対側の腕、両脚をひらひら、泳がせるように歩き回って晶羽は歌う。ギターアンプの前で動くことなく、それでも楽しそうに軽くステップ踏みながら珠璃はギターを奏でる。少々(だいぶ)ぐだぐだした挨拶との落差、意外性も相まって、観客の目の色が失望から期待へと変わり、ステージを食い入るように見つめている。
会場の空気を取り戻しただけでなく、むしろ、二人の空気に引き込む頃には一曲目が終わった。
チューニングしながら珠璃がMCを行う間(晶羽にMC任せると大惨事起こしかねないので)、晶羽は水分を摂ることにした。マイクスタンドの真下に置いたペットボトルを取ろうと、屈みかけ、一瞬動きを止める。
会場最奥の出入り口。たった今、開いた扉から見覚えのある人物が──、長い黒髪、小柄で猫背の大人しそうな少女が入ってきた。入って数歩で人とぶつかり、必要以上に怯えた態度で謝る姿にまちがいない、と確信できた。
まさか本当に来てくれるなんて。
嬉しいとかホッとするとかよりも、驚きの方が勝った。
「あっ」
その証拠に、ペットボトルを取ろうとして、べしゃっ!とおもいっきり倒してしまった。倒れた弾みで、ペットボトルはそのままコロコロとステージ前方へどんどん転がり、「え、待って待って」と焦る晶羽の手が追いつく前にステージから落下した。
フロア中から「あーあ……」という声と爆笑が巻き起こる中、親切な観客が拾ってくれたペットボトルをスタッフを通してどうにか取り戻す。思わず珠璃を振り返れば「マジ何やってんだよ……」と呆れているし、たまたま視線がかち合った日向音は笑いを必死で堪えていた。
瑛誠と千沙、中村みさ希の方は反応を確かめたくないので見ないことにした。
「ごめん、じゅ、Judyちゃん。もうちょっとだけ話してもらっていい?」
「いーけど、慌てて飲むなよ?ぜってー噎せるから」
そのセリフが予言じみてて怖いのだけど。
慎重に、慎重を重ねてペットボトルに口をつける。
「お待たせしましたっ。残り時間少ないので、もう最後の曲行っちゃいますね!」
タイトルを叫ぶと同時に、スリーコードで構成された軽快な前奏を珠璃のギターが繰り返す。
この曲は同じコード進行の繰り返しなので、いつも適当なタイミングで晶羽の歌が入り、Aメロへ繋がっていく。今日もそのつもりで、晶羽は適当なタイミングで歌い出そうとして──、できなかった。
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