第37話 普段と変わりなくいこう

(1)


 昼食を終え、コンテスト会場へ戻った時にはすでに開場時間の十三時半を過ぎていた。

 客電の点いた広いフロア内。(全員ではないが)本日の出場者の他、数人で談笑するグループ、一人で携帯端末を弄る者、はしゃいだ様子で誰もいないステージを見上げるカップルなど、まばらながら観客も集まり始めていた。楽器を手に、慌ただしく楽屋へ向かうのはトップバッターのバンドだ。


「珠璃たちの出番は?」

「あたしらは八番目。トリの二つ前」

「お、じゃあ他の出場者ゆっくり観れるじゃん」

「あ?あー、まーあ……」


 曖昧かつ歯切れの悪い珠璃の返事に、晶羽は日向音と顔を見合わせる。


「なに、おまえ、緊張してんの?」

「それはない。演奏にはぜってー支障きたさねーから。晶羽ちゃんもそこは安心して」

「う、うん」


 きっぱり言い切ると、珠璃は仏頂面でステージを眺める。


『喩えるなら、アポなしで授業参観に来られた気分』

 昼食の席でボロネーゼの麺をくるくる、くるくる。口に入れる前に何度も無為にフォークに巻きつけ、(具体的な名は出さず)母への愚痴をぶつぶつ言っていた。その話し振りから緊張というより、居心地の悪さが勝っているようだった。


 晶羽も珠璃の気持ちはよく理解できる。

 もしも身内にステージを観られるだけでなく、審査されるとしたら同じ気持ちになっただろう。ただし、晶羽の家族はこれまで誰もライブを観に来たことはないけれど。


 ステージでは、イベントスタッフ数名が無駄のない動きでアンプ類やモニターの向きを調整していた。

 そろそろ携帯端末の電源切った方がいいかな。

 黒いミニリュックを下ろしていると、「晶羽?」と、ついひと月ほど前に聴いた声が背後から投げかけられた。まさか、と信じられない思いで声の方向を勢いよく振り返る。晶羽を挟む形で隣に立つ珠璃と日向音も、つられてゆっくり振り返る。


 晶羽たちの真後ろ、ブルージーンズの長袖シャツ、黒のチノパンツに、ニケのバスケットシューズを履いた短髪の長身男性と、カーディガンとセットアップのベージュニットに紺色のパンツを合わせた、センター分けセミロングの長身女性──、兄の瑛誠と、彼の彼女、千沙がいた。


「え、うそっ?!なんで?!?!嘘でしょっ?!?!」


 会場中に響く大声で叫んだ直後、慌てて口元を抑える。

 周囲のあちこちから非難の視線を浴び、気まずさからこそこそ、瑛誠に問う。


「来てくれるんだったらチケット取り置きしておいたのに!」

「晶羽ちゃんごめんねー……。ほら、やっぱりびっくりさせちゃったじゃない!だから、前もって連絡しておいた方がいいのにって言ったのに……」

「会場行きゃどっかで顔合わせるんだし、別に必要ないだろ」


 申し訳なさそうに手を合わせる千沙に、瑛誠の態度はあくまで悪びれない。

 一方、瑛誠たちと初対面の珠璃と日向音は蚊帳の外にいた。


「え、晶羽ちゃん、お兄さんいたの?珠璃、おまえ知ってた?」

「あん?知ってるって。地元の薬学部に通ってて、子どもの頃からすっげぇ優秀なお兄ちゃんなんだってよ」

「へーえ……」


 関心なさそうでいて、実はかなり意識しているのがありありと伝わる日向音の返事を、珠璃は意地の悪い笑みを浮かべ、無言で受けとる。


「珠璃ちゃん、日向音くん。紹介するね。私の兄と、兄の彼女さん」

「どうもはじめまして。遠藤珠璃っす。晶羽ちゃんのトモダチで一緒に音楽やってます」

「はじめまして。瑛誠って言います。晶羽がだいぶ世話かけてるようで」

「あ、はい。晶羽ちゃんのがあたしより年上だけど、妹みたいっすね」

「珠璃っっ!すみませんねぇ、こいつ本当に口悪くてー……」

「んだよ、本当のことじゃん。今ならお兄さんと気持ち分かち合えるかなって」

「んん……!私、否定できないかな」


 初対面にも拘らず物怖じしないどころか、失礼な発言をする珠璃を、慌てて日向音が窘め、晶羽は指で頬を掻き、苦笑する。そんな三人の様子を、どことなく安心したように瑛誠と千沙は見守っている。


「にしても……、どういう風の吹き回し?今まで観に来たことなかったのに」

「ん?なんとなく急に思い立って」

「なんとなくって……。え、ちょ、なんとなくで千沙さんここまで連れてきたの?!えぇー、千沙さん、なんかごめんなさいっ」

「ううん、全然!ライブハウスとか来たことないし、楽しみにしてる!!」


 そう言って、にこにこ笑う千沙にホッとしていると、横から瑛誠が「で、俺らこういう場所来たことないから、どうすればいいかちょっと教えてよ。ドリンクもらえるって聞いたけど、どうやって取りに行くの」と、晶羽に訊いてきた。


「あー、あのね、チケットに『ドリンク』って半券あるでしょ?この半券を奥のカウンターへ持っていって。そしたら、メニューの中から好きなドリンク選んで、半券と引き換えるんだよ。一緒に行こっか!」


 瑛誠と千沙を引き連れ、奥のドリンクカウンターまで行く直前、晶羽はちらと珠璃を振り返る。

 口に出さずとも『ご愁傷さま』と互いの目線が物語っていた。






(2)


 晶羽がドリンクカウンターから珠璃と日向音の元へ戻ったタイミングで(珠璃たちに気を利かせてか、瑛誠と千沙は晶羽とは別行動を取っている)、薄暗いステージの中央にマイクを手にした人影が現れた。すると、ピンスポットライトがその人物に当てられ、コンテストの司会進行を始めた。

 コンテストの概要説明、観客席への注意喚起ののち、審査員紹介へと移り(Rainyの紹介時、珠璃がおもむろにそっぽ向いたのは言うまでもない)、ステージ後方、トップバッターの出場者の準備が整うと、司会者は高らかにエントリーナンバーとバンド名を叫ぶ。客電が落ちるのと、薄暗いステージがぎらぎらとした強い輝きを放ったのは同時だった。



 与えられた時間は転換込十五分。約一〇分の演奏時間で力のすべてを出し切る。


 その後も多種多様なジャンルのバンドやユニット、ソロアーティストが、たった一〇分の短い時間で渾身のパフォーマンスを持って客席を魅了し、熱狂の渦へと巻き込んでいく。また時には、物音一つ立てるのさえ躊躇う静寂の世界へと導いていく。

 できることなら、最後まで浸っていたいが、晶羽たちの出番は少しずつ近づいていく。

 六番目の出場者の出番が終わったところで、後ろ髪を引かれる思いで晶羽と珠璃も楽屋へ入る準備を始めた。


 六番目の出場者たちと入れ替わりでステージの裏側、楽屋へと入っていく。

 楽屋の扉を閉め切り、ギターのチューニングをする珠璃を残し、晶羽は楽屋とステージの裏の間、狭い通路でストレッチと顔の筋肉をほぐす。

 身体に変な力は入っていない。普段と変わりなく動けてる。

 楽屋から通路に出てきた珠璃も、さっきまで低かったテンションが元に戻り、普段と変わりなさそうだ。


「もうそろそろ終わるんじゃね?」

「だね。楽しんでいこうね」

「ったりめー」


 二人で横目で笑い合う。

 表のステージでは最後の曲のアウトロが流れ始めていた。

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