第36話 今の私なら

(1)


 プロと遜色ない実力を持つ予選通過者のリハーサルは見応えがあり、学ぶべきことがとても多い。できることなら、参加者全員見学したい。が、午前一〇時前後に開始されたリハーサルの終了予定時刻は、開場三〇分前の午後一時半。当然途中で空腹になってくる。(晶羽たちの出番は後半のため、逆順で行うリハーサルも十一時前には終わってしまう)

 晶羽はともかく、珠璃は空腹だとやる気が出ない質だ。なので、リハーサルを終えるとすぐに昼食を食べに行こうと、会場を後にした。


「そうだ、日向音が今日見に来るっつってって言ってたんだけど。今あいつが近くまで来てたらさ、メシ誘っていい?」

「うん、いいよ」


 珠璃はずっと手にしたままの携帯端末を再び操作し、日向音にRINE電話をかける。


「おう、日向音おつー。今どこに……、あ?もう施設の中にはいるってか」

「え、早くない?」


 開場までまだ三時間ある。


バックBGMうるせーけど、楽器店かパワーレコード、どっちにいる?あぁ?パワーレコード?あのさぁ、あたしらリハ終わったし、腹減ったからメシ食いに行くんだけど一緒に行かねぇ?……あ?なんだよ、別に奢り目当てになんかしてねっつの!……っつー訳で、今からパワーレコードに二人で行くから」


 一気にまくしたてると、珠璃はぶちり、雑に通話を終わらせる。

「パワーレコードにいるってよ。んじゃ、いこーぜ」と、すたすた、先に歩き出した珠璃の後に晶羽も続く。


 パワーレコードはコンテスト会場と同じ建物内の下階にある。エレベーターで移動、扉が開くと『POWER RECORD』のロゴが目立つ入り口が目の前に現れる。

 ワンフロア一帯を占める広い店内。この中にわざわざ入り、日向音を探すのは困難だし、時間の無駄になる。珠璃は再び日向音へRINE電話をかけた。


「おい。今入り口の前に来た。あん?まだ支払い済ませてないから五分待て?わーったわーったわかったわかった、待ってる」


 電話を切ると、珠璃は「だってよ」と晶羽に向き直る。

 そして、本当に五分で日向音は晶羽たちの前に現れた。


「お、ふたりともおつ。晶羽ちゃん待たせてごめんね」

「おいこら。なんであたしには謝らねーんだよ」

「おまえも遅れた時謝らねーじゃん?」

「そういう問題か!ほら見ろ、晶羽ちゃん引いてるぞ?!」

「ん?引いてはいないよ?同じ『おつおつかれさま』でも珠璃ちゃんと全然言い方違うなぁとか、でも、『謝らねー』の言い方はそっくりだなぁとか思っただ……、あれ?」


 珠璃は変な顔しているし、日向音も生温い笑みを浮かべている。


「あれ?私、まずいこと言った?」

「うーん、まずくはないけど……」

「ずれてんなぁと」

「ええぇぇ……」

「まぁまぁ。ところで、今日の晶羽ちゃんの服かっこいいじゃん」


 晶羽を気遣ってか、日向音は話題を逸らしがてら服装を褒める。

 黒革のミニ丈ライダースジャケット、真っ白なロングシャツワンピース、スキニージーンズは、シンプルながら細身で一七〇を優に超える長身の晶羽によく似合う。


「あったりまえだろ。あたしがコーディネートしたんだし」

「ってことはお前のバイト先の服?商売上手……」

「あ、あのね!珠璃ちゃんのお店の古着、質が良いのに安いから私のお財布にも優しくて!!」

「そうそう、別に無理矢理買わせてる訳じゃねーもん」


 ふふん、と笑う珠璃は、紫を基調にした白×黒チェックのロングネルシャツ、カーキ色のパーカー、ロールアップのダメージジーンズと、いつも通り全身古着で武装、靴は晶羽と揃いの、白のハイカットコンベースを履いていた。

 ちなみに、日向音は赤のロングカーディガン、薄いグレー×薄いピンクのボーダー長袖Tシャツ、薄いグレーのスリムパンツ。相変わらず明るい色や柄物を上手く取り入れている。


「二人とも食べたいものとか店とかさ、決まってる?」

「あー、特にねぇけど……、個室あるとこだとありがたいかもな」


 珠璃の口振りから察したのだろう。

 日向音は理由を問うこともなく、「んじゃ、外に出る?ちょっと歩くけど、穴場的なパスタ屋あるからそこでもいい?」とだけ確認してきた。珠璃は「安くて美味けりゃ何でもいい」と答え、特にこだわりのない晶羽も珠璃に追従するように頷いた。





(2)


 外へ出て歩くこと一〇分。

 二階建ての洒落た白木風の店構え、扉に飾った二本の赤、白、緑のミニ国旗に既視感を覚える。

「今の時間帯なら予約なしで個室入れるから」との日向音の言葉通り、断られることも待つこともなく、すんなりと奥の個室へ通された。

 白木のダイニングテーブルも、特徴のあるラウンドチェアも見覚えが……、と益々既視感を覚えていると、「腹減った!」と早速珠璃がメニュー表をテーブルの真ん中に広げる。メニュー内容を見て、晶羽はようやく思い出す。夏に兄の瑛誠えいせいと食事したイタリアンレストラン(のチェーン店)だ。


 兄とは数か月前の食事以来ずっと会っていない。電話も一度かかってきただけ。

 その電話がかかってきたのは先月。母と言い争って一週間ほど経た頃である。



『おまえ、おふくろと揉めただろ』


 直截すぎる第一声。返す言葉がしばらく見つからないでいると、『いや、別に俺、おまえを責めてる訳じゃないから』と淡々と弁解された。

「じゃあ、だったら何なの」と咄嗟に返しかけ……、実際に返す前に『おふくろのことだけど』と続き、口を閉ざし、次の言葉を待つ。


『言い過ぎたかもって反省してた』

「……ふうん」

『おふくろからしか聞いてないけど、俺も正直思った。心配する気持ちは理解できるけど、今回は干渉しすぎじゃないかって』

「お兄ちゃんが指摘したから反省したんじゃないの?」


 瑛誠に当たってもしかたないこと。分かっていても嫌味が自然と口をつく。


『怒るなよ』

「お兄ちゃんには怒ってないよ。今更矛を収めようとしても遅いって言うだけ。来月からは言われた通り、家賃も電気水道の生活費も全部自分で払うし」

『でも、お前のバイトの給料じゃ』

「ちょうどバイト先の店長にアルバイトから契約社員の契約変更打診されて、来月から給料増えるし、かまわないよ。足りない分は副業バイトでもして補うつもり」

『なら、いい……のか』


 電話越しからも、兄がいまいち納得しきれていない様子が伝わってくる。


「お兄ちゃんもさっき言ったよね?お母さんは私に干渉し過ぎだって。子供の頃からそうだったじゃない。あくまで例えだけど、私が躓いて転ぶから、転ぶ前にお母さんが邪魔になりそうだと判断した物を取り除く、みたいな」

『実際、おまえは派手に転んで泣き叫ぶタイプだったけどね。おまけに一回じゃ学習しなくて、二回、三回同じ失敗繰り返す。見てらんないなって思う時あるのは事実』

「う……、こ、子供の頃はね!」

『いや、今もだろ?』


 瑛誠の冷静な指摘に自信がなくなっていく。

 母だと猛反発してしまうのに、なぜか兄だと指摘をすんなりと受け入れられるのはなぜだろう。

 仲の良し悪しは別にして、親子より兄妹の方が関係性がやや遠く、指摘もより客観的だからかもしれない。


『とはいえ、今回のおふくろのしたことは、二十歳過ぎの、曲がりなりにも一人暮らしやっていけてる人間への仕打ちじゃないと俺も思う。あのこと濡れ衣の不祥事があって神経過敏になる気持ちもわからないでもない。けど、今の晶羽ならちょっとやそっとぐらいの問題起きても自分で解決できそうな気がするんだよな』

「お兄ちゃん……」

『まっ、俺もおふくろに今の晶羽なら心配ないんじゃないって言い含めるし、おまえも今すぐは無理でも、時間かかってもいいから、おふくろのことはちょっとずつ許してやって。な?』


 許すも何も、と、一瞬反発しかけて、言葉を飲み込む。

 代わりに、「……努力はしてみる」とだけ答えておいた。






「……晶羽ちゃん?」


 怪訝な顔で覗き込む珠璃と日向音の呼びかけで、晶羽は現実へ引き戻された。


「ご、ごめん。ちょっとボーッとしてた」

「ボーッとしてるのはいつものことだけど、やけに深刻な顔してたから」

「珠璃おまえ、なにげにひどいな?!」

「いやホントのことだし?この様子だと注文全然考えてなかっただろ?」


 図星を指され、慌ててメニュー表に目を通す。

 早く決めなきゃ!この際、瑛誠と来た時に頼んだものと同じでいいや!


「えっと、トマトクリームソースの魚介パスタとダージリンティーね!」


 決めるの早っ!と驚く二人に応えず、晶羽はテーブルに広げたメニュー表をさっと片付けていった。

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