七章

第35話 広いようで狭い世界

 晶羽と珠璃にとって波乱の一〇月が過ぎ、十一月が訪れた。

 晶羽は予定通り、十一月から契約社員へ昇格した。そして、珠璃と共にCOOL LINE・T地区ファイナル予選ライブの日を迎えた。


 予選会場はコンテストを主催する楽器店が入っている商業施設上階にある大型ライブハウス。等間隔に柵を設けた広いフロアから見上げるステージも広く、洋邦問わず多くのプロミュージシャンがステージを踏んでいる。上昇志向の強いアマチュアなら一度は立ってみたい場所であり、今日の予選に集まったアーティストたちは誰もが立つにふさわしい実力者ばかり。


 集合時間に合わせて続々と会場入りする出場者の中には、晶羽がYou Tubeで動画をよく視聴していたバンドも数組いて、『わぁ、本物だ……!生歌聴けるの楽しみ!』と静かに興奮していた。

 珠璃に至っては、挨拶がてら気になるグループのメンバーと早速雑談を始めていた。彼女の辞書に物怖じという言葉は存在しない。


「珠璃ちゃん、そろそろ」

「おう、わーってるわかってる


 主催の楽器店関係者が挨拶、コンテストでの注意事項、リハーサル及び出演順の説明を始める気配にざわついていたフロアが静かになる。次いで、一〇分弱の説明ののち、審査員たちの紹介が始まった。


 順番に挨拶をする音楽評論家、スタジオミュージシャン、プロデューサー等の様子をおそるおそる窺ったが、幸いにもバンド時代の晶羽と深く関わった人はいなくて安堵する。広いようで意外な繋がりが絡まり合う業界ゆえ、完全に安心はできないけれど。


 目を逸らしたり、挙動不審になると却ってあやしまれる。

 何食わぬ顔で堂々としてなきゃ!

 ピン!と背筋を伸ばし、審査員たちの挨拶を聞いていた晶羽だったが、隣で珠璃がやたらともぞもぞ身じろぎする気配を感じた。


 珠璃は長い話や興味のない話を聞くのが苦手で、そういう時に姿勢を崩しがちになる。

 心配で横目で様子を窺ってみれば、『早く終われよ』と焦れている訳でもなく、早くこの場から離れたそうな、何とも居心地悪そうな顔をしていた。


 ちなみに今はゲスト審査員の、有名な女性ロックシンガー兼音楽プロデューサー・Rainyが挨拶中だった。

 年齢、出身地等経歴は完全非公開。ピンクベージュ色のツーブロックボブヘアに目尻の下がった大きな目、アヒルのような大きな口と愛嬌のある顔立ち。しかし、いざステージで歌い出せば小柄な体格に見合わぬ迫力のハイトーンボイスが繰り出されることを晶羽は知っている。


 彼女とは音楽番組で何度か共演経験がある。デビュー後間もない頃、初共演した番組で親切に声を掛けてくれたくらいだ。

 たぶん悪い人ではない思うし、万が一、晶羽=キラだと気づかれたとしても何事もない、筈。それよりも珠璃の態度の方がよっぽど気になってしまう。


 関係者の挨拶が終わった。

 一組目のリハーサル準備の合間に珠璃に問おうと──、する前に、逆に「……晶羽ちゃん、ちょっと一旦出ない?」と、半ば強引にロッカールームのあるロビーへ連れ出された。


 ロビーまで来ると、珠璃は周りに誰もいないのを確認した。が、話したいことがあるかと思いきや、なぜか携帯端末のRINE画面を開き、高速でタップ。ぐい、と、画面を見るよう、晶羽の腕を引っ張った。


「え、なになに?!」

「ん!」



『ほんとは言ったらダメなんだけど』

『晶羽ちゃんには話す』

『Rainyって』

『あたしのオカンなんだよね』



「えええぇぇぇっ?!?!」

「シーーッ!!!!晶羽ちゃん、声デケーよ!!」

「ご、ごめん……」


 咄嗟に口を両手で押さえる間に、珠璃は打ち込んだ時より更に速くRINEの文面を消していく。


「いわゆる企業秘密ってヤツ?まぁ、オトンのハコの機材が規模の割に良いとか、あたしが私学の中高一貫行けたのもまぁ、オカンのおかげ?」


 親指と人差し指で丸を作り、金銭援助を示す珠璃に「そうなんだ……」としか言葉が返せない。


「あー、深刻になるなって。戦略的離婚?ってだけで家族仲は全然悪くねーし。それよりかよー、あたし、聞いてねーぞ?!ああ!くっそやりにくいー!!」


 頭を抱え、壁に凭れながらずるずる床にしゃがみ込んでいく珠璃の掌中で携帯端末が震えた。「すっげーヤな予感がするんだけど……」としかめっ面でRINEを開いた瞬間、「クッソババア!」と天を仰ぐ。


「え、なに、どうした、の……?」


 晶羽の問いに答える代わりに、珠璃は端末画面を見せつけてきた。


『ちょっとー、どういう風の吹き回し?』

『一番厳しーく見てあげるから』

『がんばってね♥♥♥』



「うわぁ……」

「くそムカつく!」


 珠璃はがばっと勢いよく立ち上がると、「とりあえずリハーサル一組目見学しようぜ!」と気を取り直すように叫んだ。

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