第34話 一夜明けて
(1)
明けて翌日。
晶羽は
「おはようございます、店長」
「おはようございます。今日いつもより早くないですか」
「昨日の打診いただいた契約変更の件について、お話したくてですね……。今、少しお時間ありますか?」
昨日の今日でとは考えていなかったのだろう。
店長は一重の鋭い目を瞠り、えっ、と小さくつぶやく。
「は、早いですね……」
「もしかして、もっと日を置いてから返事した方が良かったですか?」
「いえ……、問題ないです。開店準備の時間を考えて、手短に終わらせますがいいですか?もしじっくり話したいのであれば、休憩の時でもいいですけど」
「だいじょうぶです。そんなに長くならないと思います」
「わかりました。じゃあ、すぐ休憩所へ行きましょうか」
休憩所の二脚あるテーブルの内、奥の壁際の席に向かい合って座る。
晶羽の席からは長押に飾ったキラのサイン色紙が見える。その色紙を視界からさりげなく外して店長と向き合う。
「昨日いただいた契約社員のお話ですけど……、ぜひ引き受けさせてください」
「わかりました。こちらこそよろしくお願いします」
「それでですね、今月からだと中途半端なので、来月十一月の
我ながらずうずうしいことを訊いている自覚はある。が、生活がかかっている以上切実な問題。
案の定、店長は晶羽の問いに目を丸くし(今日はなんだか表情豊かだ)、言いあぐねるも、一呼吸おいて再び口を開く。
「はい。纐纈さんさえ良ければ、来月からでも可能ですよ」
「ありがとうございます!!!!……いったあ!!」
「大丈夫ですかっ!?」
頭を下げた時、勢いがつきすぎて眼鏡が机に落ちる……だけでなく、眼鏡はバウンドし、晶羽の顔に当たった。痛いやら恥ずかしいやら。さりげなく店長から目線を逸らし眼鏡をかけ直していると。
「ところで、なにかあったんですか?」
冷静な問いに、どきりとしたが、努めて明るい顔と口調で店長に向き直る。
朴訥とした表情と声ながら、気遣われているのがよく伝わってくる。
「えっと……、特になにもないんですけど。ただ、いい加減完全に自分の力だけで生活したいな、と思ったんです」
特に何もないについては嘘になり、少し心苦しい。でも、あとに続く言葉に嘘はない。かと言って、店長に母との話を聞いてもらう訳にもいかない。余計な心配させる上に、仕事には関係のないこと。
ともかくも、ものの一〇分もかからない内に契約変更があっさり決まった。ありがたい。これで憂いごとの一つは消えたと晶羽は安堵した。
(2)
仕事を終えた後、晶羽は地下鉄を乗り継ぎ、急ぎChameleon Gemsへと向かう。
異常気象のせいで秋とは思えない気温の高さだが、日照時間は日ごと短くなっていく。
柳緑庵を出た時はまだ夕焼けに染まっていた空も、地下鉄の出口から地上へ出ると夜の空に変わりつつある。地下鉄の駅からChameleon Gemsまでの道中、軒を並べる居酒屋や大衆食堂、カジュアルレストランから漏れる明かりや、看板の光が眼に眩しい。
電車が通り過ぎる音が響く高架下。見慣れてしまったオレンジの三角屋根とコンクリート製の古いビルが近づいてくる。
螺旋階段で地下へ下りていく。重たい防音扉の横には『close』の立て看板。
扉の前で晶羽は携帯端末を手に取り、RINE通話をタップ。数回コールしたのち、再びタップした。すぐに珠璃が扉から顔をのぞかせる。
「晶羽ちゃんおつー。入って入って!」
「おじゃましまーす」
誰もいないフロアは薄暗く、ステージだけが煌々としている。
「本当に貸し切り状態だ……、いいの?」
「今日は一日休みだから好きに使っていいってオトン言ってたし?あ、金もいらないよ!」
「ええっ、それは」
「いいって、いいって!だいたいさぁ、あたし、ほぼ毎朝、バイト行く前でも
珠璃に促され、ステージに上がり、マイクの調子を確認。音響卓を操作する珠璃に問題ないと伝えた。音響卓の前からステージへ戻ると、珠璃はスタンドに立てたギターを抱え、適当にジャカジャカと鳴らしてみせる。
「おーし、んじゃ、早速やろうぜ。今日はCOOL LINEで
適当な音の羅列が曲のイントロへ繋がっていく。
何度も繰り返されるイントロ、タイミングを見計らって晶羽は歌い始める。
仕事後の疲れで普段より声の伸びは少し悪い。こういう時はつい喉、口や頬の顔周り、首や肩に力が入りやすい。全身から力を抜く意識が大事だ。気張れば気張るほど、歌は聞き苦しくなってしまう。
「うーん、今日はちょっと声伸びないなぁ」
「ちょっと休憩する?」
「そうしよっか」
練習始めて三十分近く。晶羽は珠璃とステージの床へ直に腰を下ろす。指先でギターをつま弾く珠璃の隣で、Chameleon Gemsに行く途中、百円コンビニで買った水を飲む。
「晶羽ちゃんちょっと疲れてる?」
「ん?」
「ああ、いや、昨日のこととか、さ」
珠璃はギターをつま弾く手は止めず、気まずげに苦笑する。
「うーん、単純にバイト帰りだから、かも?」
「そっか」
「……昨日のことで疲れてるなら、珠璃ちゃんも、じゃない?」
二人の間に沈黙が降り、珠璃が奏でる即興のメロディーだけが静かに響く。
余計な一言だったかな。別の話題を振ろうとして、先に珠璃が口を開いた。
「あの子……、中ちゃんはさ、中等部から仲良くて、高等部でもつるんでてさ。バカで幼稚な同級生どものいじめから助けてやりたかったんだよ」
「うん」
「あたし、中ちゃんが受けたいやがらせをあの子の代わりに日記にしたりとか、教室持ち込み禁止の携帯端末こっそり持っていって、そいつらが中ちゃんの持ち物隠す現場を録画したり、いじめの証拠集めてさ。で、あの子に『まずは担任に訴えよう。頼りになりそうにないなら、学年主任とかにも……』って提案したんだわ。『私には無理。もっとエスカレートしたら怖いもん』って断られたけどな……。ついでに『自分の強さを押しつけないで』って嫌われた。そしたら、今度はいじめてた連中とつるみ始めて、なぜかあたしがそいつら全員いじめてたなんて話になっちまって大問題!」
ははっ、と乾いた笑いを漏らし、珠璃はギターを爪弾くのを止める。
「だからさ、今更謝りたいとか言われてもよ、正直困るんだよなー。あたし、深く考えるの苦手だし。ま、さすがに学校辞めた直後は珍しくいろいろ考えて、気持ちの整理もつけてきた訳」
「うん」
「あの子はさ、悲しいくらいなんにも変わってないっつーか……。あぁ、こういうのが押しつけがましいんだろうけど……、俯かないで、前を向いていて欲しかった。晶羽ちゃんとあたしに迷惑掛けた以上に、そこが一番ムカついた」
言葉とは裏腹に、珠璃の口調にいつもの元気がない、気がした。
しかし、俯いた顔を上げると、珠璃は普段と変わらぬ、生意気な笑みでにやり、笑う。無理をしている様子もない。羨ましいほどの立ち直りの早さだ。
「今度会う機会があったら直接言ってみる、とか?」
「機会があれば、な。そろそろ休憩終わりにしようぜ。あ、一コだけ訊いていい?そういやさぁ、晶羽ちゃん、なんで中ちゃんに
「え、言葉だけだといまいち伝わりにくいことでも、歌でなら伝わりやすいかなって。今回歌う二曲の内一曲は、まさに今の中村さんに必要なこと歌ってる曲……だと思って」
「お、たしかに。あの曲、まさにぴったりなイメージじゃねーか」
ポンと手を打ちつつ、「来るかどうかは期待しない方がいいけどよ」と付け加える珠璃に、「まあねー、そうなんだけどねー」と今度は晶羽が苦笑いする番だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます