六章

第30話 波紋が広がり続ける

(1)


 時間は再び現在へと戻る。


 県内有数の人気スポットであるこの商店街も平日の客足はまばらだ。

 夕方以降であれば、学校帰りの学生、飲み屋へ向かう会社員などいるものの、週末程には姿を見かけない。


 珠璃のバイト先の古着屋も例に漏れず、平日は大抵暇である。が、今日に限って閉店前一時間を切ったところで客が入店。接客に勤しんでいた。


「先週入荷した、このアーミー風ジャケットはどうっすかねー?メンズだし、オーバーサイズがお好みのお客さんにぴったりだと思いますけど。良かったら、一回羽織ってみますー?」


 ずらっと奥まで並んだハンガーラックより更に奥、壁際の試着室へと客を案内する。

 普段の珠璃は十八時過ぎに客が来店すると、閉店作業が遅れる!その分帰りが遅くなる!と(顔には出さず)心中で舌打ちするところだ。が、長年店に通ってくれる、気心知れた常連客なのでちっとも腹は立たない。


 鏡の前でジャケットを広げ、背中から客の腕に袖を通す。

 真っ赤に染めたベリーショートヘアにカーキ色のアーミージャケットが映え、秋にぴったりの装いに見える。


「羽織ってみた感じどうすっかね?」

「うん、サイズはいい感じ」

「裏地のキルティングは取り外し可能なんで、今の時期から着始めて真冬、春先まで長く着れるし、機能性も高いすよ」

「へぇ、中が取り外しきくんだ。便利じゃん」


 アーミージャケットを着たまま客は少し考え込んでいたが、「これ、買います」とすぐに決断してくれた。


「お買い上げありがとうございますー。他にまだ何か見ます?」

「今日はジャケットだけでいいや」

「わかりましたっ、じゃあ会計お願いしまーす」


 脱がせたジャケットをさっとたたみ、レジカウンターへ客を案内。

 会計を済ませると、客は早々に退店した。


 あの客の好みは大体把握している。即決即断型なので接客に左程時間がかからない。

 だから、彼女が閉店間際に来店したとしても嫌な気持ちにならないのだ。


 とはいえ、さあ、もう誰も店に来るなよと強く念じ、珠璃は閉店作業を始める。

 ラックを一通り見回ってハンガーに服をかけ直し、棚の商品の乱れを直す。デジタル壁時計が十八時四十分を過ぎた辺りでレジの金額を精算し、それが終わると店内のモップ掛けを行う。


「よっしゃ、十九時七時になった!」


 今日は定時で上がれる!

 喜び勇んで半分だけ下ろしていたシャッターをすべて下ろす。

 うきうきと休憩室へ戻る。好きなバンドのロゴ入り缶バッチを複数つけた、海老茶のメッセンジャーバッグを持った瞬間、携帯端末が震えるのを感じた。

 バッグをがさごそ漁り、画面に表示された名前を確認し、応答ボタンをタップ。


「もしもしー?珍しいなぁ、この時間に日向音があたしに電話かけてくるとか」

『あのな、珠璃』

「んだよ、これまた辛気くせー声してさあ、どうしたんだよ?」

『……ちょっと話があるんだわ。今お前のバイト先の近くまで車で来てるから、迎えに行ってもいいか?』

「は?別にいいけど」

『分かった。じゃ、店の通り、真っ直ぐ北へ向かった歩道の脇に車停めておく。たぶん一〇分もしない内に着くと思う』

「おう、りょーかい。すぐ店出て待ってる」


 電話を切り、通話終了を示す画面に向けて軽く首を傾げる。


「……まっ、地下鉄に乗る手間省けてラッキーだし、いっか」



 この時、珠璃は日向音が言う『話』の内容について、特に考えを巡らせなかった。






(2)


 十九時ちょうどに古着屋を出る。

 指定された場所は歩いて数十秒で到着できる近距離。一分とかからず日向音の車が見えてくる。


 コンコン、助手席の窓を叩く。振り向いた日向音が「乗って」と手振りで示す。


「乗るぞー?つーか、なんだよその顔。おめーにしちゃ、やけに硬いっつーか……」


 ここで珠璃は言葉に詰まり、思わず後部座席を振り返って凝視する。

 珠璃の視線の先には、二年前まで自分も着ていた制服の女子高生、だいぶ前にパワーレコードで偶然再会した中村みさ希の姿があった。


「ちょ……、ひ、日向音、どういう……」


 予想すらしていなかった状況。

 さすがの珠璃も絶句し、二の句を継げられない。

 中村みさ希を乗せてきた筈の日向音も、困惑を隠せない顔で運転しながら、珠璃に説明を始める。


 曰く、今日の夕方RINEに見覚えない名前のメッセージが入っていた。

 たまに勝手に入ってくる、怪しいセミナーのグループRINEか?と疑いつつ一応開いてみれば──、『突然連絡ごめんなさい』『遠藤珠璃さんと友達だった中村です』と、続いていた。


 ああ、珠璃が退学する原因になった子か。

 複雑な気持ちに駆られる一方、連絡先教えた覚えないのにと薄気味悪くなり、『うん』『珠璃からもよく話聴いてた』『でも』『なんで俺のRINE知ってるの』『(クエスチョンマークスタンプ)』と送り返してみると。


「俺、すっかり忘れてたんだけど。お前が高一の頃、うちの大学祭に中村さんと一緒に来ただろ。どうもその時に中村さんとRINE交換してたみたいで……、って、なにその目」

「いや別に。相変わらずチャラいと呆れてるだけだよ。ったく、何考えてんだか」

「いや、たぶん、なーんも考えてなかったと思う。今まで忘れてたくらいだし。まぁ、いいじゃん。お陰でお前に中村さん会わせることできたし」

「あたしは別に……。つーか、後部座席とはいえ、夜に顔見知り程度の女子高生車に乗せるとか、ヤベーだろうがっ!」

「しょうがねーじゃん、RINEでの感じがかなり深刻そうだったし。だいじょうぶ、この商店街の最寄り駅まで来てもらって車に乗せたから」

「そういう問題かよ」


 軽蔑を込めて日向音を睨みつけ、こいつ……、と閉口する。


「一歩間違ったら事案、犯罪だぞ、は・ん・ざ・い!!」

「だよなぁ、あはは」

「あはは、じゃねーよ!」

「晶羽ちゃんには言うなよ」

「あ?なんで?」

「いや、その」


 非常に珍しく口籠る日向音に、珠璃はハッと閃くなりニヤニヤ笑う。


「はーん、あっそ。わかったわかった。そういうことな。そういうことなら黙っておいてやらんでもない」

「お前なぁ」

「あの……」

「あん?」


 日向音の他愛ない会話に、消え入りそうな呼び声が割り込まれ、珠璃は剣呑な顔で後部座席を再度振り返った。


「え、遠藤さん……」

「なに?」

「今の話に出てきた人って」

「中ちゃんには関係ねーひと……」

「珠璃が今一緒に音楽やってる子だよ」


 珠璃の代わりに日向音がみさ希の質問に答える。

 その答えを聴いた途端、暗い車内でもはっきり分かるほど、みさ希の顔色が変わった。

 珠璃はそれを見逃さなかった。


「じゃ、じゃあ、わたし……、その人にまで、迷惑かけてしまったかも……」

「は?何の話してんだよ?」

「ごめんなさいごめんなさい……!」

「あのさぁ、中ちゃんは何がしたい訳?一回会っただけ、たまたまRINE交換してただけでほぼ接点ない日向音まで巻き込んで、あたし呼び出すとか。はっきり言ってワケわかんねーんだよ」

「う、ご、ごめ……」

「珠璃、あんまキツく問い詰めてやるなって。中村さんもさ、俺にはちゃんと全部話してくれたんだから、珠璃にも説明できるよね?」


 日向音が優しく諭すと、みさ希は小さく小さく頷く。怯えて引き攣った表情も若干和らいだ。

 それでも、珠璃が怖いのか、気まずいのか、もしくは両方なのか。

 制服のスカートを皺が寄るまできつく握りしめ、俯いたまま、ぽつり、ぽつりと話し出す。


「あのね……、わたし……。遠藤さんたちが出てるコンテストの、ライブ動画を……、You Tubeにか、勝手に無、む、だ、断で投稿しまし、た……」

「…………は?」


 何言ってんのこいつ。


「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい!前も遠藤さんのチャンネル荒らしたのも、ネットに個人情報流した……、のも、わ、わたし……、です……」

「…………」

「ほ、本当に、ごめん、なさい……。佐藤さんたちに、ど、どうしても……、さ、さ、逆らえなかった、の……、うっ、うっうっ……」


 みさ希が漏らす嗚咽は珠璃に対する良心の呵責か。あるいは自己憐憫か。


「どっちにしろ最悪じゃねーか」


 みさ希を責める気にも慰める気にもなれず、珠璃は彼女を視界から消すため前を向く。

 車のヘッドライトが照らした闇は、乗車した時よりも濃さを増していた。

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