第29話 閑話休題

(1)


 中村みさ希が遠藤珠璃と出会ったのは約五年半前、S女子大学付属中学校での入学式だった。


 校門を潜った瞬間から、遠藤珠璃は周囲の注目を浴びていた。

 まず彼女は両親同伴ではなかった。片親のみ同伴の生徒もいない訳でもないが、ただ、彼女の父親は他の父親より随分若々しく、世間離れした雰囲気を醸し出していた。服装自体はブルーグレーのシングルスーツという無難な格好だというのに。

 みさ希の母など「体型もシュッてしてるし、あんな垢抜けた雰囲気の保護者見たことないわ!」と感嘆し、父から呆れられてさえいた。


 その父親と瓜二つの珠璃も、肩までの真っ直ぐな黒髪、規定通りの制服姿なのにやけに目立っていた。派手な目鼻立ちの個性的な顔立ち、特に挑戦的な目つきが強烈な印象を与える遠藤珠璃と、みさ希は同じクラスとなった。


 けれど、最初のひと月ほどは彼女と一言も話さなかった。

 席が離れていたし、みさ希は真面目だがおとなしく、遠藤珠璃は気が強くヤンキー気質と互いのタイプが違いすぎて話す機会すらなかったのだ。


 だが、GWを過ぎた辺りで二人の関係に変化が訪れた。


 みさ希は真面目な女子グループに属していたが、日が経つにつれてグループ内で微妙な仲間外れ、いわゆるようになっていた。一方、遠藤珠璃は気分でいろんなグループ回って適当におしゃべり交わしつつ、特定のグループには属していなかった。


『中村さんだっけ。次の音楽、A室じゃなくてB室に変更らしいってよ』


 ある日の移動教室、グループの子たちに置いていかれ、ひとりとぼとぼと廊下を歩いていた時だった。遠藤珠璃に初めて声を掛けられたのは。

 声を掛けるだけでなく、遠藤珠璃は親切にも移動先の教室まで一緒に移動し、隣の席に座ってくれた。以来、みさ希と遠藤珠璃は一緒に過ごすことが増えていった。


 遠藤珠璃は他の同級生と違い、特に頑張ってる風でもないのに常に学年トップレベルの成績を誇っていた。対して、みさ希は週に三日塾に通い、時には夜中まで勉強してやっと中の中の成績。遠藤珠璃の彼女の地頭の良さにはいつも舌を巻いていた。

 休日、一緒に遊びに行くときもアメカジ風に古着を着こなす姿が雑誌の読者モデルみたいだ。


 でも、みさ希が遠藤珠璃を尊敬していた最もたる理由は成績やおしゃれなことではなく。

 気弱で優柔不断、言いたいことの半分も言えないみさ希にとって、言いたいことをはっきり言う、竹を割ったような性格だった。

 はっきり物事を言う分、裏で散々悪口を言われても『陰口しか叩けねぇチキンとか、クソほどどうでもいいっつーの』とまるで相手にしないのも、すこぶるカッコよかった。みさ希であれば、くよくよといつまでも気に病んで袋小路に陥ってしまうのに。


 みさ希にとって遠藤珠璃は親友であり、憧れの対象でもあった。

 しかし、高等部に上がると、みさ希の遠藤珠璃への見る目が少しずつ変化していく。


 中等部では純粋に尊敬や好意だけを向けていられたのに。

 高等部に上がってからは、遠藤珠璃への嫉妬や羨望が少しずつ、少しずつ胸中で燻ぶるようになっていた。


 遠藤珠璃への複雑な思いに駆られる日々の中。

 みさ希は高等部から初めてクラスが一緒になった佐藤美咲のグループから嫌がらせを受けるようになった


あんな地味ブスみさ希があたしと同じ名前なの、許せないんだけどぉ。字面はS和生まれのババアみたいだけど、同じ名前には変わんないしすげー迷惑!』と、佐藤美咲が女子トイレで仲間に憤慨していたのがきっかけだ。


 始めは佐藤美咲のグループだけが聞こえよがしな悪口やあからさな無視する程度だった。

 次第に他のグループの女子たちまでもを巻き込み、最終的にみさ希はクラスの女子過半数と一部の男子たちにまで無視され始めた。


 運動音痴を充分分かった上で、体育祭のリレーで無理矢理アンカーやらされそうになったり(最終的には遠藤珠璃が代わってくれた)、掃除の時間、わざと足引っ掛けて転ばされたり(直後に遠藤珠璃が助け起こしてくれた)、物を隠されたり、ごみ箱に捨てられていたり。

 酷い時には体育館シューズが焼却炉で見つかったこともあった。(見つけてくれたのも遠藤珠璃である)


『あんなドクズどもにやられっぱなしでどうすんだよ』

『今はあたしと一緒のクラスだからいくらでも助けてやるよ。あいつら、ドクズの癖にヘタレだし、あたしには仕返しどころか文句ひとつ言えねぇもんな。けどよ、来年のクラス替えでだ。あたしとはクラス離れて、あいつらと一緒になっちまったらどうすんだよ?』

『一回でいいんだって、一回で。一回、あいつらにガツンって言い返してやれよ。それでもダメなら、またどうすりゃいいか一緒に考えよーぜ?あ、意外とビビッておとなしくなるかもな、ははっ』



 遠藤珠璃はなんにも分かっていない。

 佐藤美咲たちを始め、他のクラスメイトも。教師たちも、彼女に一言物申そうものなら、倍になってやり込められてしまうからなのに。


 たとえば、遠藤珠璃は根っからの宿題や課題が嫌いだ。

 一応やりはするし、期限までに提出するが、みさ希が心配になるレベルの適当さだった。テスト勉強も同様に。

 当然教師から叱責されることもあったが、『集中して授業聴いてさえいれば、課題やんなくったってあたしは理解できるし?所詮世の中なんて結果主義じゃないっすか。一夜漬けだろうとガリガリ勉強しようと、テストで結果出せるかどうかが一番大事っすよね?あたし、別に頑張って勉強しなくたって結果出せるんで』と平然と言い返していた。

 実際、授業と一夜漬けのテスト勉強のみでどの教科も満点、もしくは満点近い点数取っている。


 最低限の努力だけで確実な結果を残せる人間相手に、誰も勝ち目なんて感じない。

 地頭が良く、能力が長けているからこその自信。その裏側にある無自覚の傲慢さ。

 自分に自信がなく、卑屈なみさ希の劣等感は日に日に増幅し──、遂に爆発した。



『遠藤さんはいいよね』

『一夜漬けのテスト勉強でも学年上位だし』

『一生懸命練習しなくたって、短距離走も長距離マラソンも学年上位だし』

『歌も楽器も上手で』『服もオシャレで』

『誰に何言われても絶対負けたりないし』

『いろんなことが人並み以上なんだもん。強くいられるのは当たり前だよね』

『わたしは遠藤さんとは違う』

『頑張らなきゃ人並みにだってなれない。自分の能力に見合っただけの自信しか持てないの』



『だから』

『自分の強さを押しつけないで』



 遠藤珠璃とは距離を置くことにした。


 そしたら、なぜか佐藤美咲たちが今までとは態度を一変。

 ひとりで過ごすようになったみさ希を自分たちのグループへ誘ってきたのだ。


 遠藤珠璃なら、『は?おめーらさぁ、何企んでるんだか知らねーけど。今更どの面下げてすり寄ってきやがった。きもちわりーな。謝ったところでおめーらがやってきたこと、あたしは絶対ぜってー許さねーからな』と、すげなく突き放すに違いない。


 みさ希は遠藤珠璃と違って強くない。

 彼女たちの恭しい笑顔の裏、良からぬ魂胆が見え隠れしていても。差し出された手に温度を感じなくても、咄嗟に手を伸ばしてしまった。


『中村ちゃんさ~あ、遠藤ってムカつかない?あいつ、いっつもエラそうじゃん?絶対自分以外の人間全員見下してるよねぇ?そう思わない?』



 たしかに遠藤珠璃はとてつもなく口が悪い。

 でも、誰かれかまわずバカにしたりしない。バカにするのはむしろ──……、言えるわけがない。


 この言葉がきっかけで、遠藤珠璃が(中村みさ希を含めた)佐藤美咲のグループを苛めていたとでっち上げられても。教師たちから呼び出しと厳しい追及されても。果ては自主退学してしまっても。


 中村みさ希は真実を告げられなかった。



 だって、みさ希は遠藤珠璃と違って強くないから。












(2)


 時間ときは、晶羽がアパートで母に詰められている現在へと戻る。

 その現在から遡ること、一週間前──



 九月も最終週に差し掛かり、夕方十八時近くには夜の帳が少しずつ降りてくる。

 だが、夜に差し掛かる時間にも拘らず、全国展開する老舗ドーナツチェーン店では学生服姿の客が一定数席を占めている。大抵は何人かのグループで一席を占めているが、中には一人、参考書や問題集、ノートを広げて必死に勉強する者もいる。

 制服姿の中村みさ希が座る席、通路を挟んだ隣の席にも勉強する他校生の姿が。


「公立の人って大変だねー」


 一瞬、佐藤美咲に隣も他校生に意識を向けたのを悟られたのか、ひやりとする。

『ああいうのがタイプ?』とかからかわれたりしたら、と戦々恐々とするも、「うちら内部入学だし」「そういやさぁ、〇〇は外部受けるらしいよ?」「えー、あいつ、うちの大学より上狙える頭だったっけ?」「うちとレベル変わらん外部受けるなら、内部で充分なのにね」と、他の子たちとクラスの噂話に興じ出す。

 ホッとする反面、中村みさ希はただでさえ小さな身体を縮ませ、曖昧な笑みを貼り付け、控えめに頷いている。さりげなく横目で屋外の様子を確認すれば、すっかり真っ暗だ。


 早く帰りたい。お腹が空いてきた。

 夕飯を残さないために、ホッとカフェオレ一杯しか頼まなかったのが悔やまれる。

 かと言って、今頃追加注文する勇気もない。


 とっくに空になったカップを持ち上げてはトレイに置く。何度も無為に繰り返す。

 居心地が悪い上に挙動不審もいいとこだ。


 早く帰りたい。

 帰って、ご飯食べて、勉強して……、そう、勉強しなきゃ。

 みさ希は外部の大学受験希望だし、佐藤美咲たちみたいに余裕でなんかいられない。


「あ、あの、佐と……」

「ヤダー!!ね、ね、ちょっと!美咲、これ見てよ!ねえってば!!」


 みさ希の小さな呼び声はグループの一人の、店内中に響き渡る大声に掻き消された。

 周囲の注目が一身に集まり、みさ希は恥ずかしくて深く俯く。大声を発した張本人は非難がましい視線に気づかないのか、気にならないのか。輪をかけてきゃっきゃっとはしゃいだ声で佐藤美咲に携帯端末画面を見せつけていた。


「は?何なんなのぉ?うるさいなぁ、もう」

「ごめーん!小学校の時の友達がねぇ、これ見てみてって!」

「だーかーらー、なに……」


 RINEのトーク画面、送られてきた何かのアドレスを開くと、ある楽器店のコンテストの公式HPが表示される。


「なにこれ」

「いいからいいから!」


 不審げな佐藤美咲にかまわず、数回タップ。すると、眼鏡をかけた背の高い黒髪ボブの女性が歌い、その陰でギターを弾く見覚えのある人物の姿が……。

 みさ希は、あっ!と大声を上げそうになるのを寸でで堪えた。


「あれ?これって」

「そう!この楽器弾いてる女、遠藤だよ!」

「……マジ?!」


 地区ファイナル出場アーティスト、という書かれ方が気に入らないのか、「プロでもない癖にアーティストって」と佐藤美咲は失笑する。


「その友達がさー、遠藤と小学校同じだったみたいでぇ。あいつのこと大キライだったんだって。アタシもあいつキライだしぃ、時々愚痴ってたんだよね。で、一ヶ月くらい前に偶然会ったじゃん?その話したからかなぁ、こんな動画が送られてきた」

「つか、別にこれ、面白くも何ともなくない?」

「それがさー、歌ってる子が曲と曲の合間にカメラと動画、音声撮影はやめてって言ったんだって」

「ふーん」


 佐藤美咲はやはり興味が薄いようで、流れ続ける動画に目もくれず、自分の携帯端末を弄り出す。

 しかし、しばらくすると「あのさぁ、中村ちゃん」と急にみさ希を真っ直ぐ見据え、話題を振ってきたのだ。


「この動画さぁ、You Tubeに適当に上げておいてくれない?あ、トックティックでもいいから」

「えっ……?!」


 入店してからずっと、無視するかのような態度だったのが唐突に話しかけられ、みさ希は裏返った声で返事してしまった。

 そんなみさ希を見下しきった目つきで、声だけは気味が悪い程の猫なで声で。佐藤美咲はわざとらしい笑顔で更に続けた。


「せっかくだからさぁ、美咲たちも遠藤のことしてやろっかと思って。拡散してあげようよぉ。ほら、ずっと前にあいつの個人情報をファンにサービスで教えてあげたみたいに」


『断ったらどうなるかわかってるよね』

『言っておくけど、教師もあんたより美咲たちの味方だから』


 実際に口に出してはいない。が、バレない程度のナチュラルメイク、それでいて、よく見るとファンデーションを厚塗りした顔にはそう書いてある。


「……わ、わかった」

「中村ちゃんってやっぱだわー!ありがとっ」



 いい人ではなく、『都合の』いい人の間違いでは。

 なんて、みさ希が指摘できる訳がない。



 だって、みさ希は強くないから。

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