第26話 それぞれの小さな一歩

(1)


 啖呵を切ってはみたけれど反対されるだろうか。

 内心覚悟を決めるも、予想に反して珠璃も日向音も異を唱えることはなかった。


「そっか。わかった」


 短く頷く珠璃。微妙な面持ちではあるが、納得はしているみたいだ。

 無言で頷く日向音も同様のよう。


「ひとまずの問題は解決──ってとこかな」

「ああ、まあな」


 同意を求めるかのような日向音に、胡坐を更に大きく広げて珠璃は相槌をうつ。


「おまえ、足かっぴらきすぎじゃね?みっともねーぞ」

「うるせーな」


 憎まれ口の応酬始めた二人に、いつもの空気が戻ってきたのを感じ、晶羽はホッとする。


「私、そろそろ帰るね。暗くなってきたし」

「あ、待って。俺送ってくよ」

「ありがとう。でも、駅までそんなに遠くないし」

「違う違う。俺、今日車だからアパートまで送ってく」


 返答に詰まり、思わず珠璃に目線で助けを乞う。

 珠璃は眉目を寄せると、日向音を横目でちらり、窺う。

 女子二人の沈黙のやり取りに気づいているのかいないのか、日向音はきょとんと晶羽の返事を待っている。


 珠璃の目線が日向音から晶羽へ戻ってきた。

 はっきりと目が合った瞬間、珠璃は大袈裟に眉を擡げ、引き結んだままの唇を突き出す。

 その変顔の意味するところは『大丈夫じゃね?変な下心はないと思う。知らんけど』だと、晶羽は勝手に解釈した。


「ちょうどいいんじゃね?日向音んちと晶羽ちゃんのアパート、方向的には同じだし」


 日向音に加勢するかのような発言に、晶羽の解釈は正しいと実証された。と同時に、断る理由もなくなった。帰りが逆方向なら申し訳ないし、断っても角が立たなかっただろうに。


 彼が送り狼するとは本気で思う程うぬぼれてはいない。

 車内で二人きりでも、気まずくはならない程度の仲でもある、と思う。ただ。


「でも、もし彼女さんいたら悪い……」

「え、俺彼女いないよ?」

「うそーっ、そうなの?!」

「嘘言ってもしょうがないじゃん。ちょっとちょっとー、なにがどうなって、そんな話に……、お前か?」

「は?あたしじゃねーし。おめーがやたら女慣れしてる風に見えるからじゃねーの?晶羽ちゃんが誤解すんのもしょうがない。晶羽ちゃんもごちゃごちゃと細けーこと気にしないでさぁ、素直に送ってもらいなよ」


 さも面倒くさいと、顔にも口調にも前面に表し、珠璃が更なる追撃をする。

 これ以上頑なに遠慮するのは失礼かもしれない。

 観念した晶羽は「お願いします」と日向音に頭を下げた。


「よし、いこっか」


 タブレット端末をケースにしまうと日向音は立ち上がる。


「じゃあ、またなー」

「おう。気をつけて帰れよ。晶羽ちゃん乗せてくんだし」

「りょーかい」

「じゃあね、珠璃ちゃん。バイバイ」

「うん、バイバーイ。気をつけてな」


 胡坐を組んだままの珠璃に別れを告げ、出て行く日向音に慌ててついていく。

 玄関から外廊下に出ると、空にはもう夜の帳が降り始めている。


 駐車場へ出るとまばらに停まる車の内、一見するとコンパクトカーに見える玉虫色の中型セダン車を「あれが俺の車」と日向音は指し示す。


「本当は店舗用の駐車スペースだけどね」

「勝手に停めてもだいじょうぶ?」

「一応叔父さんには許可貰ってるから」


 晶羽に助手席へ乗るよう促すと、日向音は運転席に乗り込む。

 車内はきれいにしてあり、助手席のCD収納ボックス以外無駄な物も置いていない。


「アパートの住所までは教えづらいでしょ?最寄りの地下鉄の駅どこだっけ?」

「えっと、S駅」

「うっそ、マジか。俺が行ってる大学近いじゃん!」

「日向音くんの大学あそこなんだ?!」

「あ、言ってなかったっけ?一応、あそこの経済学部なんだ。おっけー、おっけー。それならナビ入れなくてもヨユーで行ける」


 画面をカーナビからCDの操作画面へ切り替えると、日向音はすぐに車を発進させた。


「この車、中古でオプション特に付けなかったからCDしか聴けなくてさ。今入ってるヤツ気に入らなかったら、適当に変えてくれていいよ」


 駐車場から車道に出るため、左右確認する日向音の声に、CDから流れる不穏でおどろおどろしいボーカルのシャウトが被さる。人によっては不快をもよおす音楽だろうが、晶羽は逆に喜々とした。


「マリアン・メンソン!私は好きだよっ、このバンド!」

「お、知ってるんだ。同世代でマリアン好きな人と会ったの初めてかも」

「有名な曲二、三曲しか知らないんだけどねー。でもちょっと意外。日向音くんがマリアン好きなの」

「あー、俺のバンドの音楽性とぜんっぜん違うしなぁ。うちは自称おしゃれ系メロディックポップバンドだから」

「好きな音楽とやりたい音楽って案外違ってくるもんねぇ」


 すると、日向音は急に口を閉ざしてしまった

 気に障るようなことを言ってしまっただろうか。

 普段が饒舌な分、不自然に訪れた沈黙が痛い。

 車が走行する間なら車窓を眺めたりしてまだやり過ごせる。が、信号や渋滞で停まると、気まずさがより倍増する。


 どうしよう。


『変なこと言ったかも。ごめんね』って言う?

 それとも、全然別の話題振ってみる?


「へんなこ……」

「うーん……、どうなんだろね」


 渋滞にハマり、沈黙を持て余してきたのか。

 視線は前方に向けたまま、日向音はようやく口を開いた。


「俺、誘われるばっかで自分からバンド立ち上げたことなくてさ。ベース始めたきっかけも初めて誘われたバンドでベースだけいなくて。元々ギター弾けるし、ベースもいけるかもってノリだったんだ。まぁ、今じゃベース弾くこと自体はめっちゃ楽しんでんだけど……、音楽性はバンドが目指す方向性に合わせるって感じかな。やりたい音楽とか特にこだわりないっていうか」

「へえ、そうなんだ」

「こだわりないって言うと何かカッコつけてるみたいだなあ、うーん」


 渋滞の列が少しだけ動くのに合わせ、日向音は再び口を閉じる。

 動き始めたかと思うと、すぐにまた車は止まる。


「俺、本当は自分がどんな音楽やりたいか、実はよくわかってないのかも。だからかなぁ?何がやりたいのか、はっきり分かってる晶羽ちゃんと珠璃が羨ましいし素直にカッケーなって思う。二人とも迷いがない」

「そう、かな?」

「うん。そこは自信持っていいんじゃない?」

「……ありがとう。でも、日向音くんだって」

「俺?俺ねー、晶羽ちゃんが思ってるよりダメダメよ?珠璃に訊いてみな?たぶんボロックソに扱き下ろすぞあいつ」

「えぇー?それは気が置けないからじゃあない……?」


 自虐は良くないよ、と言おうとして、やめる。

 声の明るさに反し、フロントガラスに映る日向音の表情にかげりが見えたから。

 この翳りはきっと夜の暗さだけのせいじゃない、筈。


「今のバンドでプロ目指してるんだけど、俺だけがそのノリにいまいち乗り切れなくて。かと言ってバンド辞める踏ん切りもつかないし、就活にも踏み切れない。やりたいと思ってることはあるにはあるけど……」

「やりたいことって?あ、言いたくないなら言わなくてもだいじょうぶだよ?」


 亀の歩みでしか進まない車への苛立ちも含めてか、日向音はハンドルにもたれかかる。先行車のテールランプを赤を見つめる目がどこか遠い。


「……珠璃に言わない?」

「いいけど……、なんで?」

「ミュージシャン目指すよりは可能性あるけど、一本で食っていくには難しいから。大学まで行って何言ってんだってうるさそうだし、親にも言えてない」

「そんなおっき大きいそうな秘密、私に話してもいいの?」

「重いかなー、重いよねー。ごめん、俺が楽になりたいだけかも」

「んー、重いとは思わない。日向音くんにはいろいろ助けてもらったし、私でいいなら話してみて?」


 日向音は横目で晶羽を窺うと、ハンドルに押しつけていた上体を起こす。



「じゃっ、俺と晶羽ちゃんとの秘密ね──」








(2)


 一方同じ頃。

 珠璃はリビングで、柳緑庵で買った豆大福を夕飯代わりに食べていた。


 ヒョウ柄の三人掛けのソファーを汚さないよう皿に受け、元から大きな口を開けて大福を一口、二口。指先についた粉を皿の上で払い、ローテーブルの500mlコーク缶に手を伸ばす。


「あー、うまっ美味い


 コーク缶と入れ替わりに、大福の残りをすべて口へ放り込む。

 子どもや年寄りは絶対真似してはいけない食べ方だ。


「もう一コ食おっかな」


 さすがに糖分取り過ぎか?

 若いしちょっとくらい平気か。


 台所へ行こうと立ち上がり、ローテーブルの端──、以前、みやびから渡された通信制高校の資料が目に留まる。短い逡巡ののち、資料を手に取って再びソファーに腰を下ろす。


 今までまったく見向きもしなかったのに。

 過去を乗り越えようとする晶羽に感化でもされたか。


 単純なヤツ、と自分自身に苦笑しながら、珠璃もようやく過去と向き合う気になりつつあった。

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