第23話 唯一無二ってことかもしれない

(1)


 中村たちとの再会が珠璃の胸中を一時ひとときざわつかせたのも束の間。

 悩んだところで取り越し苦労でしかない、と、次の日に気分を切り替えた。

 再び珠璃への『晒し』などして来なければ、気にするだけ損である。


 そうして、アルバイトと晶羽との練習や配信ライブ収録などで忙しくしている内に、あっという間に翌月のCOOL LINEコンテストの一次審査の日を迎えていた。








 楽器店内の約十二帖の薄暗いスタジオにて。

 並んだパイプ椅子に座り、または壁際や防音扉の側に立つ観客に囲まれる中、寂しげなアルペジオがはかなく響く。しん、と静まり返った室内に、今日の客は随分お行儀良いな、と思いながら、珠璃は六弦を丁寧につま弾く。




 彼女はいつも 困ったように 曖昧に笑う


 彼女は力なくしか 笑うことができないの



 珠璃から見て右斜め前。

 弱光の照明を浴び、今にも消え入りそうな、それでいて、歌詞も感情もしっかり伝わる声で晶羽は歌う。



 少しの衝撃で 割れてしまう


 硝子のように 壊れやすい その心




 ゆらゆら、不安定に全身が大きく揺れる。

 肩までの黒髪を、マイクを持たない方の手でぐしゃり、かき乱す。

 それが合図だったかのように、珠璃は静かな熱を込め、右手を大きく振りかぶる。



 人は君を弱いと 簡単に言うけど


 優しい心が 明るい光を 奪い去った


 心から笑うことが 心から笑うことが


 できない 君はとても きれいな きれいな お人形




 痛々しいまでの悲壮感漂うバラードは、珠璃が一人で活動していた頃に作り、没にした曲だ。

 自分のハスキーな中低音だと必要以上に暗い曲になる。もしくは、暗さの中の光を感じさせる表現力が珠璃の歌にはなかったから。


 でも、変幻自在な表現力を持つ晶羽のシュガーボイスなら。

 珠璃がこの曲で表現したかったことを伝えられる。


 それに、だ。

 ここ最近、自分でこの曲を弾き語っている時、なぜか中村の顔が浮かんできてしまう。今も、茫洋とだが中村の顔が浮かぶ。

 別に彼女についての曲でもなければ、他の特定の誰かについてでもないのに。


 苛立ちを振り払うように、晶羽を注視する。曲は二番に差し掛かる。




 彼はいつも へらへらと 四六時中笑う


 彼は作ったようにしか 笑うことができないの



 赤が基調のパッチワーク風の黒や白の花柄、大きめの水玉模様のノースリーブエスニックワンピース(珠璃のバイト先で買った古着)の長い裾を、晶羽はぐしゃり、きつく握りしめる。表情もぐしゃり、泣くのを堪えるように歪める。



 人は君を汚いと 簡単になじるけど


 臆病な心が 信じる力を奪い去った


 笑顔でなにもかも 笑顔でなにもかも


 ごまかす 君はとても すてきな すてきなお人形




 ダンッ!


 晶羽の右足が大きく踏み鳴らされる。

 倒れるのではと危ぶみたくなるほど、一際身体が大きく揺れ動く。


 人ならざるものが憑依したかのような姿に、客席は固唾を飲んで静まり返る。


 ラストの大サビに入る直前、がくん!と、晶羽は膝から大きく崩れ落ちた。




 人は君を弱いと 簡単に言うけど


 優しい心が 明るい光を 奪い去った


 心から笑うことが 心から笑うことが


 できない 君はとても きれいな きれいな お人形



 すてきな すてきなおーにーんーぎょーぉおー……




 跪き、晶羽は神に救いを求めるように片手を大きく伸ばす。

 細い指先も、身体も小刻みに震えている。


 絶望を纏い、どうしようもない哀しみや痛みを歌声に乗せながらも、光を求めてあがく人──、珠璃がこの曲に込めた思いを完全に体現している。


 やっぱ、すげーわ。



 事前に楽器店スタッフに「写真と動画撮影禁止で」と頼み込み、呼びかけてもらったけれど、その必要はなかった。誰一人、携帯端末を向けるのを忘れるほど、晶羽の歌、パフォーマンスに引き込まれていた。音響担当のスタッフでさえ、息を飲んで見入っている。


 静かに、静かに、ゆっくり、ゆっくり……、立ち上がる晶羽に合わせ、最大限引き絞ったアウトロのアルペジオを弾く珠璃の脳裏から、中村の顔はすっかり消え去っていた。






(2)


 歌い終えた晶羽を、観客たちはどこか畏怖の念を込め、注目していた。

 弾んだ息を整えるとずれた眼鏡を押し上げ、晶羽は控えめに微笑んだ。よく見ると、緊張のせいか口元が引き攣っている。



「あ……、ありがとうございますっ!こんにちはっ、はじめましてー!!えへへ……、なんか、緊張しちゃいますねー」


 あんなに歌って、動いて、なんでMCの時だけガッチガチなんだよ……。

 声は上擦ってるし、肩にも力入ってるし。

 観客も歌ってるときとのギャップが激しすぎて引いてない?


「どーも、コンチハ。ギターのJudyです。こっちはボーカルのジェーン・ドゥ。ジェーンって呼んでやって。あんまり時間もないんで、次の曲……っつっても最後の曲いきます。うちらのユニットの曲もっと聴きたいなーってちょっとでも思ってくれたら、『Judyさんの弾いて歌ってみた』ってYou Tubeチャンネル検索と……、登録もお願いします。週に一度、ネットライブ動画更新してるんで!」


 必要事項に限っては珠璃が話した方がよさそうだ。適材適所ってやつ?

 晶羽にだけ伝わるようアイコンタクトを送る。晶羽が「最後の曲です!」と曲名を叫ぶ。


 寂寞としたバラードから一転、明るいメジャー調、軽快なストロークで8ビートを刻む。

 八小節目を過ぎると音へ飛び込むように晶羽が歌い出す。



 スーツケースを ぶらさげて

 裸足で歩く 灰かぶり


 ヘッドフォンから 流れる曲が

 前へ進めと 勇気をくれる


 正しいとか まちがってるとか

 そんなことはどうだっていいよ



 光を求めてあがいていた人が、弾ける笑顔で長いスカートを翻し、光の中心で歌い踊る。

 珠璃も楽しくなってきて自然と笑顔が浮かぶ。演奏しながら身体が縦に、横に揺れる。

 室内は変わらず薄暗いのに、二人の周りだけ特別な明るいスポットライトが当たっているみたいだ。

 特に指示した訳じゃないのに、観客の中から手拍子が自然発生する。



 あなたが信じてるものはなあに


 浮かれ騒いで忘れたのね


 あなたが信じてるものはなあに


 大好きな彼は二度と帰らない


 あなたが信じてるものはなあに


 私が信じるものはね……




「ひみつ──!」



 人差し指を唇に押し当て、晶羽は悪戯めいた笑みを客席へ向ける。



 明るい曲調に反し、よく聴くとなかなかに皮肉の利いた歌詞は晶羽が書いたもの。彼女自身は皮肉とはまったく縁のなさそうな人間だが、創作物には多かれ少なかれ潜在する自己が表れる。

 辛辣で皮肉っぽくも希望を捨てないでいる……、晶羽らしい気がする。



 広すぎる 夜空を見上げて

 星を眺める 灰かぶり


 ヘッドフォンから 流れる曲が

 もうだいじょうぶと 背中をなでる


 正しいとか まちがってるとか

 そんなことは どうだっていいよ



 あなたが信じてるものはなあに


 浮かれ騒いで忘れたのね


 あなたが信じてるものはなあに


 大事な彼女とも分かり合えない


 あなたが信じてるものはなあに


 私が信じるものはね……




「ひみつ──……」



 ささやくように、小さく歌う。

 珠璃のこの声はきっと、誰にも聴こえていない。


 右斜め前では手拍子の嵐の中、大きく手を振って晶羽が歌っている。



 分かり合えないとか歌っている癖に、ちゃっかり観客と、しっかり音楽で通じ合ってんじゃん。



「やっぱ、すげーわ」



 二度目の、唇のみでつぶやいた言葉もきっと誰にも聴こえていない。

 別に誰かに聞かせるために言った訳じゃないから全然かまわない。


 晶羽と一緒に音楽できて本当に良かった。

 珠璃は心の底から楽しみ、感謝した。

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