第21話 Stay or Go

(1)


 年に一度、国内最大手の楽器店が主催する『COOL LINE』

 数多のプロミュージシャンを輩出し、毎年多くのアマチュアミュージシャンが参加するコンテストだ。


 参加料と共に申込用紙を提出(もしくはWEBでの申し込み)した楽器店内で一〇分程度のスタジオライブが一次予選。一次を通過後、大型ライブハウスでライブパフォーマンスするのが二次予選の地区エリアファイナル。地区ファイナル通過後、首都でのライブパフォーマンスが最終予選となる。



 日向音はウエストポーチのファスナーを開け、少し皺になった茶封筒を炬燵机へ、ぽん、と置く。


「これ応募用紙な」

「…………」


 即座に「いらねーよ」と拒否するかと思いきや、珠璃は怖い顔して黙り込む。

 珠璃でさえ日向音に言葉を返せないのなら、晶羽はもっと何も言えない。


 日向音が所属するバンドはプロを目指しているかも、と珠璃から聴いている。

 だから、彼らがCOOL LINEに参加する理由はわかる。が、晶羽と珠璃まで参加を促す理由が読めない。


 一緒に高みを目指そう!という意味なのか?

 晶羽の事情を知る彼が、一見軽薄そうで実はかなりの気遣い上手な彼が、だ。

 軽々しく誘ってくるだろうか?


「揃って辛気臭い顔しないでよ。晶羽ちゃんのこと、承知の上で誘ってみたんだって」

「どういうこと?」


 珠璃が口を開くより先に、晶羽が日向音に問う。


「参加料一組3500円でライブできる機会、なかなかないじゃん?演奏時間は二曲一〇分だけど、二人とも人前で歌う時間それぐらいが望ましいんでしょ?」


 ライブハウスに出演する際、会場や参加イベントにもよるが、チケット代として課せられるノルマの相場は(チケット金額×枚数)三万円から五万円。ライブバーなど飲食を主とする会場の場合、出演者は客と同じくチャージ代+最低でもドリンクかフードを注文、なるべく三~五人は客を呼ぶ。

 中には、ノルマ一切なしの場所もあるが、ライブをやるには相応の料金が発生する。


 余程人気のあるバンドやミュージシャンでない限り、アマチュアでチケットノルマ達成はなかなかに至難の業。チャージバックをもらうなど更に至難である。


 二人には現在、ライブに呼べる客はほとんどいない。と、なると、(仕送りがあるとはいえ)節約生活を余儀なくされている晶羽も、(親元暮らしとはいえ)決して高くはないバイト代しか稼げない珠璃も、金銭的な事情でしょっちゅうライブハウスでライブは出来ない。


 二人が紡ぐ歌や演奏は配信でパソコンや携帯端末越しに聴くより、生で聴く方がずっと迫力がある。何よりもステージに立った二人自身、誰よりも楽しそうに、生き生きと輝く。

 だからこそ、日向音は人前でライブする機会を与えたかったのかも──、しれない。


「まっ、俺が勝手にお節介したかっただけだし。こういう話もあるよってこと」


 日向音は茶封筒を軽く二、三回叩くと、立ち上がる。


「ってことで……、帰るわ。あんまり遅いとかーちゃんうるせーし」


 神妙だった珠璃の表情が、うわぁ……、と言いたげに歪む。


「いや、だって、もうすぐ七時じゃん?女の子一人珠璃いる家にいつまでいるの!って変な誤解されてもねぇ」

「うわ、やめろ。オメーとなんてマジでナイから」


 珠璃は大きく身震いし、自身を抱きしめるように両腕で撫でさする。


「冗談だよ、ジョーダン!俺もお前だけは絶対ねーよ」

「当たり前だろ!クソボケカス!!」

「じゅ、珠璃ちゃん、おお、落ち着いて?」

「じゃーねー。晶羽ちゃんもまたね。バイバーイ」

「バ、バイバーイ」


 きぃきぃと暴言を吐き散らす珠璃を宥めつつ、晶羽は日向音へ遠慮がちに手を振り返した。







(2)


「んで、どーするよ?」


 日向音が帰った直後、茶封筒から出した申込用紙を机上へ拡げると、珠璃はトントンと指先で叩く。晶羽は珠璃の問いには答えず、拡げられた用紙をじぃっと眺める。


「うーん。ちょっと迷う……」


 ひょっとしたら、審査員などにかつてのバンド関係者が起用されるかもしれない。

 もしも二次審査の地区ファイナルまで通過してしまったら色々面倒だ。

 とはいえ、一次審査のスタジオライブでほとんどの参加者は落選する。


「珠璃ちゃんは?」

「あたしぃ?」


 てっきり『あたしは出てみたい』と即答するものだと思ったが、珠璃は珍しく考え込んでいる。


「わ、私の事情は気にせず、珠璃ちゃん自身の率直な意見が聴きたい、かな」

「あたしの率直な意見ねぇ……」


 これまた珍しく、打てば響く筈の珠璃が晶羽の言葉に鸚鵡返しだけして口を噤む。

 今日なんか変だよ、と喉元まで出かけたが、余計な一言だと唾と共に流し込む。喉が大きく鳴り、静かになった部屋にやたら響く。ちょっと恥ずかしい……。


「あたしらは細く長く活動したい訳だし……、今からあんまり目立つ動きしたくねーかも。でも、99%、いいや、99.7か8%の確率で地区ファイナル出場なんてできる訳ないとも思う訳だ。だったら、出てみてもいいような気もするんだよな」

「うん……」

「もちろん、晶羽ちゃんが無理ならやめておく」

「私は」


 迷う心と共に、視線も右へ左へ忙しなく泳がせる。

 ぐるぐる変動する視界が、黒で統一されたベッドの枕元まできた時、何かのパンフレットらしきものを認めた。なぜか気になってしまい、それを注視してみる。


「晶羽ちゃん?」

「あ!えっ、えっ……」

「気になるモンでもあった?」


 人様の部屋の物をじろじろ見るなんて。

 途端に罪悪感が湧いてきて、「ご、ごめん、なんでもない」と小さく謝る。


「いや、別になんも気にしちゃいねーけど……、って、ああ、アレな。アレが気になったんか」

「アレ?」


 晶羽が訝しんでいると、珠璃は席を立ち、例のパンフレットらしきもの……、らしきものではなく、歴としたパンフレットを持ってきた。


「通信制高校?のパンフ。つっても、オトンとオカンが勝手に渡してきただけ」


 珠璃はぶっきらぼうに言い放ち、パンフレットを雑に机上へ放り投げた。

 ひょっとしたら、いつになく珠璃の歯切れが悪いのはこのせいなのだろうか。


「つか、この話はどうでもいいとして」


 いや、どうでもよくはないよね?と言いかけて、再び喉元で押しとどめる。

 さっきよりももっと余計な一言だから。

 代わりに、「そっか。じゃあ、話戻そっか」と無理矢理ながら話題を切り替える。


「たられば話もいいとこなんだけど、もしも、もしもだよ?一次予選通過しちゃった場合、地区ファイナル棄権することもできる……、よねぇ?」

「なるほどな!棄権って手があった!」

「二次は棄権する、ってことだったら、私は参加したいかなぁ」


 本気でオーディションに臨む者が聞いたなら、間違いなく怒りを買いかねない発言。

 我ながらふざけたことを言っている自覚は充分にある。

 だが、珠璃は怒りも呆れもせず、パン!と大きく手を打った。


「それいいな!それなら、あたしも参加したい」

「決まりだね」

「早速申込用紙書くか」


 吹っ切れたからか、いつも通りの元気な珠璃に戻り、晶羽はホッとした。

 一〇分だけのスタジオライブも楽しみになってきた──、が。



 こののち、ユニット生命を揺るがす事態が発生することになる。

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