第20話 感覚人間

(1)


 翌夕方。


 晶羽が柳緑りゅうりょく庵で働き始めて約二ヶ月。

 まだ完璧とはいかないが、美紀子と早番・遅番交代でシフトを組めるまでにはなってきた。

 今日は早番で店に入った。夕方十六時過ぎ現在、上りの時間となる。


「お先に失礼します」

「はい。お疲れ様」


 遅番の美紀子に挨拶し、店内から奥へ。着替えや貴重品管理のための小部屋に行く前に、隣の休憩所の入り口から中を覗き、休憩中の店長に呼びかける。


「店長。お先に失礼します」


 店長は大きな背中を少し丸め、食い入るように携帯端末を眺めている。

 イヤホンしているし聴こえなかったかな。眉間に思いっきり皺寄ってるし。


 もう一度言うべきか。気になったが、店長は晶羽の存在に気づくなりイヤホンを両方とも外し、「お疲れ様でした」と返した。


「何見てるんですか」

「これですか?」


 店長は晶羽に携帯端末画面を晶羽の方へと向ける。

 目が悪すぎてよく見えない……。「近づいて見てもいいですか」と言って、店長の側へ寄っていく。


「……あっ」


 画面を目にするなり焦った声が漏れる。

 晶羽の反応など意に介さず、店長は「最近ちょっとハマってるYou Tubeチャンネルなんですよね」と説明した。


「へー、ソウナンデスカー」


 片言の相槌以上の言葉が出てこない。

 だって、まさか、珠璃の動画チャンネルを視聴しているなんて。

 おまけについ昨日更新したばかりの新曲動画だし。

 一気に冷や汗がどばっと噴き出す。


「最近視聴するのが週一の楽しみで。というのも」


 ここまで言うと、店長はなぜか口を噤んだ。なんで?!


「ああ、もう上がりでしたっけ。呼び止めて申し訳ない」

「え?いえっ、私から見せてくださいってお願いしたので!」


 互いにぺこぺこ、軽く頭を下げ合う。

 前々から感じていたが、店長は腰が低すぎる気がする。

 見た目が強面すぎるから、威圧感与えないよう気をつけているのかも?


「タイムカードは切りました?」

「……はっ!まだでした!」


 ひー!忘れてた!!

 しかも、今日はこの後、珠璃のアパートに寄る予定なのも頭から抜け落ちていた。

 思い出さなければ、このまま自宅アパートへ真っ直ぐ帰宅するところだった。

 晶羽は慌てて休憩所を去り、小部屋の前にある専用機械でタイムカードを切った。








(2)



 昨夜の内に珠璃から『この前の新曲だけど』『アレンジし直してみた』『今日のバイト帰りに』『うち来ない?』とRINEが入っていた。急いで着替えをすませ、地下鉄を乗り継ぎ、珠璃のアパートへ直行する。


 珠璃の元へ到着したのは五時近く。

 黒い炬燵机、白黒ブロック柄のカーペット、木材も寝具も黒いシングルベッドなどなど、ほぼ九割黒で統一された家具が揃う八帖の洋間──、珠璃の部屋で、珠璃のギターに合わせて晶羽は小さな声で歌う。

 ちなみにこのアパートの住人は夜勤で働く者が多い上に、地下にライブハウスがあるくらいなので多少の音漏れは目を瞑ってもらえる、らしい。J線の高架下地帯なので、むしろ電車の通過する音や振動の方が余程響いてくる。





 高貴なる女王様も 貴方の前では

 白いドレスを脱ぎ捨てて 激しく乱れるの


 それでも満足できずに 私に触れようとする

 愛している 愛していないとか

 どうだっていいのね


 ロシアンルーレットをぐるぐると回して

「当たり」が出てくるまで 回し続けて

 ピストルの引き金は引いたりなんかしない

 魔法で貴方の美貌を奪うだけよ








「うん、前より更によくなったと思う。サビの八小節目をB7・EmからB7・E♭dimに変えて正解」

「やっぱり?だよなぁ」

「だよなー、俺もそう思った」

「……おめーは黙ってろ。つーか、帰れ」


 黒い炬燵机を挟む晶羽と珠璃の間に、日向音ひなとが違和感なく座り込んでいる。

 あまりに自然に居座っているので、晶羽は気にも留めていなかったが、珠璃は明らかにうんざり顔だ。


「ごめん。こいつ居たら気が散らない?」

「そんなことないよなぁ?俺と晶羽ちゃんの仲なら」

「ええぇぇ……、言い方……」

「くっそうぜー!!サイコーにチャラいセリフ吐くな!晶羽ちゃん、めちゃくちゃ引いてんじゃねーか!」

「えっと、日向音くんが居ること自体は気にならないんだけど……、ごめん、さっきのセリフはさすがにちょっと、引く」

「うっそマジ?!ごめん!」


 晶羽の引く発言に露骨にショックを受け、日向音は手を合わせて平謝りする。


「ぎゃっはっはっはっ!バンドのファンサファンサービスノリが誰にでも通じると思うなっつーの!」

「あああ!ご、ごめん!引くはちょっと言い過ぎたかも……!と、ところで、今更訊くけど、日向音くんはなんでここに居るの」


 従兄妹同士とはいえ、成人、もしくはほぼ成人に近い男女なのに。なんて考えてしまう辺り、自分は年齢の割に考えが古いのだろうか。はたまた、バンド時代、『家族以外の特定の男性と二人きりになるな』と事務所から固く禁止されていたからだろうか。


「ああ、それはね。俺のかーちゃんに大根と人参の煮合えを珠璃んとこの家に持っていってやれ、て頼まれたんだよ」

「伯母さんの煮合え美味いんだよなぁ、晶羽ちゃんもいる?」

「え、でも、珠璃ちゃんと雅さんの分が」

「いいって、いいって。あたしはともかくオトンはいつ家で食うか分かんないし、ちょっとくらいうちの分減っても問題なーし」

「じゃ、じゃあ、ちょっとだけ……」

「別にいいよな?日向音」

「問題なーし。で、話の続き。渡してすぐ帰ろうと思ったんだけど、晶羽ちゃんが来るって聞いて」

「練習妨害で居座ってるって訳」

「ひっで。だって俺、晶羽ちゃんの歌声好きだし。せっかくだから聴きたいじゃん」

「おいこら。なに晶羽ちゃん誑し込もうとしてやがる?!晶羽ちゃん!こいつの好きに深い意味はないからな。いちいち真に受けるなよ?!真に受けて泣いた女子何人いたことか!」


 露骨に日向音を指差し、忠告する珠璃に思わず苦笑が出る。


 有り余る才能はあれども、人としては不実で軽薄な人間はそれなりに見てきた。

 だから、逆に日向音に妙な下心なんてないことくらいお見通しだ。


「ね、そろそろ続きやろうよ」

「だな。じゃ、続きで二番やろうぜ」





 傲慢な魔女でさえ 貴方の前では

 黒いドレスを脱ぎ捨てて 快楽を貪るの 


 愛しているとか 愛していないとか

 どれだけの花を手折った??

 愛しているとか愛していないとか


 私にはもう分からない


 ロシアンルーレットをぐるぐると回して

「当たり」が出てくるまで 回し続けて

 ピストルの引き金は引いたりなんかしない

 魔法で女を抱く術を奪うだけよ


 ロシアンルーレットをぐるぐると回して

「当たり」が出てくるまで 回し続けて

 ピストルの引き金は引いたりなんかしない

 魔法で貴方の美貌を奪うだけよ


 深い愛に目覚めるまで 魔法は解けはしない……





 ぱちぱちぱち、ぱちぱち──



「かっけー!疾走感あるし、ライブ映えしそうな曲だなぁ。配信で演るだけじゃもったいない……、つか、すげー歌詞……」

「珠璃ちゃんが先に作った曲聴いて、なんか、ぶわあぁぁぁってイメージ膨らんでね。気づいたら、ばばばば――!!って言葉がいっぱい湧いてきて……」

「晶羽ちゃん、晶羽ちゃん。たぶん日向音に何一つ伝わってないと思う」

「あ、ごめん。自分でもなんでこんなイメージ降ってきたのかとか、よくわかんなくて」

「晶羽ちゃんは完全に感覚人間だよなー。おもしろっ。でも、それだと業界にいた頃大変だったんじゃない?」



 す、鋭い。


 バンド時代の楽曲制作は基本的にプロデューサー任せだったが、アルバム曲の中には各メンバーが作詞担当した曲もあった。しかし、歌詞の世界観が独特かつ極度の説明下手なせいで、晶羽の歌詞だけは一度も採用されなかった。あの頃の晶羽の役目はただ歌っていること。それだけだ。


 ただ歌っているだけでも十二分に楽しい。楽しいけれど。

 歌う以外にも、珠璃と共同で曲を作っていくのもまた楽しい。



「あんまりその頃の話持ち出すなよ」

「あ、ごめん」

「だいじょうぶだよ?ここなら誰かに聞かれる心配ないし」

「晶羽ちゃんがいいならいいけど」

「俺もごめん。気をつけるね」


 そんなに気を遣わなくてもいいのになぁ。

 この二人になら、(差し障りのない程度に)昔の話できそうなんだけど。


 少し気まずい空気が流れ──、かけたが、その流れを変えるかのように、日向音が明るい口調で話題を切り替える。


「そうだ。今度俺のバンド、COOL LINEのオーディション受けるんだけど。二人もさ、軽い気持ちで記念受験で受けてみたら?」

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