第19話 忠告➁
(1)
平日ランチの時間帯にしては少し遅めだったからか、残っていた客は思いの外少なかった。
二席しかないという個室の一席へ案内される。白木のダイニングテーブル、同じ木材と思われるラウンドチェアに着席。
「好きなモン、好きなだけ注文していいぞ。バイトの給料入ったばっかだから」
「バイトはまだ塾の講師やってるの?」
「おう。もうすぐ夏期講習始まるからシフト増えそう」
「へえ、忙しいね」
「まぁね。稼ぎ時でもあるけど」
とりとめのない会話しつつ、視線はメニュー表へ落とす。
地鶏の卵のカルボナーラか、オリジナル窯焼きピザか。それともトマトクリームソースの魚介パスタか。
「決まった?」
「……ごめん。まだ迷い中」
「相変わらず決めるの遅すぎる。早くしろよ」
「お兄ちゃんは何?」
「オリジナル窯焼きピザと和風明太パスタ」
「パスタかピザで迷ってるんだけど。お兄ちゃんがピザをシェアしてくれたら、パスタにしようかなって」
「嫌。食べたかったら自分で頼めば?」
「ピザはちょっと食べたいだけな気もして」
「うわ出た、ちょっとだけ欲しいってやつ。そういうの卑しいからやめろよなぁ」
「……それ、
「あいつもよく『ちょっとだけ』欲しがるんだよ。俺は毎回嫌って言うけど」
ああ言えばこう言う。
頭の回転の速さも違いすぎる相手に勝てる筈も、勝とうも思わない。
本気でイライラされる前に、「……トマトクリームソースの魚介パスタとダージリンティーにする」とメニュー表の写真を指差す。瑛誠は無言で呼び出しボタンを押す。すると、注文を今か今かと待ち構えていたかのような速さで店員がやってきた。
「そういえば、おまえに訊きたいことあって」
店員が退室し、互いに携帯端末のチェックを始めると瑛誠がふいに晶羽に呼びかけ、徐に端末を見せてくる。
画面に映っていたのは珠璃のYou Tubeチャンネル。二週間前更新した動画だった。
個室とはいえ音漏れを気にしてか、音声はミュートしてある。が、動画のタイトル名でわかる。
「千沙がな、『これ、晶羽ちゃんじゃないかな』って教えてくれた」
「…………」
「なんか、千沙の友達の間で『顔は出てないし名前も違うけど、歌ってる人、あのキラじゃない』って話題になってたって」
「…………」
「どうなんだよ。また歌再開した訳?」
違うよ。私じゃないから。
そう言って、知らない振り決め込めばいいのに。
笑って、誤魔化して、隠した方がいいのに。
正直者はバカを見る。
今までだって散々バカ見てきたから分かってるのに。
「えっと……」
「この『ジェーン・ドゥ』ってお前なんだろ?」
「…………」
完全に言葉を途絶えさせた晶羽に、瑛誠は語気を幾分和らげた。
「あのな、俺は別に怒ってるわけじゃないよ。おまえが歌うのだって、別に反対する気ないし」
「……そうなの?」
「やりたきゃやればいいんじゃない?自己責任だろ」
素っ気ない口調自体は冷たいけれど、完全に突き放してはいない。
そう信じられる一抹の優しさは感じられた。
「また一からプロ目指したきゃ目指してもいいんじゃない?」
「プロは別にもう、いい、かな。たぶん……、私に向いてないから。今は、自分の好きなように歌える場ができたのが嬉しいというか」
「てことは趣味?」
「あ、うん!そうだよ。アマチュアの範囲で楽しくやってるだけ」
そうか、と小さく頷くと、瑛誠は少し考える素振りをしてみせる。
「だったら、万が一親父たちにバレても……、まあ、問題はない、か?」
「ごめん、お兄ちゃん。そこはちょっと、できるだけ内緒にしておいて……!お母さんにも!」
何か言いかける瑛誠を遮り、テーブル越しに晶羽はお願いのポーズで頼み込む。
「いや、おまえが黙ってろって言うなら黙っておくし、千沙にも口止めしておくけど……」
おねがいおねがい、おねがい、と、必死に手を擦り合わせ拝み倒す晶羽に、瑛誠は続きを言いあぐね、しばし黙り込む。が、気を取り直すように、スッと軽く息を吸った。
「昔の活動だけはバレないように気をつけろよ?」
「わかってる。お兄ちゃんたちには迷惑かけな」
「そうじゃなくて……、また自分が追い込まれる事態だけは絶対避けろってこと。親父とおふくろだって世間体だけ気にしてる訳じゃない」
「うん、そだね。ありがとう」
瑛誠が開きっぱなしだったYou Tube画面を閉じる。
直後、ノックと共に店員が料理を運んできた。
(2)
一方、珠璃はスタジオから寄り道することなく、真っ直ぐ自宅アパートへ帰宅した。
古いコンクリート製の螺旋階段を、一段飛ばしで二階まで上がっていく。
ギターケースを担ぐTシャツの肩が、汗でぐっしょり湿っている。否、肩に限らず全身濡れ雑巾状態だ。心なしかギターケースもほんのり湿っている気がする。
きもちわりぃ、と、額に滲む汗を拭い、ダメージジーンズのポケットから家の鍵を取り出す。
「おう、おかえり」
「おい仕事は?」
玄関扉を開けると、洗面所から歯ブラシを咥えた
「へんふぉんはっほうの」
「ペッして口すすいでから喋れよ」
雅の顔が洗面所へ消え、流水音と口を漱ぐ音が板張りの古い廊下に響く。
「専門学校の仕事なら今日は昼まで」
「あっそ」
洗面所の横を通り過ぎ様、雅が再び顔を覗かせる。
「あれ、珠璃ひとり?晶羽ちゃんも一緒かとてっきり」
「なんか用事あるってよ。あー、腹減ったー」
ギターケース抱えたまま、廊下の奥、キッチンの冷蔵庫を開ける。
「ロクなモンねーな」と舌打ちし、冷蔵庫の横、買い溜めした菓子を入れておくボックス……、遠藤家のお菓子ボックスを漁り出す。
がさごそ、がさごそ。どの菓子を食べようか、賞味期限を確認しながら考えていると「これ、いっぺん目通してみて」と、雅の声が降ってきた。
「これぇ?」
振り返った珠璃の眼前に突き出されたのは、定時制や通信制高校の案内書だった。
「俺と
「…………」
「ちょっと前に慈雨と話し合ったんだわ。せめて高卒資格はとっとけってこった」
「こういう時だけオカンと結託するなよ」
「でも事実だろ。中卒じゃ将来マジで厳しいぞ。真剣に音楽でプロ目指すってならまた話は別だけど」
「音楽は……、別に、趣味だって」
「なら、尚更マジで考えときな。何も音楽やめろっつってるわけじゃねーよ。お前なら両立できるだろうし」
珠璃はパンフレットに目を通す振りをして、雅の方を見ようともしない。
そんな珠璃に雅はいつもと変わらぬ態度で、「んじゃ、今から
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