第17話 楽しんだモン勝ち
(1)
珠璃が晶羽を気遣うように振り返ってきた。
二十五分も歌った場合、晶羽のことをキラだと勘づく者が再度出てくるかもしれない。
気づくだけならまだましだ。以前のカラオケの時みたいに隠し撮りされ、SNSに投稿でもされたら。
珠璃が案じる理由は大方そんなところだろう。
「わかりました」
「晶羽ちゃん?!」
「オリジナル曲だけじゃ間が持たないので、カバーも入れますけど」
珠璃に腕をぐっと掴まれる。
「本当にいいのかよ」
「う、うん」
「そう心配しなさんな。晶羽ちゃんへの
配慮、という言葉に弾かれたように二人で雅を見返す。
晶羽は顔色を失くし、珠璃の方を振り返った。珠璃は怒ったような顔で激しく頭を振る。
「あ、珠璃は俺になんも話してないよ?何となく
「そんなにわかりやすいんですか……、私……」
「んー、どうだろうねぇ。ま、気づかれようが気づかれまいが、プライバシー守らせれば問題ないんじゃない?」
だいじょーぶ、だいじょーぶ、とひらひら手を振る雅に、他人事だからそう思うんじゃ……、顔色を失くしたまま、晶羽の表情はどんどん不安で曇っていく。
「晶羽ちゃん。オトンの言い方がテキトーすぎて不安しかないだろうけど」
「そんなことは」
「いいよ、無理しなくても。でも、こいつ、言い方こんなだけど有言実行はするから安心して」
「……わかった」
「ありがとうございます。雅さん。ただ……、自分のことなので自分で対策してみます」
不安が完全に払拭できたわけじゃない。
晶羽は両手で頬をぱんと軽く叩き、表情をぎゅっと引き締めた。
三人での会話終わった頃、折よく今日のイベントで共演するバンドが続々と来店し始めた。
アコースティックは晶羽たちだけ。他は細かな方向性は違えど、ロックバンドばかり集まり、ほぼ男性しかいない。女子二人組はかなり浮いている。
ライブのリハーサルは出演順の逆から始めることが多い。トリの出演者が最初、出番がトップの晶羽と珠璃は最後になる。
各バンドがリハーサルを行う様子を晶羽と珠璃はずっと聴き入り、眺めていた。
開場前四十五分を切った頃になって、ようやく二人の順番が回ってくる。
その時には二人と雅、PAを担当する早川しかホール内に残っていなかった。
他のバンドのリハーサルは興味ありげに観ていた共演者たちが、二人の番になった途端に興味を失くし、外へ出て行ったからだ。
アマチュアの世界(に限ったことではないかもしれないが)では、ロックバンドとアコースティックとの間での棲み分けがはっきり成されている。特にロック系の界隈ではアコースティック系を
そんな風に、眼前に拡がるほぼ無人のフロアを低いステージから見下ろしながら、晶羽はマイクテストを始めた。晶羽の背後では、珠璃がギターアンプの前で音量などの調整をしている。
「ギターください」
「はーい」
音量の調整取れたところで、珠璃が曲の前奏を弾き始める。次いで、ボーカルください、の声に晶羽も歌い出す。
リハーサルする二人をカウンターに寄りかかり、咥えかけた煙草を半端に持ち上げたまま、雅の目はステージに釘付けになり。淡々と音響卓の前で調整する早川も、時折、驚きを宿した目でステージをちらちら、見やっていた。
(2)
開演五分前となった。
ステージ裏の楽屋内。フロア内同様ステッカーやバックステージパスだらけの壁に囲まれ、晶羽はステージを映すモニターを緊張した面持ちで眺めていた。が、緊張を解すように軽く柔軟体操をし、発生練習を始める。
「晶羽ちゃん。たぶん発声練習の声、客席まで丸聞こえ」
「え」
煙草の臭いが染みつく合成皮革のソファーに、ギター抱えてふんぞり返る珠璃が指摘する。
「喋り声は
ううう……、と唸っていると、扉が開き、「そろそろ準備お願いしまーす」と早川が二人に呼びかけてきた。
「客電落ちたらステージ上がってください。晶羽ちゃん。楽しみにしてるから」
「おい、あたしは?」
「珠璃ちゃんはなんも言わんくてもできるっしょ?」
「つめてーなぁ!」
珠璃が苦笑いした直後、客電が落ちる。
ソファーから勢いよく立ち上がった珠璃と共に、晶羽は再び低いステージに立った。
フロアには共演者の三分の一ほど戻っていたが、純粋な観客はまばらにしか見当たらない。その客も、二人はほとんど客を呼べなかったため他の共演者目当てだ。
ステージには目もくれず携帯端末を弄っていたり、他の共演者たちとおしゃべりに興じている。
「あたしら完全にアウェーだなぁ」
と言いつつ、珠璃はちっとも堪えていない。晶羽も同様に。
これなら『配慮』などまったく必要ないのでは、と思ったが、一応言うだけ言おうと思った。
「あ……、こんばんはー。はじめましてー。今からオープニングアクトからトップバッターに代わった、デッドガールズ・リターンズ!ですー。よろしくお願いしますー」
晶羽の、気の抜けた小さな声でのMCに、渋々といったまばらな拍手が送られる。
拍手を送ってくれた客はマシな方で、相変わらず携帯端末弄り、お喋りを続ける客もいて、フロアのざわつきは消えそうにない。
「えっと、みなさんにお願いがあります。私たちのステージの時だけは写真撮影と録音禁止します」
誰かがあからさまに、はあ?と声を上げた。
一瞬にして、フロア全体が『何言ってんだこいつ』『こんな奴ら撮らねーし』『つか、グループ名だっさ』と、冷ややかな空気へ変わってしまった。
チューニングを終えた珠璃が、げんなりと晶羽に近づいてくる。
「……晶羽ちゃん。何やりにくい状況作ってんだよ」
「あ、ごめん。実はMCいまいち苦手で」
「まあいいや。一周回ってやる気になってきた」
「それでこそ珠璃ちゃん」
「あのなぁ」
フロアには聴こえない声での軽い応酬が終わると、珠璃は晶羽の立ち位置から少し下がった左斜め、ギターアンプとマイクスタンドの間へと移動した。
晶羽と珠璃、それぞれにピンスポットのみが当てられる。
薄暗いステージからフロアへ、しっとりとしたアルペジオが響き渡っていく。
七〇年代NYパンクの代表である女性歌手の代表曲。恋人たちの夜を歌うミディアムバラードだ。オリジナルは鍵盤の音が目立ち、ボーカルのややハスキーな中低音の声質が哀愁を誘う曲。
バンド時代、ライブで何かカバー曲をやろうと話が出た時この曲を挙げたのだが、当時のプロデューサー以外誰も知らなかった。曲を知っている筈のプロデューサーでさえ、『いい曲だと思うけど君らの客層的にウケないよ。一般的な知名度も低いし』と難色示し、却下された。
現に、今だってこの場でこの曲を知る者はいない気がする。歌いながらフロアを見渡し、客の表情を見れば明白。
しかし、曲が進むにつれ、客の表情から困惑が徐々に消えていく。最初からフロアにいた共演者も、外から戻ってきた共演者も、晶羽たちのステージに黙って見入る。
二曲目も同じミュージシャンの曲を歌う。
一曲目のアウトロからいきなり二曲目の歌い出しで始まり、曲のタイトルにふさわしい跳ね馬の勢いで激しく歌い、叫び、ステップを踏む。
フロアの人々は熱に浮かされた目で晶羽を、歌と同じく激しくギターを引っ掻き鳴らす珠璃を食い入るように見上げ、全身を縦に、横にと、思い思いの動きで揺する。
もちろん、興味なさげに壁に凭れたり、未だに携帯端末と睨めっこし続ける者もいるが、心の底から自由に、好きなように歌える楽しさの前ではまるで気にもならない。
「ありがとうございますっ!じゃあ、残り二曲はオリジナル歌います!」
いつの間にか、ステージを照らす照明が増えていた。
ピンスポット以外にも、赤、青、黄……、たった二人のステージを満遍なく輝かせている。
小さなライブハウスながら立派な照明設備に感動しつつ、弾んでいた息を、すぅーっと深呼吸し、整える。
次は、珠璃のオリジナルで男女のままならない駆け引きを歌った曲。
『あたしは恋愛とかめんどくせーし興味ねーんだけど、音楽関係って乱れてるヤツ多いじゃん?その辺参考にして作ってみた』らしくジャズ調の隠微な雰囲気だ。
晶羽の甘ったるいシュガーボイスは得てして子供っぽく聴こえがちになるので、多めに息を吐きながら音を、言葉を乗せる。珠璃が歌っていた時よりスローなテンポで、セクシーに聴こえるよう歌う。ちゃんと考えなくても身体が覚えている。意識しなくてもできている。
ずり落ちかけの眼鏡を押し上げ、何度目かに見下ろしたフロアは静かな熱気に包まていた。
今まですっかり忘れ去っていた──、客席とステージとの熱量が一体化していく感覚がぶわぁぁああ、と一気に蘇ってくる。
小さなステージを前後左右に動き回って歌う。
バンド時代、ファンの一部からは『落ち着きがない』と顰蹙買うこともあったが、身体が勝手に動くのだからしかたない。珠璃とぶつからないようにだけすればいいい。
そう思いながら、何度目かに珠璃の横を通り過ぎようとして、ふと目が合う。
目が合った瞬間、にやっと笑ったあたり、珠璃も充分楽しんでいる。
『楽しい?』
『ったりまえ』
すれ違いざま、視線で問えば、にやりとした笑みは益々深まった。
こうして、晶羽と珠璃の初めてのライブは成功に終わったのだった。
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