第15話 まあいいか

(1)


 奥のデジタル壁時計が七時を示す。古着屋の閉店時間が来た。

 玄関の框ドアに映るは、夜の薄闇に包まれ、閑散とした歩道。

 飲食店やバーがある通りならば、もう少し人通りはあるかもしれない。

 だが、この古着屋周辺の店舗は衣料品店・雑貨屋が主なので、大抵六時か七時には店じまいしてしまう。


 店長は平日に古着の買い付けに出かけることが多く、週明けは大抵珠璃に店を任せる。

 珠璃もこの店で働き出して一年以上経ったので、余程のトラブルが発生しない限りは一人で店を回せる。むしろ、ある程度自分の好きなように仕事できるので一人の方が気が楽だ。暇すぎる時に喋り相手がいないこと以外は。


 やはりというべきか、週明けの今日は一日通して暇だった。かと言って、客が全然来ないからと言って外出する訳にもいかない。


 昼休憩のついでに発送業務を済ませた後は、たまに架かってくる電話応対したり、適当に掃除や商品整理をしたり。ディスプレイの見直し・変更したりと、出来る仕事をした上でも手持無沙汰は解消されず、しまいにはパソコンのソリティアで遊びながら睡魔と戦っていた。



「んー!終わった終わったぁー」


 パソコンの椅子から立ち上がり、大あくび。めいっぱい背を伸ばす。

 さっさとシャッター下ろして、レジ清算済ませて、とっとと帰ろう。何度か交互に肩をごきごき回す。


 シャッターを下ろすための引っ掛け棒を手に取り、入り口の扉を開け──




「うおっ?!びっっ……、くりした!!!!」



 扉を開けた瞬間、目の前に晶羽が立っていた。

 反射的に一歩後ずさり……、すぐさま珠璃は慌てて外へ飛び出した。

 互いにぶつかる一歩手前まで近づくと、珠璃の勢いに目を白黒させる晶羽に問い質す。


「え、なに、なに?!どうしたんだよ晶羽ちゃん」

「ご、ごめん、びっくりさせて」

「いや、別にいいけどさ。ただ、もう閉店時間……」

「うん知ってる……。ちょっと、どうしても話したいことがあって、だから、その……、終わるの待とうかと思って」

「いやいやいや待って?!それなら事前にRINEして?!」

「あ……、ごめん。すぐにでも珠璃ちゃんに会って話さなきゃ!って思い立ったら、いても立ってもいられなくなっちゃって……」

「マジかー……。いや、この後帰るだけで用事もないし、話ならいくらでも聴くけどさぁ。何なんだよ、その行動力は!マジ天然怖え……!」


 ハンドル式のドアノブを握ったまま、珠璃は天を仰ぐ。

 よく見れば、晶羽はぜぇぜぇ息を切らしている。晶羽も今日は柳緑庵でバイトの筈。

 ひょっとしたらバイト後に急いでここまで来たということになる。


「……とりあえずさあ、中入りなよ。なんとなーく、あたしの勘だけど、あんまり外に漏れない方がいい内容な気がする」

「え、でも、いいの?」

「連絡もなしに人のバイト先まで押し掛けてきて、今更それ言うか?!」


 うっ……!と固まる晶羽に「冗談だよ、ジョーダン!本気で嫌なら帰れって追い返すっての」と、苦笑すると、扉の前で躊躇する晶羽においでおいでと手招きした。








(2)


 店内に入ってみると、ベリーが強めのフルーツ系とバニラが入り混じった香りが晶羽の鼻腔へ広がっていく。古着屋がよく使用するお香の香りだ。


「先に閉店作業してくる。晶羽ちゃんはカウンターの椅子で待っててくんない?適当に店の服見ててくれてもいいよ」

「じゃあ服見てようかな。あ、鞄、カウンターに置かせてもらってもいい?」

「どうぞどうぞー、お好きなようにー」


 珠璃の言葉に甘え、斜め掛け鞄をカウンターの隅に置かせてもらい、改めて店内をぐるり見回してみる。


 晶羽から見て縦に二列ずつ、奥まで並んだ上下二段のハンガーラックにはアウター、ボトムス、インナー、ワンピースがラックごとに、更に細かくメンズとレディースに分けて掛けられ。

 ハンガーラックを囲うような二段のL字壁棚の上段には鞄や帽子、ベルトなどの小物、下段にはスニーカーやブーツなど靴類が置いてある。


 必要に駆られた時以外に服を見るのは、バンドを辞めて以来の約二年振り。

 実家からの仕送りがあるとはいえ、無駄遣いできるほどの余裕はない……、というより、諸生活費以外にお金使うとしたら、音楽のダウンロードとベタ水槽用の電気代を最優先させたい。


 でも、いざたくさんの服を目の前にすると、自然と気持ちが逸る。

 見るだけ、見るだけと念じながらも心は浮足立つ。



「これ、いいなぁ」


 レディースアウター類の中から、ショート丈の黒いライダースジャケットを手に取る。

 適度にくたんと革が柔らかく、デザインも全然ごつくない。カジュアルでもガーリーでも使えそう。


「着てみたら?」

「うーん……、今日はいいや。もしまた今度来る時に残ってたら考えるかな」

「そっか。あ、レジ清算終わったし、カウンターきてもらっていい?」

「うん」


 珠璃に案内され、斜め掛け鞄を抱えてカウンター奥の扉を潜る。

 窓のない、換気扇があるのみの四帖程の部屋には、パイプ椅子二脚、申し訳程度の小さなテーブル、机上には電気ポッドと紙コップ、ティッシュの箱、除菌シートなどが雑に置かれていた。


「ここ休憩室。湯沸かすからコーヒーでも飲む?インスタントだけどさ」

「じゃあ……」


 ちょっと迷いつつ、「コーヒーお願い」と頼む。

 電気ポッドの湯沸かし機能ボタンを押しながら、「どっちでもいい、好きな方座って」とパイプ椅子に目線を向ける。再び彼女の言葉に甘え、晶羽はパイプ椅子に腰かける。


「そうそう、珠璃ちゃんにお詫びも兼ねて差し入れ」

「あ?だからさ、別にそう言うのは……」


 コーヒーの香りを漂わせる紙コップを両手に、珠璃はしかめっ面で晶羽の隣に座った。


「これ、バイト先の豆大福。珠璃ちゃん、前にあんこ大好きで特に大福とか羊羹に目がないって言ってたよね?」

「うわっ、やった!ありがとうっっ!柳緑庵の豆大福大好きなんだよなー。労働の後に食べられるとか至福じゃん」


 差し入れと聞いた時の渋い顔はどこへやら。珠璃の機嫌は急激に良くなった。


「でね、この間のライブ出演の件なんだけど……」

「あぁ……、気にしなくていいよ。あたしも言い過ぎた。ごめん。晶羽ちゃんのペースでさ、出たいと思った時にでも」

「やっぱり私も出たいって思った」


 晶羽の話よりも、豆大福の包みを剥がす方に集中しかけていた珠璃の手が止まる。

 珍しくにこにこ、嬉しそうな表情がすっと消え失せる。


 珠璃が次に見せる反応が、怖い。

 一度「出たくない」と発言して撤回するなんて、呆れたり軽蔑されないだろうか。



「そっかー、じゃ、オトンに言ってみるかぁ。あたしらもライブイベライブイベント出たいって」



 しかし、少し長めの沈黙ののち、珠璃は引き続き豆大福の包みを剥がし始めた。

 あまりにあっさりし過ぎの反応に晶羽は拍子抜ける。


「ああ、だってさ、心境の変化の理由なんてどうでもよくね?気が変わることなんて誰だってあるし」

「……そだねぇ」

「晶羽ちゃんが出たいか出たくないかが大事じゃん。つっても、晶羽ちゃんの気持ちがどうでもいいからってわけじゃねーからな?あ、ヤッバ!ウマ美味い!」


 珠璃が求めていなくても、晶羽自身はきちんと気が変わった経緯を説明したかった。

 けれど、大きな口を目いっぱい開け、至福の表情で豆大福にかぶりつく珠璃を眺めているうち、「ま、いっか」と開き直りの心境へと変わっていった。

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