第14話 足りないものはなんだろう

(1)


 その商店街は敷地の広さが地下鉄二駅分をまたがり、県内のみならず、国内でも人気の高い観光スポットだ。

 多くのカフェや屋台、レストランなどの飲食店、古着を含む衣料品、雑貨店、リサイクルショップ、家電量販店に楽器店、占いの店など、多岐に渡る店舗が軒を並べている。その数は優に百は超える。当然店舗の移り変わりは激しい。

 そんな商店街の店舗の中でも老舗に近い一軒の古着屋で、珠璃は週五日の七時間、アルバイトしていた。


 平日は基本的に閑古鳥が鳴いている。その暇な時間を使い、珠璃はレジカウンターの中で簡単な事務処理、ホームページ更新作業、在庫処分品のメリカル出品などのインターネット業務、その他パソコンを使用した雑務を行う。

 今日はメリカルでの購入客に向けた商品発送の準備と、同封の礼状を作成中だ。


 複数登録してある無料のイラスト、もしくは無料の写真サイトから拾ってきた画像やテキストを文書作成画面に貼付。イラストの大きさ、配置など細かい部分を調整し、自動あいさつ文を挿入。あいさつ文の後は自分が考えた短い文章を丁寧な言葉で打ち込んでいく。


 礼状を試し刷りする。

 印刷プレビュー画面と印刷用紙を見比べ、誤字脱字、色ムラ、印刷掠れなど確認しながら、数日前のことを思い返す。


 ライブ出演の誘いはまだ時期尚早だった。

 晶羽ははっきり答えなかった、けれど、明らかに『無理』だと眼鏡の奥、やや色素の薄い目が強く物語っていた。


 気づいていたのに、珠璃はそれを無視してしまった。

 無視するどころか、一瞬だけ生まれた、ほんのささいな苛立ちを晶羽にぶつけてしまった。短気にも程がありすぎる。



『自分の強さを他人に押しつけないで』



 一年と少し前、当時の同級生から振り絞るようにぶつけられた言葉を急に思い出す。

 思い出した途端、眉目がぎゅっと顔の中心に寄り、店に誰もいないのをいいことに、けっ!と小さく吐き捨てる。



『ライブハウス経営や音楽学校の非常勤講師、楽曲制作など普通でない職業の片親家庭』である珠璃を、老若男女問わず色眼鏡で見てくる他人は多かった。特に学校では一部の同級生から格好のからかいの的にされることもしばしばだった。


 珠璃自身は好奇の目にも見当違いの憐れみにも屈しなかった。まともに相手する気にもならなければ、はっきり言ってどうでもよかった。

 ただ、どうでもいいと言っても鬱陶しいことには変わりなく。中学からは記念受験のつもりが合格してしまった中高大一貫の私立校へ通い始めた。環境を変えるのに良いきっかけだと思ったのだ。

 幸い、みやびの収入以外にも、毎月実母から支払われる高額な養育費のお陰で金銭面での心配もなかった。


 実際通学してみると、校内の雰囲気は想像以上に良く。大抵の生徒は将来のための勉強に勤しみ、良い意味で他人への詮索や干渉などしない。悪口やからかいなどする暇があったら勉強するべきと。

 かと言ってすべてが勉強漬けという訳でもなく、学校行事などは全力で楽しんだりと切り替え上手な者が多かった。


 厳しくも柔軟な校風、教師と生徒の人間性が珠璃にとっては好ましかった。

 少なくとも中等部までは。


 問題は高等部に上がってから。

 高等部に上がった時、珠璃のクラスでいじめが起きた。



 珠璃は自分がやられたら嫌なことは絶対しない。くだらないことも同様。

 いじめに加担しないのはもちろん、傍観にも回らなかった。

 いじめ被害者とあえて仲良くし、彼女の代わりに加害者へ堂々と立ち向かい続けた。


 しかし、珠璃の強固な姿勢は却っていじめ被害者には負担だったらしい。


『みんながみんな、遠藤さんみたいに強くないし自分を貫ける訳じゃないんだから』


 その時、投げつけられたのがこの言葉だ。


 以降、なぜか被害者と加害者がつるみ始め──、珠璃が彼女たちを苛めていると噂を流され、教師に呼び出される事態にまで発展。本来のいじめ加害者より珠璃の方が教師受けが悪かった分、質が悪い。誤解はどうにかして解けたけれど、本来の加害者のいじめは結局認められず。


 今まで学校全体に良い印象しかなかった分の反動は凄まじく。

 学校に関するすべて信用できなければ、馬鹿馬鹿しくなって自主退学を決断した。



 珠璃は自分が特段強いつもりなんて全然なかったし、押しつけているつもりなんてなかったのに。



 別に今更、誰も恨んでも憎んでもいない。

 正直普段は忘れきっている──、が。

 ときどきふと思い出し、振り返ることは、ないことはない。


 自己を確立しているがため、一方的に押し付けた態度を取っていないか。

 あの時の晶羽も、いじめ被害者の彼女のように思っただろうか……。




「気にしてもしょーがねーか。一応、あの場でお互い謝ったし」



 己に言い聞かせるかのような独り言を、礼状を本番印刷するプリンターの音が掻き消していった。










(2)


 数時間後。

 所変わって、柳緑庵の休憩室で晶羽は遅めの昼食を取っていた。


 机上には小さな塩むすび一個、極小タッパーの中味は少量のとほうれん草のおひたし。


 食事量をいつも美紀子に心配されるが、ダイエットの一環ではなくバンド時代に課せられた食事制限の名残。一食につき約二〇〇カロリー前後に抑えた食事を、一日に四回から五回に分けて摂っていたので少食体質に変わってしまったのだ。

 最も、分刻みのスケジュールに加え、レコーディング佳境時にはこの量と摂取カロリーで一日一回しか食事できない日もザラだったせいで、拒食症や薬物中毒疑われるくらい痩せていた。

 それを思えば、量はともかく今は三食きちんと摂れる生活を送れているのは良いことだと思う。


 ほうれん草とおからをちびちび箸で摘まみ、おにぎりをほうばりながらテレビを流し見する。

 ワイドショー番組は好きじゃない。でもリモコンが近くにないし、探してまでチャンネル変えるほど嫌と言う訳でもない。幸い、今流れているのは時事ニュース。芸能人ネタでないだけ全然マシだ。


 やがて、おにぎりがなくなり、タッパーも空になった頃、時事ニュースから芸能ニュースへとコーナーが変わった。晶羽は画面から興味を失くし、おもむろに携帯端末を弄ろうとして──、手が止まる。


 Rainbow Plastic Planetsのミュージックビデオと共に、番組コメンテーターたちによる解散の真相に迫る考察が始まったのだ。


『彼女たちにとってバンド活動は本当にやりたい仕事ではなかったのでは?実はボーカル兼ギターのマリナさんは女優、ドラムのカリンさんはお笑い芸人志望だったと過去のインタビューで答えていたそうですし、ベースのヒナさんはグラビアアイドル出身でしたよね』

『おそらくですが、このバンドでの活動はメンバー全員、キャリアの通過点としてしか考えていなかったかもしれませんね』


 わかったようなことを、と反感が湧くも一理はある。


 コメンテーターたちが言ったように、自分以外のメンバー三人はバンド活動はあくまで一過性のビジネスと捉えている節があった。

 決して仲が悪いわけじゃなかったけれど、バンド活動を全力で楽しんでいた晶羽と他三人の間には薄く透明な壁で隔たれていた、気がしていた。


『前ボーカルのキラさんの脱退も一因だと思いますけどね』


 キラの名前に晶羽は不審なまでに周囲を見回し、リモコンを探す。あった。入り口の壁に引っ掛けてある。


 席を立ち、リモコンを手に取ろうとして先に取られる。

 あっ、と思う間に、目の前にぬっと佇んだ店長がテレビのチャンネルを変えてしまった。

 画面はしたり顔のコメンテーターたちから時代劇に切り替わる。


「ワイドショー嫌いなんです。観てたならチャンネル戻しますが」

「はあ、いえ、私はどっちでもいいです」


 呆気に取られる晶羽の横をすり抜け、店長は晶羽の斜め向かいの席へ座った。

 画面からは、バーン!と重厚なイントロに続き、生きていれば楽な時も苦しい時もあるという歌が流れ始める。


 店長、時代劇好きなのかな。見かけに寄らず(失礼)趣味が渋い……。

 店長の新たな一面に更なる謎が深まりつつ、携帯端末上で開きかけていたアプリを閉じる。



 キャリアの通過点、か。




 さきほどのコメンテーターの発言が頭にこびりつき、離れてくれない。


 バンドの解散は自分の不祥事、脱退の余波だとずっと考えてきた。

 インターネットに現在の自分を晒される恐怖、迷惑が家族に及びたくないだけじゃない。

 メンバーへの罪悪感が晶羽の音楽への道に足止めを食らわせていた。でも。


 自分と違い、次のステップを踏もうとする他のバンドメンバーたち。一方で未だに進めない晶羽。

 ひょっとして進めなくさせているのは、自分自身の意気地のなさでは──?



「好きなんですよ、こういう時代劇」



 珠璃のライブ出演の誘いを思い出しながら、晶羽がぐるぐる、思考の渦に飲まれていると、隣で店長が唐突に口を開いた。

 急激に現実に引き戻された上に、どう答えていいか分からず、「はあ」と戸惑いを隠せずにいる晶羽におかまいなしに、店長は更に語り続ける。


「話はワンパターンだし、ツッコミどころ満載なのに、なんでか知らないけど見入っちゃいますね」

「たしかに……、そうかも、ですね」

「細かいこたぁどうでもいいって思わせるもんがあるんですよ。なんでか知らないけど」




『細かいことはどうでもいい』


 あとに続く言葉は聴いているようで、耳に入ってこなかった。



「……そっか。そうだよね」



 店長の存在など忘れたかのように、晶羽はぶつぶつ独り言を漏らす。



 今の晶羽に圧倒的に足りないものはだ。




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